第6話 人間の成長は心の世界

文字数 6,297文字



「お待たせ致しました。それではこれから秋芳洞までご一緒させて頂きます」
白い手袋をした手に小さなマイクを持ち慣れた口調でガイドが始まった。
ガイドさんの口からスラスラと秋芳洞や周辺の観光案内の説明が流れ出てくる。
小郡駅を出発して秋芳洞到着までの約40分間、淀みなく説明していた。
さらにまた、これから先の各所で説明する事柄も暗記しているかもしれない。
手にはガイドブックを持っていなかった。
自分の受験勉強の暗記力よりも数段上に思われた。
人はそれぞれ目的は違うが見えない所でそれぞれに努力している。
バスが走る道路の両側には小さな山が連なっていた。
その山と山との間を潜り抜けるようにしてバスが進んでいく。

大学を合格したあと怠惰な日々を過ごしている。
今はただ、何の目的もなくバスの中から風景を見ている。
意味のない時間を過ごすという感覚は今までの生活の中にはなかった。
観光、趣味、娯楽、音楽、生きていくには私にとっては無意味と思う世界だった。
人はこの無意味な事に苦労して働いたお金を使っている。
今までの自分の人生では考えられないことだった。

バスに乗ってほのぼのとした風景を見ていると心が安らいでくる。
苦しい事ばかりでは生きていけないのかもしれない。
人には安らぎや癒しが必要なのかもしれない。
それで心が豊かになって、人に対する優しさも生まれて来るのかもしれない。
貧しい生活の中でも本を読んでいる時だけは楽しかった。
笑ったり、泣いたり、感動したり、共感したりしたあとは爽快感が残った。
こんな世界があるのかと夢見たこともある。
主人公の恋人を愛しく思った事もある。
自分が主人公と勘違いしてしまう事も多かった。

父ちゃんの競艇も兄ちゃんのパチンコも気晴らしには必要な事かもしれない。
ただ、それが自分には理解できなかった。
楽しさや安らぎを求める事によって人は変わる。心が変化する。
角田さんのように絶望を乗り越えた人には、平凡な日々がこの上ない幸せとなる。
この暇な毎日が心の中の価値観を少しずつ変化させているのを感じていた。

気が付くとガイドさんの説明が終わりかけていた。
「それでは、ただいまから、秋芳洞のほうへとご案内させて頂きます」
あれこれ思いを巡らせているうちにバスが秋芳洞に着いた。
バスを降りる時、ガイドさんからそれぞれにパンフレットが渡された。
ガイドさんの制服の胸には「若山 葉子」と名札が付いていた。
その胸は少し膨らんでいた。お化粧の匂いが漂ってくる。
女の人の胸に目が行く癖が付いてしまった。
気が付かれないように気をつけなければならない。

ガイドさんの持つ白い小旗に、群がるように30人前後の団体が動き出した。
目の前には白い石灰岩が一面に露出している。広大な秋吉台の光景が広がって来た。
秋吉台の直下には大鍾乳洞が広がっていると言っていた。
鍾乳洞の入り口に近付くとだんだんと空気がひんやりとしてきた。
昔読んだ「地底探検」を思い出し気持ちがワクワクしてきた。
その内容は覚えていないが未知の世界が面白くて夢中で読んだ記憶がある。


洞内の暗い照明がガイドさんの横顔を引き立てていた。
説明するガイドさんの声が洞内にこもりエコーが効いて魅力的だった。
時々胸のふくらみに目が行ってしまう。
身近な女の人に魅力を感じる自分がいる。
青春は男のもう一面も芽生えさせている。

大きな鍾乳石群「傘づくし」あたりから傾斜が急になってきた。
先を行くガイドさんのふくらはぎが色っぽかった。
巨大な「黄金柱」は8万年以上もかかっているとガイドさんが説明してくれた。 
黄金柱を見るよりもガイドさんの横顔を見る回数のほう多かった。
千畳敷という洞内で最も広い場所に来た。
目の前には大きな岩がある巨大な空間が広がり、水の流れがきれいだった。 
頭の中ではガイドさんと二人だったらもっと楽しいだろうなと妄想していた。
まだ私には女の人に気軽に声をかける勇気はなかった。

・・・幾山河 越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく

・・・安芸の国 越えて長門にまたこえて 豊の国ゆきほととぎす聴く
                    ・・・・・ 若山牧水

秋芳洞の見学は1時間足らずだった。
帰りのバスの出発の12時30分までは自由行動となった。
お土産を買う人、食事をする人、様々だった。
私も秋芳洞入り口の食堂でかけそばを食べた。
同じ店内の奥のほうでは運転手とバスガイドさんが、ざる蕎麦を食べていた。
ガイドさんの食べる姿を横目で見ながら運転手とガイドさんの関係を妄想した。
男女が楽しそうにしていると羨ましくなってくる。
自分もいつになったら女の人と楽しく会話をできる日が来るのだろうか。

お土産屋さんで“山口ういろう”を買った。
色々なお土産に目移りはするが、最後は食べ物になってしまう。
貧しい暮らしの習慣はいつまでも続く。どうしても食物以外のお土産に手が出ない。
1000円以上は発送無料となっていたので千葉の寮まで送ってもらった。
太田に持参する分のお土産をナイロンバッグに入れてバスに乗り込んだ。

一番前の席に座ろうと思ったが、来た時と同じ一番後ろの座席に座った。
気持ちが見えてしまうような気がして、ガイドさんの近くに座る勇気がなかった。
「小郡駅到着までごゆっくりおくつろぎ下さい。小郡駅には1時頃に到着の予定です」
帰りはガイドさんの案内はなかった。バスは予定通り小郡駅に午後1時前に着いた。

帰りの寝台特急の出発が午後2時30分。まだ1時間半の待ち時間がある。
何をやろうか考えても何も思いつかなかった。
受験勉強の時は足りないと思っていた時間が今は有り余るほどある。
何をしようか考えても出てこない。
何冊かの詩集を持ってきたが、この頃詩集には興味を感じなくなってきた。
何か精神的な変化が起こっている。

駅前の売店では新聞や週刊誌なども売っていた。
週刊誌の表紙には若い女の人のおっぱいがはみ出している。
興味があるが手にとって開けてみる勇気はなかった。
帰りも東京駅到着まで17時間ほどある。
何をやって過ごそうか見当もつかなかった。
大学ノートに詩でも書いてみようと思うが、詩らしい言葉が出てこない。
自分には詩を書く才能はないと思った。
時間が進むのが遅い。

ふと、駅前のパチンコ屋に入ってみた。田舎の兄ちゃんがこれにはまっている。
どんなものか一度体験してみようと思った。
平日の昼間から遊んでいる人がいた。タバコの匂いがすごかった。
けたたましい軍艦マーチの音楽が鳴っていた。
貸し玉交換機が4~5台並んでいた。
100円玉を入れると中からジャラジャラと玉が出てくる音がした。
それでもその玉をどこから取り出していいのかわからない。
横で玉を買っている人の様子を見た。
両手で筒を持ち上げていた。そこから玉が手のひらにこぼれて来る。
真似をしてみると、手の中に50個ほど銀色の小さな玉が落ちてきた。

しばらく他の人のやっている様子を眺めていた。
左手に玉を持ち右手でハンドルをはじいている。
左手の親指でパチンコ台の穴の中に挿入し、右手の親指でハンドルを弾いていた。
真似をしたが、左手ではうまくパチンコ台の穴の中に玉が入らない。
こんな遊びにも経験と技術が必要だったのだ。
やむを得ず右手で玉を1個ずつ掴み、1個ずつ穴に入れてハンドルを弾いてみた。
今度は玉が台の中まで届かない。玉の入り口まで戻ってきてしまう。
思い切り弾くとまた跳ね返って戻ってきてしまう。
何十回も繰り返しているうちにやっと真ん中近くに玉が行くようになった。
玉はパチンコ台の中の釘にぶつかりながら下まで落ちていく。
何の変化のないまま下に落ち下の穴に消えていく。
こんな単純な作業のどこが面白いんだろう。暇つぶしにはならない気がする。

隣では軽快に玉を弾いている遊び人風のおじさんがいた。
パチンコ台の中のチューリップのような花が開いたり閉じたりしている。
チューリップの中に玉が入ると、ジャラジャラとに銀玉が出てきて増えていく。
私のパチンコ台では一度も玉がチューリップにはいらないまま50ケが無くなった。
パチンコで200円を損するのに10分もかからなかった。

隣のおじさんのように玉が入れば楽しいだろうなと思った。
隣のおじさんはプラスチックの箱にいっぱい玉が入っていた。
「にいさん、学生さんかい?」
「いえ、社会人です」
「パチンコは初めてかい?」
「はい、そうです」
「少し玉を上げようか?」
「いいえ、もうそろそろ電車に乗る時間ですから」

見知らぬ人に声をかけられた。恐ろしくて背筋がキューンと寒くなった感じがした。
ヤクザの世界に引き込まれるような感覚だった。
ドキドキしてパチンコ屋さんから逃げるようにして出てきた。
こんな所にも幸と不幸があった。お金を出しても何の見返りのないものがある。
運と技術があれば何倍にもなって帰ってくる。私の性格には合わない気がした。

まだ出発まで30分ある。駅前の本屋に立ち寄った。
帰りの17時間は本を読んで過ごそうと思った。
自分には本を読んで過ごすのが一番あっているような気がする。
週刊誌コーナーに文芸春秋や週刊現代など並んでいる。
浅丘ルリ子の表紙にひかれて「週刊現代」を手に取りペラペラとめくってみた。


直木賞作家五木寛之の小説「青春の門」に目が行った。
五木寛之の紹介欄には早稲田大学文学部中退とあった。
同じ大学の同じ学部に興味を持った。私の先輩ということになる。
価格は200円位だった。ためらう事もなくそれを1冊購入した。
パチンコも週刊誌も同じ200円だったが、価値感の差を感じた。
今までは1冊10円の古本を買っていた。本は古くても内容は変わらない。
本って本当に安いなあと思った。そこには新しい世界が広がっていく。
自分では体験できない未知の世界がある。
パチンコで200円損をしたあとだったから、ことさら本の価値を見直した。

<帰りの夜行列車>


小郡駅を定刻通り3月17日午後2時30分に出発した。
小郡駅からは何人もお客が乗り込まなかった。
私が座った4人の席も自分一人だった。
東京駅に着くのが明日の朝8時半になる。
月刊現代を1ページ目からゆっくり読み始めた。
私は本を読んでいるのが一番落ちつける。
小説の中には人生が凝縮されている。
作者の言いたい事が主人公を通して表現されている。
必ずそこに学ぶ事があり共感できる事がある。
一冊の小説を読む事によりその主人公の人生を体験できる。
そこに自分の未来の姿を見つける事もできる。主人公と自分を比較する事もできる。
本の中の主人公の人生を垣間見る事で自分が少しずつ変化する。

人は暇な時間の過ごし方で人生が変わっていくような気がする。
パチンコや競艇で暇を潰すのもいいが、それだけでは楽しい人生は送れない。
人の数だけ人生があり、それぞれが主人公となって生活をしている。
臆病な私も人生というドラマの主人公である。
一方他人から見れば私はその他大勢の一人でもある。

楽しさや辛さもそれ以上の人もいるし、それ以下の人もいる。
一瞬で終わる出会いもあり、永遠に続く出会いもある。
問いかければ反応があるし、黙っていればそのまま何の変化もなく過ぎていく。
すべては自分の意思と自分の一瞬の選択で進んでいく。

徳山、岩国、広島と列車は進み尾道の駅で4人の席が埋まった。
3人とも中年のサラリーマン風の人だった。
その人の立ち振る舞いと表情や服装で色々勝手な想像ができる。
気難しそうな人もいる。優しそうな人もいる。恐そうな人もいる。
みんなこっちで勝手に判断してその人の性格を決めてしまう。
今までも、第1印象はその人の性格とは違うことが多かった。
ただ、この第1印象で人間関係を決めてしまうことが多い。
先輩の岸野さんは恐そうな顔をしていた。
だからあまり話しかけられなかった。
結果的には岸野さんも自分にいい印象を持たなくなっていた。
たいがいの人間関係が悪くなる原因は、自分の気持ちの持ち方にある。
気をつけなければならない。

「こんにちは」と声をかければ会話は進んでいく。
出合った時のそのタイミングは一瞬しかない。
帰りの電車ではそのタイミングをはずしてしまった。
臨席した4人が同じ空間の同じ時間を別々に過ごしていた。
私は本を読んでいた。一人は雑誌を読んでいた。
残りの二人は目をつぶって休んでいた。特に気にならない雰囲気の人だった。

最初にかける言葉は、何が適当かをいくつか考えてみた。
「どちらまでですか」
「いいお天気ですね」
「きれい景色なですね」
頭の中にこの3つの言葉を準備した。
臆病で小心者の私は準備がなければ何もできない。
話しかけられるのが煩わしい人もいるかもしれない。
この電車の中の一人の時間を楽しみたい人もいるかもしれない。
暫くは本を読んだりそんな事を考えたりして列車に揺られていた。

週刊現代の「青春の門」に引き込まれていく。
時間が瞬く間に過ぎていく。気持ちは主人公の伊吹信介になりきっている。
すべての人間が一生に一度だけ青春の門を通り抜ける。
伊吹信介ほどドラマチックではないけども自分もこれから東京で人生を送る。
週刊誌には短編や連載小説がいくつも掲載されていた。
ゆっくり味わいながら読もうと思った。
偶然見つけたこの週刊誌が、東京までのあと長い時間を気にならなくしてくれた。

岡山の駅で列車が5分くらい止まった。
相席の三人が降りて行った。
あたりは夕方で薄暗くなってきていた。
ホームの売店でお茶と弁当を買ってきた。

家を出てからもう少しで1年になる。
去年の3月26日に家を出た。あと10日で1年目の家出記念日を迎える。
たった1年で生活は一変した。あのまま家にいたら今頃はどうなっていただろう。

席に帰ると、4歳くらいの女の子を連れた若い奥さんが向かいの席に座っていた。
女の子は人形と絵本を手に持って、お母さんの横でチョコンと座っていた。
「こんばんは」
「あ、こちらのお席ですか?」
「はい、失礼します」
「こちらこそ」
とりあえず最初の挨拶は無事に終わった。
最初の一言の挨拶をしておくと気持ちが安心する。
次はいつ弁当を食べるかが気になってきた。
小さな女の子の前ではなかなか食べづらい。
それほど腹が減っていなかったのでしばらく様子を見ることにした。
月刊誌の連載小説「青春の門」があと何ページかで読み終わる。
しばらく本を読んで過ごした。

知らない人どうしの間には見えない壁がある。
列車の中でくつろぐ親子。ここで声をかければ女の子は緊張する。
声をかけないほうがいいなと思った。優しい雰囲気のお母さんだった。

気にはなったが本の続きを読み始めた。
私にとって小説を読む事はまだ遊びと同じ感覚だった。
余った時間を過ごすための一つでしかなかった。
面白いと思う事は娯楽としか考えられなかった。
こうして自分だけが遊んでいるのが気が引ける。
せっかく頂いた休暇、堂々と休めばいいのに貧乏根性はどんな時にでも出てしまう。
受験勉強が終わった時から気持ちに余裕ができた。
気持ちに余裕ができると人の人生や生き方が気になり始めた。

「路傍の石」の吾一への言葉が浮かんでくる。
・・・・・・・・
たった一人しかない自分を、
たった一度しかない一生を
本当に生かさなかったら
人間生まれて来た甲斐がないじゃないか
・・・・・・・・・
こんな言葉に救われる人が大勢いる。私もそのうちの一人だ。
山本有三の小説「路傍の石」で吾一少年に担任次野先生が諭す言葉だ。
小説のすごさはここにある。
人の人生に影響を与える言葉がある。
人に感動を与え、人を癒し、自分の姿を投影して共感をさせる。

いい本に出合うと、文学を目指してよかったとつくづく思う。
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