第12話 世間話は大事な情報源

文字数 5,474文字

母ちゃんの楽しみは、たまに来る近所の奥さんと世間話をすることだった。
1時間以上に及ぶ事もあった。
私が小さいころから弟と私を横に置いて世間話をしていた。
いつも、よ~く話が続くものだと感心していた。
野村さんというちょっと色気のある奥さんとの世間話が一番多かった。

「母ちゃん誰か大工さん知ってるん?」
「うん、裏んちの野村さんのさあ、兄さんが大工の棟梁してるんだよ」
野村の奥さんは隣の高林町の小さな建設会社から嫁に来た。
その兄さんが建設会社の社長で大工の棟梁をしている。
「へ~何でも知ってるんだね」
「早川さんちもみんな子供が働いているんだから、そろそろ家でも建てたらってさ」
「ああ、その奥さんの兄貴の棟梁に話を聞いてみるってことか」
「その前に野村の奥さんに様子を聞いてんべえと思ってさ」
壁が割れ、屋根の瓦が欠け、家が傾いているのは近所の人はみんな知っている。
この家は何十年か前、近所の農家からタダ同然で借りた家だった。


「誰だって、この家を見たらそう思うだろうな」
「そんなお金がないよって言ったら、中古もあるし新築もローンがあるんだって」
「ローンって、それ分割払いのことだよ」
「母ちゃんも気にしてるんだよ。姉ちゃんをこんな家から嫁に出すのは可哀想だろ」
「ローンか?その方法もあるな。70万円が頭金という事か」
「今までは夢のような話なんで軽く聞いてたけど、こんど詳しく聞いてみんべ」
「じゃあ、おれも一緒に行くから野村さんちに連れてって」
「今連絡してみるけど、急じゃ無理かもしんねえど」
「うん、俺まだ有休が2日残っているから大丈夫だよ」
「たかしがいる時にやっとくべえ。父ちゃんはあたしの言うことは聞かねえからな」
「うん、かあちゃん、それと土地の問題もあるぞ」
「それも野村さんに相談してんべ、農家だからどっか余ってるんべ」

父ちゃんはおれの出る幕じゃないというような顔でタバコを吸っていた。
現実が目の前に迫ってくると色々具体的な方法が出てくる。
そのほか何かいい方法があるかもしれない。
父ちゃんの予想屋頼みと同じで、専門家に聞くことが一番だと思った。
そこからできるものを選べばいい。こうなると知識のない父ちゃんの出る幕がない。

父ちゃんが一言、口を挟んだ。
「いいか、借金だけは絶対ダメだ」
「うん、色々方法を聞いてみるよ」
「小さくったって、安普請だって、古材を使ってもいいから借金だけはだめだ」
父ちゃんの意見も無視できない。それも頭に入れておいた。

母ちゃんは野村さんの奥さんに電話をしていた。
家の事を聞きたいから今から出かけるって言っていた。
野村さんちはこの村の大きな農家だった。家から歩いて2分位の所にある。
かあちゃんと一緒に野村さんちを訪ねることになった。
野村さんちには子供が3人いる。
一番上の武政というのが私と同級生で小学校から中学校まで同じだった。
小学校の時同じクラスになったこともある。背が小さく泣き虫で大人しい子だった。

「かあちゃん、武政君いまなにしてるん?」
「群大の工学部に入ったんみてえよ」
「へ~、国立か、すげえな」
「あの子はよく勉強していたからな」
「かあちゃん、奥さんになんて話すん」
「うん、行ってみてからさ、いろいろ聞いてんべ」
「大丈夫かなあ?ほんとに家が建つんかなあ」
「いちいち心配してたってしょうがなかんべ、聞いてみてからだよ」
「お金は、競艇の大穴の事をいうん?」
「言うわけなかんべ、馬鹿にされるんが落ちだよ。相手には関係ねえことだよ」
「俺、あと2日休みがあるから、時間は大丈夫だよ」

野村さんちには大きな庭がある。奥さんが奥から出てきた。
野村さんの奥さんは良子(りょうこ)さんといった。
母ちゃんの三人姉妹はみんなカタカナで「ハマ」「フジ」「タミ」だった。
良子さんか・・・なんて品がいい名前だなあと思っていた。名前にも貧富の差がある。
大きな農家の母屋の廊下に座らせてもらった。
庭には2羽のにわとりがちょこちょこ歩いていた。
牛小屋には黒い牛と茶色い牛がつながれている。
牛に餌をやっていた旦那さんが近づいて声をかけてきた。


「おお、たかしくんか、めずらしいな、大きくなったな」
「ああ、こんにちは、いつも母がお世話になってます」
「世話になっているのはこっちだよ、いつもフジちゃんには助かってるよ」

野村さんは母ちゃんのほうにも声をかけた。
「なあ、フジちゃん、また田植えのときは頼むな」
「ああ、いつでも呼んでくんない、暇でしょうがねえから何でもするよ」
「今日はなんだい?」
「家でも建てようと思って相談に来たんだよ」
「へ~、やっとその気になったかい、みんな働き始めちゃだいぶ貯まったんべ」
「いくらも貯まりゃーしねんだけど、もう家がひっくり返っちゃ様な気がしてさ」
「そうだな~、あれじゃあと何年も持たなかんべな」

村の誰もが心配しているような家だった。
それでも、そこにはいろいろな思い出と家族の人生があった。
かあちゃんは人懐こい話し方をする。世渡りはうまいほうだなと思って聞いていた。

「だからさ、小さくても何でもいいからと思ってさ、奥さんに聞きに来たんだよ」
「土地はどうするんだい?」
「それも何とかならねえかと思ってさ」
「そこの墓場の横の土地ならただでもいいよ、貸してやるよ」
「ただじゃまずかんべ」
「桑畑だけどさ、使ってねえから荒地になってるだよ、それでよければ使いなよ」
「ただって訳には行かないけど、ほんとにいいんかい?どのくらいの広さなん?」
「100坪くれ~あるんじゃねん、全部使ったっていいよ」
「そんなには使わないけど、じゃあ、家が決まったら改めて頼みに来るよ」
「うん、使う時は自分で整地してな、桑の木はみんな切っちゃっていいよ」
「ああそうだ、隣のヨシ爺が暇にしているから、頼んでみるかな~」
「そりゃあいいや、爺さん今やることがなくて1日中ポカンとしてらあな」
「家のほうは奥さんの兄さんに相談しようと思ってるんだよ」
「ああそうかい、それがいいや。じゃ良子とゆっくり相談してみなよ」
大人の会話って冗談話のようにして進んでいく。
墓場の横って言うのが気になったが、それでも土地は何とかなったようだ。

話はやっと奥さんの出番になった。
「たかしちゃんしばらくぶりだね~、りっぱになったね~」
「あ、どうもしばらくです」
「元気そうだね、千葉のほうへいったんだって」
「はい、千葉の石油工場で働いています」
「そうなんですか、うちの武政より勉強できたのにね」
「いえ、そんなことないです。たけまっちゃんにはかなわないです」
「武政ね、1年浪人してねえ、4月から群馬大学の工学部に行くんですよ」
「すごいですね、やっぱり秀才は違いますね」
「あら、お世辞が上手になったのね」

中学の時、武政とは似たり寄ったりの成績だった。
少し勉強する気になったのは武政に負けたくなかった事もあった。
早稲田大学合格の事は言わなかった。物を頼む前に自慢話は禁物だと思った。
いつも自慢しているかあちゃんも同じ気持ちだったようだ。
奥さんはかあちゃんとお茶のみ友達だった。お互いに気を許せる間柄のようだ。

かあちゃんと奥さんの二人の会話が始まった。
「さっき兄さんに電話したんだけどね、明日の10時ごろなら空いているって」
「そうかい、じゃあ様子聞きにいってみるかな、場所はどこなん?」
「兄さんのほうがこっちへ来るって」
「わざわざ、あたしんちまで?」
「そのほうがいいんじゃない。これから色々打ち合わが多くなるんだから」
「まだ、はっきり決めたわけじゃあないんだけどね」
「兄さんにはできるだけ安くするように言っておいたから、何でも言って」
「わるいね、じゃあ遠慮しないで聞いてみっか」

奥さんは奥に行ってお茶と饅頭を持ってきた。
子供に渡すように私の手を取って饅頭を1個くれた。
お礼を言って饅頭を食べながら二人の話を聞いていた。

「よかったね、早川さんちもみんな頑張ってやってるんだね」
「やっと楽になれそうだよ、姉ちゃんも11月に嫁に行くんだけどね」
「あら嫁入りが決まったんだ、よかったねえ、新しい家から出して上げなよ」
「どんな家でも今のよりはいいからさ、何とか頑張ってみるか」
「ところで土地はどうするの?」
「今、旦那さんが墓地の横なら使っていいよって」
「ああ、そう。もっといいとこ貸してあげればいいのにね」
「充分すぎるよ、何もないとこからやるんだから」
「そうね、そこならうちの隣だからフジさんの顔が見えるね」
「世間話が多くなりそうだね。良子さんがいるかどうかすぐわかるよ」
「フジさん、話がうまいからすぐ時間がたっちゃうんだよね」
「ところでさ良子さん知ってる、ヨシ爺のとこへ来たお嫁さん」
「ああ、鶴江さんね。こないだ道で会ったらちゃんと挨拶したよ」
「料理も上手だよ、こないだうちに料理もって来てくれたよ」
「へ~、若いのになかなか気が利いてるね」

田舎では隣といってもすぐ横ではない。少なくとも20メートル以上は離れている。
ヨシ爺は松田吉雄といって私の家の隣にばあさんと二人で住んでいる。
そこの息子が嫁を貰って3月から同居することになったようだ。
人のうわさが一番面白そうだった。世間話が長くなりそうだった。

<竜舞のおじさんのうちへ>
「かあちゃん、おれ先に帰っていいかい」
「うん、先に帰ってテレビでも見ていろ」
「じゃあ、かあちゃん、自転車で竜舞のおじさんとこへ入ってくるよ」
「ああ、何かお土産買っていけ、かあちゃんからよろしくってな」
「うん、それじゃ、夕方には帰るよ」
家に帰りかあちゃんの自転車に乗って、貸してくれるっていった土地を見にいった。
その土地は国道へ向かう小さな道路から20メートルくらいの所にあった。
東にはさっき行った野村さんのうちが見える。
西には生活排水の流れている小さな川があった。
南は5メートルくらい離れてやっぱり農家の野村さん。この辺は野村が多い。
北には野村一族の共同墓地があった。
それほど大きな墓地ではないが50基ほどの石塔が立っていた。
周りは背の高さくらいの木々で囲まれていた。
夜になると墓場の周辺は雑草や雑木で薄暗く不気味な感じがした。


その足で竜舞のおじさんのうちへお礼の挨拶に行ってきた。
アルバイト先の紹介のお礼と大学合格の報告をした。
おじさんから千円、おばあさんから千円、おじいさんから千円頂いた。
小さい頃はお年玉をもらうと全部かあちゃんに渡していた。
お祝い袋には入っていなかったが、合格祝いだといっていた。
竜舞のうちだってそんなに裕福ではない。
年老いたおじいさんとおばあさんが同居している。
おじさん夫婦には高校生と中学生の男の子二人の子供がいる。
おじさんの給料だけで細々と家族6人が生活をしている。

おじさんから貰った千円札は伊藤博文だった。
おじいさんとおばあさんからもらった千円札は聖徳太子だった。
千円札にも歴史がある。この千円札1枚にもそこに人生がある事を感じた。
あのおじいさんとおばあさんがいなければ、自分は生まれていない。
運命の流れのようなものを感じた。命にも連鎖があった。
大学へ受かったことや、両国の会社へ行ってきた経緯を話しお礼を言った。
世間話は苦手なのでおじさんの家にいたのは10分くらいだ。

空っ風の中を自転車で走った。あたり一面は田んぼと畑ばかりだった。
倒れかけたうちに帰ってきたのは夕方6時ごろだった。
かあちゃんが戻っていた。何事もなかったように内職をしている。
かあちゃんは食事の用意には時間をかけない。
一度に何種類かの煮物を作っておきそれを煮直して出すだけだ。
それと白菜やきゅうりや大根を塩漬けにしておく。
2~3枚食べればご飯がいっぱい食べられるほどしょっぱかった。
父ちゃんだけにはいつも何かおかずが一品多かった。

「おじさんいたか?」
「うん、お祝いに千円貰ったよ」
「へ~え、おじさんよくそれだけ出したな、それは自分で使え」
「おじいさんとおばあさんからも千円ずつ貰ったよ」
「へ~、珍しいな、じいさんもばあさんも千円出すなんてめったにねえぞ」
「うん、聖徳太子の千円札だったよ」
「それ、だいぶ前にかあちゃんが上げた奴じゃねえかな」
「かあちゃんも親にお金上げた事があるんだ」
「おじいさんの還暦祝いだったかな。へそくりから千円出したんだよ」
「じゃあ、それが戻ってきたんだ」
「そうかもしれねえな、大事に使えよ」
「かあちゃんに返そうか?」
「いいよ、おまえ使え、同じ千円でもだいぶ貫禄が違うな」
聖徳太子の千円のほうが伊藤博文よりずっと価値があるように見えた。

家にはまだ誰も帰っていなかった。
今日の大穴の事や家の事は、みんなにどうやって話すんだろうと思っていた。
「父ちゃんどこへいったん?」
「明日の売る分を仕入れに出かけたよ、7時ごろには帰ってくるよ」
「かあちゃん、今日の事はみんなに話さなけりゃ何ねえだろう」
「う~ん、明日さ野村さんの兄さんに、色々聞いてからにすんべ」
「じゃあ、今日はどうするん。家の事は話すんかい」
「家の事だけはな。あとは普通にしてればいんじゃないか」
「大穴の事はどうするん?」
「父ちゃんにも言っておいたけど、内緒にしな。たかしもまだ黙ってろ」
「じゃあ、家を建てるお金はどうしたって言われたら」
「野村さんに毎月少しずつ返していくんだよって言っておくよ」
「かあちゃん、なかなかやるな」
「だてに50年生きているわけじゃねえよ」
「明日有休とってあるから、かあちゃんと一緒に棟梁から話聞いていい?」
「いいよ、色々聞いてみんべえ、贅沢やわがままを言わなけりゃ何とかなるよ」

その夜は何事もないように過ぎた。
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