第17話〈幼馴染から恋人へ〉

文字数 4,977文字

クリスマスの日は朝から曇り空だった。
学校は冬休みに入り、子供や中高生の姿が目に付く四条通には、クリスマスソングと笑顔が溢れている。
四条通のアーケード下の歩道は、行き交う人で混雑し、前に進むのに苦労する有様だった。
純一は四条河原町交差点に向かう、待ち合せの高島屋百貨店前には既に弓子の姿があった。
弓子も純一の姿を見つけ、歩み寄って来ながら四条大橋の方角を指さしていた。
軽く挨拶を交わすと、弓子の案内で四条大橋を渡り、年末の吉例顔見世興業の千秋楽を間近に控えた南座の前を通り過ぎて路地に入る。
路地を進んで角を曲がり、お茶屋の並ぶ花見小路に出る手前の、一軒の大塀造りの和風家屋の前で弓子は立ち止まった。
出格子窓の横に、両開きの格子戸の門が在った、純一がよく見ると、門の横に木目の綺麗なプレートが掛かっていた。
「此処です」
「これが、店なの?」
プレートには『むべ』と彫刻されていた。
「分かり難いでしょ、此処のお庭、吉田造園がお世話をさせて頂いているのよ」
「そう、どんな店なの?」
「京都の食材を使った、軽いお食事のできる店、それと、丹波の黒豆を使ったデザートが美味しいのよ」
「ふーん、僕らの歳だと入り難い感じだな、第一、場所が分かり難いよ」
「わたしは其処が気に入っているんだけど……、知るひとぞ知る、そんなお店なのよ」
「よく来るの?」
「悩み事や、考える事があるとね、でも、独りでよ……、さぁ、どうぞ」
律子は勝手を知っているのか、自分で玄関戸を開けると、「こんにちは、小林です」
衣擦れの音がして和服姿の女性が玄関框に姿を見せる。
「弓子さん、よおおこし、さあどうぞ……」
住居をそのまま利用した座敷の先には、縁先の大きなガラス戸越に坪庭が見える。
円い座卓が庭に向けて三卓配置され、卓と卓の間は低い和風衝立で仕切られている。
座椅子の上には、小紋染めのふっくらとした座布団が置かれていた。
周りをよく見ると、庭を挟んだ向こう側の部屋にも、同じような席が設えられていたが、客の姿はなかった。
案内されて座敷に踏み入れると、衝立越しに白髪が印象的な老人カップルの姿が目に入る。
純一と弓子が座卓に向かうとき、上品な老人男性と視線が合った。男性は笑顔でふたりに軽く会釈をした、ふたりも会釈を返して、衝立越しに一卓置いて端の座卓に付いた。
「ようこそ弓子さん、お昼の、おきまりでいいのかしら?」
「はい、お願いします。ママさん、紹介します」
純一は自分から名乗った。
「初めまして、玉木純一です」
「友里恵と申します、どうぞよろしう」
「純一さんは、父の会社の社長さんの孫になるんですよ」
「あら、杉山さんのお孫さん?」
「祖父をご存知なんですか?」
「ええ、お祖父様や弓子さんのお父様には、色々とお世話になっているんですよ、それじゃあね、直ぐに、ご用意させて貰いますね」
「お願いします」
長身で和服の似合う、細身の友里恵だった。
「この辺りの店だから、元は芸妓さんかと思ったけど、ママさんは京都弁じゃないよね?」
「東京が長かったらしいの、有名なクラブのママさんだったのよ」
「へぇ!、どうして京都に?」
「あまり詳しくは知らないけど、ママさんが子供の頃、家のお祖父ちゃんと知り合いだったらしいのよ、それで、ママさんがこの家を買うときに、庭の手入れのこともだけど、杉山の小父さんと父が色々と相談に乗って上げたらしいの」
「ふーん、綺麗に歳を取っておられるね……」
「お父さんより上らしいから、六十台半ばじゃないかしら……」
「見えないな、粋筋のひとは、歳がよく分からないし、詮索するべきじゃないね、それより、昨日も予定が無かったの?、クリスマスイブなのに……」
「残念だけど……、純一さんが誘ってくれないから……」
「遠慮していたんだよ、だから、今夜は食事を一緒にしようって、誘っただろ?」
夫婦と思われる老カップルの、穏やかな会話の声と時折聞こえる控えめな笑い声が気持ちを和らげてくれる……、楽しそうだった。
「そうだったわ、何処に連れて行ってくれるの?」
「それは内緒だな、どうと言う処じゃないよ」
「そう、あのね、純一さんにプレゼントがあるのよ」
「ほんと、嬉しいけど、僕は準備をしてないよ……」
「いいの、この腕時計、気に入っているの、お礼をしていなかったから」
弓子はトートバッグから包みを取り出す。
「はい、クリスマスプレゼント……、今年はまだ学生だから、高価な物はプレゼントできないけど……」
「無理をしなくてもいいのに……」
純一はリボンを外して包みを開く。
「ビー.エアー(サックス用ネックストラップ銘柄)だな、弓ちゃん、これ高かっただろ?」
「柴野さんに訊いたら、純一さんは、デ.ジャックスのストラップは持っているから、これがいいんじゃないかって、取り寄せて下さったの、もし、わたしがバンドにクラリネットで加わることになったら、純一さんはアルトサックスを主楽器にするんでしょ?」
「うん、柴野さんから聞いたの?」
「そうなの、アルトサックスの注文を貰っているから、ストラップのサイズはそれでいいんじゃないかって、アドバイスして下ったの、気に入って貰えた?」
「勿論、欲しかったんだ、ありがとう、弓ちゃん……」
「弓ちゃんって呼ばれるの、久し振りだわ」
「今、そう言った?」
「うん、二度も、でも懐かしいし、嬉しい感じがする……」
「そう云えば、弓ちゃんが大学に入ったときに自分から言い出したんだぞ、もう幼馴染の子供じゃないから、ちゃんは止めようって……」
「そうだった?、どうして、そんなことを言ったのかしら……、もう大人なんだって、背伸びをしたかったのかも知れないわね、それを、純ちゃんに知って貰いたいと思ったのかも……」
「いい機会だから、クリスマスの記念に元に戻そう……」
「ほんとに?、何か嬉しい……」
器用に、四角い盆を両手にひとつずつ持った友里恵が、座敷に入って来た。
「お待たせしました、お話しが弾んで楽しそうね?」
「ママさん、今日は、お客さんが少ないんですね?」
「弓子さん、クリマスですよ、普段でも少ししかお客様の見えないお店ですから、余程の方しかお見えになりませんよ」
「友里恵さん、わたし達は余程の者なんだね?」
衝立越しに老人男性の声がした。
「あら、いいえ、失礼しました、門脇さんご夫婦は特別ですわ、お客さんじゃありませんから……、直ぐにデザートをお持ちしますので……」
「はい、どうぞ、弓子さんも玉木さんも、ごゆっくり……」
腰を浮かせた友里恵は、隣席の老夫婦に軽く会釈をして座敷を出て行く。
純一は、濃淡の藍色と茜色を使った紬の着物と栗色の帯の友里恵の後姿に見とれていた。
「ママさん、素敵でしょ?」
「うん、ほんとに還暦過ぎてるの?、信じられないなぁ……」
「ほんとにね、純一さんのお母さんも凛とした感じで素敵だけど、ママさんは、しっとりした感じで素敵、わたしはどっちのタイプを目指そうかな……」
「まだまだ先の事だよ、それより綺麗な料理だな、味付けは京風なの?」
「そうよ、ママさんは中学を卒業するまでは京都に住んでいたって、父から聞いたことがあるわ」
ふたりは暫く黙って、昼のおきまりの料理を食べていた、途中、デザートを老夫婦に届けた友里恵が、戻りに純一たちの席に寄る。
「弓子さん、今日のはどうかしら?」
「美味しいです、わたしはママさんの料理がとても好きです、父も気に入っているみたいですし」
「省吾さんは、お元気にしておられますか?」
「はい、純一さんのお祖父さんがとても元気ですから、自分は、まだまだひよっこみたいなものだと言っています」
「そう、門松作りなんかでお忙しいと思うけど、また、お顔を見せて頂けるように伝えて下さい」
「はい、伝えます」
「じゃあ、デザートを後で……」

食事を終えたときだった、門脇と呼ばれた老人が衝立をずらして声を掛けて来た、純一も、後ろの衝立を老人の姿が見える位置まで動かす。
「お邪魔しますのやが、おふたりは吉田造園に縁のあるお方ですかな?」
「はい、わたしは、社長をしている杉山辰治郎の孫になります、玉木純一です、彼女は吉田造園の専務の吉田省吾さんの娘の弓子さんですが……」
老人の後ろで老婦人が優しく微笑みながら純一達を見ている。
「そうですか、辰治郎はんのお孫さんと、省吾くんの……、それはそれは、ええご縁ですな、いや、此処でお遇い出来たんもご縁というもんやな、それは目出度いことや……、ああ、お寛ぎの処、お邪魔しましたなぁ、ほな、ごゆっくり、友里恵さんの今日のデザートも美味しいですよ、じゃぁ」
そう言うと、衝立を元に戻して、老夫婦はゆっくりと帰り支度を始める。
老夫婦が立ち上がると、夫人の方が、少し背が高く、やや前屈みの老夫を庇う様な様子が窺えた。
門脇老人が「それじゃぁ、ごゆっくり、お先に」と言い、夫人は丁寧にお辞儀をして、座敷から出で行った。
「純ちゃん、あのふたり、勘違いをしていたみたいね?」
「門脇さんか……、どんなひとなのかなぁ……、それと此処のママさんも、杉山のお祖父さんや弓ちゃんのお祖父さん、お父さんも知っているし、何か一世代前のひと達に遇った気がするな、不思議な感じだよ」
純一は、お茶をひと口飲むと、真面目に弓子の顔を見た。
「弓ちゃん、勘違いじゃないと思うよ」
「えっ、何のこと?」
「此処に来たのは、良い縁に間違いないから」
「どういうこと、よく分からないけど」
純一が答えようとしたとき、玄関で老夫婦を見送った友里恵がデザートを持ってやって来た。
「門脇さんご夫婦が喜んでおられたわ、そうだったのね?」
弓子は怪訝な表情で友里恵と純一を見ていた、純一が言った。
「ママさん、門脇さんは、どんな方なんですか?、杉山の祖父のことや吉田の小父さんのこともご存知でしたが、それに、お客さんではないって?」
「辰治郎さんとは幼馴染ですよ、わたしの父と弓子さんのお祖父様の修蔵さん、この四人はね、若い頃は良い事も悪い事も何でも一緒に……、門脇さんは現役の頃、色々な事業をしておられました、今は息子さんに譲られてご隠居さんですが、わたしも省吾さんも、門脇さんの息子さんの義彦さんとよく遊びましたよ、貴方のお母様の静香さんは大人しくて、何時もスケッチブックを持っておられました、わたしはお転婆でしたからね、省吾さん達と走り回っていたんですよ」
「そうなんですか、母もご存じなんですね?」
「むかしのことですよ、暫くお会いしていません……」
純一は興味深く聴いていた。
「ママさんがお転婆だったなんて、想像できませんね?」
「そうだったんですよ、静香さんは、ずっとわたし達が騒いでいるのを傍で見ておられましたから、訊いてみられたら?、よく覚えておられる筈ですよ」
「知りませんでした、弓ちゃんは知っていたの?」
「いいえ、其処まではて……」
「よろしいわね、わたしには子供がいませんから、わたしも嬉しいですよ、静香さんと省吾さんの子供さんがねぇ……」
弓子が言った。
「ママさんも門脇さんご夫婦も、何か勘違いをしておられませんか?」
「あら?、違うの?」
「いいえ、違っていません、ありがとうございます」
「純ちゃん?」
「駄目なの?」
「嘘!」
「どうなの?」
「どうなのって……」
「あら、玉木さん、此処で告白をなさっているの?」
「ママさん、門脇さんは僕たち二人のことを、良いご縁だと言って帰られました、僕らも、そう思っていいですよね?」
「それはそうでしょ、でも、いいのかしら、こんな場所で?」
「純ちゃん、本当なの?」
「うん、今夜の食事の場所は僕の家なんだ、両親に伝えようと思っている……、こんなクリスマスプレゼント、どうかな、受け取って貰えると信じているんだけど」
「純ちゃん、本当は今日わたしが言おうと思っていたの……」
「えっ、何て?」
「言っていいのかな……、何時かお嫁さんにして貰えないかって……」
「ほんとに?」
「あら、どうしましょう、わたしがこんな処に居てはいけないわね」
「いいえ、僕たちは今約束をしましたから、証人になって下さい、僕たちの家族とも関わりのあるママさんですから、いいでしょ?」
「そう、わたしまで嬉しくなってきたわ、いいですよ、喜んで証人にならせて貰いますよ、おめでとう……」
友里恵は胸の前で両掌を合わせ、微笑みながら若いふたりを見つめていた。
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