第14話 母ちゃんが家の代表だ

文字数 1,882文字

3月21日 朝11時ごろ。
棟梁が家の見取り図と見積もりを持ってやってきた。
棟梁はこれから解体する料理屋の青写真を広げた。
見取り図を見るとまずまずの大きさの家だった。
6畳の部屋が3部屋、台所4畳、風呂場が3畳、玄関も1畳ほどあった。


今日は春分の日。家族が全員揃っていた。
昨晩の喧嘩も忘れたように、みんなでワクワクしながら見取り図を眺めた。
母ちゃんが代表で棟梁に質問した。
母ちゃんは口の聞き方は悪いが聞きたい要点を心得ている。
「北側はみんな壁にして、押入れにしてもらえるんかい?」
「ああ、そのくらいわけねえよ」
「外の壁なんかはどうなるん?」
「壁は白い漆喰で作るから新しいよ、見た目は全部新築同様ですよ」
「柱や襖は古いままかい?」
「柱は削りなおすし、襖は張り替えますよ」
「屋根の瓦なんかどういう感じなんだい?」
「濃い緑色のスレート瓦の在庫があるから、それを使わせてもらいますよ」

母ちゃんはみんなが聞きたそうな事を考えながら質問する。
時々父ちゃんの顔色を見る。父ちゃんはよそ見をしながら聞いている。
「畳は新しく見えるんかい?」
「畳なんて張り替えりゃ新品同様ですよ」
「見積もりはこれかい?じゃあ予算通りでいいんだね」
「安いからって手を抜きませんから安心して下さい。うちも信用がありますから」
「じゃあ、これで棟梁お願いします。地面のほうはどうすれば?」
「桑の木の根っこだけは抜いておいてくんな、あとはこっちでやりますよ」
「いつ頃からかかるんだい?」
「今頼まれている新築が3月末までだから、4月に入ったら始めるよ」
「いつごろまでにできるんだい?」
「そうさな~、夏までには終わらせるようにしますよ」
「お金はいつまでに払うんだい」
「この見積書に書いてある銀行口座に入れてくれるかい、5月末まででいいよ」
「ああ、よかった。あたしもこれで肩の荷が下りたよ」
「楽しみにしてくんな、こっちも頑張っていいもん造るから」

話し合いが終わった所で棟梁はぬるくなったお茶をズルズルッと飲み干した。
父ちゃんが立ち上がる棟梁に挨拶した。
「野村さん、じゃあよろしくお願いします」
「はい承知しました。旦那さんもしっかりした奥さんを持って幸せですね」
棟梁はお世辞を一言って帰っていった。棟梁も大工と営業を兼ねているようだ。

今年の7月には新しい家が建つ。少しずつだがこの家の運命も変わり始めている。
今度帰ってくるお盆休みには新しい家になっている。
たいした事はしていないのに、大きな仕事が終わったような達成感を感じた。

母ちゃんがお昼にお吸い物の付いた天丼を取ってくれた。
出前で店屋物を取るなんて今までの記憶にはなかった。
母ちゃんの気持ちがわかるような気がした。
私の大学合格と新しい家が決まった事をお祝いしたかったのだ。
父ちゃんが競艇をやめるっていったことが嬉しかったのかもしれない。
夫婦の喧嘩の種は殆ど競艇だった。これからは夫婦喧嘩が無くなるかもしれない。

珍しく弟が母ちゃんに口を開いた。
「かあちゃん、今日はすげえな、大盤振る舞いだな」
「一生に一度だよ、よく味わって食べな」
「かあちゃん、天丼と天井って字は似ているな」
「・・・・・・???」
弟は天井を指差した。弟の精一杯のだじゃれだった。
天井には雨漏りで出来た黒いシミが点々としていた。
私にはすぐにわかった「天井」「天丼」井の中に黒いしみがある。

雨の日には泣かされた。
夜中に降ってきた雨に気づかず布団がビショビショになったこともあった。
天井には黒い点々があちこちにあった。「天井に点」これをダジャレで言ったのだ。
殆どしゃべらない弟の精いっぱいの言葉だった。弟の機嫌がいいのは珍しい。
みんな訳も分からずに苦笑いをした。久しぶりに家族全員が一緒に笑った顔を見た。

姉ちゃんは1時に宮田さんと会うと言って出かけていった。
兄ちゃんはパチンコに出かけたようだ。弟は寝転んでテレビを見ている。
父ちゃんはさび付いた125CCのオートバイを出して磨き始めた。
競艇はもう諦めたのかもしれない。
母ちゃんは弟の横でいつもの内職を始めた。


「たかし、何時ごろ千葉に帰るん?」
「もうそろそろ帰るよ」
「五月の連休には帰ってくるんか?」
「その時になってみないとわかんない」
「時々は新しい家の工事現場でも見に来いよ」
「うん、できるだけ来るようにするよ」
しばらくは家に帰ってくる予定はない。でもそれは言わない。
私は心と言葉が同じことはあまりなかった。すべて頭の中で言葉を選択した。

おとなしい「いい子」は言葉が少ないほうがいい。
この家族の中ではこれは変わらない。
一歩世間に出るとこれでは世の中を渡れない。

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