第19話〈ふたりの秘密〉

文字数 4,680文字

純一は、弓子を自宅に連れて帰る途中、母の静香に頼まれたクリスマスケーキを、弓子に選んでくれるように頼んだ。
弓子はシンプルな苺のケーキを薦めた。
純一は、苺のデコレーションが一面に並んでいる、店で一番大きな苺ケーキを選ぶ。
「母に頼まれていてね、小さな子供もいないのに、変だと思うだろ?」
「大人でも、そんなにケーキを食べる機会がある訳じゃないから、いいと思うけど」
「父が好きなんだ、焼酎も飲むし、甘いケーキも大好き、変な大人だよ」
「ねえ、わたしが行くことは話してないのよね?」
「うん。まだ、僕たちが正式に付き合うことは内緒にしておこうか?」
「どうして?」
「うん、それとなく知って貰う方がいいかと思って?」
「そうね、こんなに身近な相手だと分かったら驚かれるかも知れないわね、多分、うちの両親もそうだと思うわ」
「じゃぁ、一応、そういう態度で」
「分かったわ、秘密みたいで、何だか、わくわくするわね?」
「そうだね、楽しもうよ、家の誰もが僕に恋人なんか出来ないと思い込んでいるんだ、少しは驚かせてやりたいんだよ?」
「ええ、いいわ」

純一達が帰宅すると、既に夕食の準備は終わり、静香は良雄の晩酌の準備をしている処だった。
「小母さん、こんばんわ」
「あら、弓子ちゃんやないの、どないしはったん?」
「お母さん、町で偶然会ったんだ、弓ちゃんが、クリスマスなのに予定が無いって言うから一緒に……」
「それはかめへんけど、ほんまに予定がないの?」
「はい、四回生ですから、友達もみんな忙しそうですし、最後の休みですから、田舎に帰えらはったひとも多くて……」
「そう、ほな、ゆっくりして行ったらええわ……、純一、今夜は座敷に準備してるさかい、お父さんは始めてはるえ」
「いいよ、これ、クリマスケーキとシャンパン」
「こないな大っきいの、誰が食べんの?、高かったやろ?」
「みんなで食べればいいじゃないか、まぁ、お父さんが半分は食べるよ」
良雄が顔を覘かせた。
「そうや、食べるで、楽しみにしてたんやから……、いらっしゃい、珍しいなぁ弓子ちゃん、どないしたん?」
「小父さん、こんばんわ、お邪魔しています、純一さんと偶然、町で会って……」
「そうか、そらありがたいなぁ、賑やかでええわ、三人やったら寂しいクリスマスのとこやった、純一の客も来るらしいし、さあさあ、座敷の方に来たらええ」
「はい……、小母さん、お手伝いすることありませんか?」
「おおきに、もう出来てるさかい、わたしも席に付きます、さあ、行こ行こ……」
「ちょっと、着替えてくるわ」
純一は急いで自分の部屋に戻る。
着替える前に、何時もの決まった動作でパソコンを立ち上げる。着替えを済ませてメールをチェックすると、意外なひとからメールが入っていた。
取りあえず、メールはそのままにして座敷に戻った。
良雄は焼酎で、三人は買って来たシャンパンで乾杯をする。
良雄が嬉しそうに言った。
「クリスマス云うより、忘年会やな、弓子ちゃん、展示会のときは、お世話になったなぁ、助かったで」
「いいえ、でも、成功だったんでしょ、良かったですね」
「何か、お礼をせなあかんなぁ」
「いいですよ、純一さんから、こんな素敵な時計をプレゼントして貰いましたから、ありがとうございました」
静香が、腕時計を覗くようにして言った。
「弓子ちゃん、それは純一がプレゼントしたんや、わたし等からも、何かお礼をさせて貰わんと悪いわ」
「いいです、たいしたお手伝いはしていませんし」
静香も言った。
「そないなことない、ほんま、助かりましたえ、受付や駅までの送り迎えの運転手までさせてしもて、ほんま、お父さんが言わはるまで、気ぃつかへんかった、なんもお礼せんと、かんにんえ」
「いいですよ、吉田造園の仕事にも繋がる展示会ですから、当然や思ってやりましたから、ほんとにいいです」
「ほな、まぁ、小母ちゃんが勝手にさせて貰いまひょか」
「お母さん、それにしても、何で、こんなにたくさん唐揚げを作ったの?」
「あんたが、お友達を連れて来る、言わはったやないの?」
「だから、そんなに大食いを連れて来る予定は無いて言ったのに……」
「ほいでも、来はるんやろ?」
「いや、来ないよ、お客は弓ちゃんだけだよ」
「なんえ、偶然、遇うたんと違うんかいな?」
「そうだよ、弓ちゃんと会ったから、友達を呼ぶのを止めたんだ」
「あら、ほな、弓子ちゃんに、たんと食べて貰わなあかんなぁ?」
「無理ですよ、小母さん、でも、とても美味しいです」
「そうか、嬉しいわ、ほんま弓子ちゃんが来てくれはって、賑やこうなって良かった、治美は夜勤やし、幸一は彼女の処やし、お父さん、この家もだんだんと寂しなりますなぁ……」
「何でや、結婚する云うても、みんな市内やないか、まぁ見とってみ、来るな言うても来るようになるさかい」
「そうや、純一、憲司さんとこの律子さんから、あんたに何やら伝言があるらしい云うて、幸一から電話で連絡があったえ」
「そう、何だって?」
「何や、お礼を言いたいらしいえ、又、連絡する言うて切りはったけど」
「お母さんと律子さんは話さなかったの?」
「幸一が、近いうちに連れて来るらしいんや、その時に紹介する言うてたわ」
「兄さんと律子さんのことはオープンなの?」
「幸一は、まだ向こうさんのご両親に話してへんのと違うやろか、それからと云うことやないやろか……」
「まぁ、直ぐに結納をして結婚じゃないからね、先ずは正式に付き合いを始めるってことだから、兄さんが連れて来るなら、そのときに話すだろ」
良雄が言った。
「そうやな、ゆっくり見といたらええんと違うか、お父さんもお母さんも、そう思てるけどな」
「それでいいと思うよ、兄さんも今は仕事の方が優先だよ、ねぇ、そう云うことで大食いの友達は来ないから、この唐揚げ、明彦くんにお土産に持って帰って貰ったらどうかな?」
「そうやなぁ、置いといたら油が浮いてくるさかい、早よぉ食べた方がええわ、弓子ちゃん、持って帰ってくれはるやろか?」
「はい、明彦は大好物ですから、遠慮なく頂いて帰ります、喜ぶと思います」
良雄が言った。
「弓子ちゃん、それなぁ、丹波地鶏なんやで」
純一が、良雄と唐揚げを交互に見た。
「嘘!、家で丹波地鶏の唐揚げなんて初めてじゃない?」
「お父さんが奮発しはったんや、あんたが、お客さんを連れて来る言うさかい」
「ごめん、そんなに気を遣うことはなかったのに、でもまぁ、明彦くんは喜んでくれるよ、改めて丹波地鶏と聞いて食べると、ほんとに美味しいな」

弓子を交えたクリスマスの夕食は楽しいものだった。
食事の後、純一の淹れたコーヒーで、30センチはある大きなケーキを三人で半分近く食べ、静香がケーキの四分の一を取り分けて、唐揚げと一緒に弓子に持たせた。

純一は弓子を地下鉄の駅まで見送った。
「楽しかった、今までで一番思い出に残るクリスマスになるかも知れないわ、でも、あれでよかったのかしら」
「いいよ、感性は豊かな夫婦なんだ、気付いていれば、多分喜んでくれていると思うよ、帰ったら、どんなことを言われるか楽しみだよ……、今日はありがとう、これから宜しくね」
「わたしも、宜しくお願いします」
「そんなに変わらないと思うけど、やっぱり、今までどおりじゃないのかなぁ……」
「今までどおりじゃないと思うけど……」
「まぁ、コーチャンズのこともあるし、楽しく行こう?」
「ええ、わたしも仕事を頑張って、早く慣れるようにするわ」
「ねえ、訊こうと思っていたんだけど、どうして、外に働きに行くことにしたの?」
「父がね、一度は他人の下で働きなさいって、将来は吉田造園に戻って、事務所を手伝って欲しいらしいの……」
「それはそうだな、吉田の小父さんも、若い頃、金沢の方に修行に行っておられたって、お祖父ちゃんから聞いたことがあるよ……、弓ちゃん、ちょっと待って」
「なぁに?」
「唐揚げの袋、もっときつく縛ろう、少し匂うよ」
「そうかしら、乗っている時間は少しだし、今夜はチキンのフライドチキンなんかを買って帰る人も多いでしょ、少しくらいは気にならないけど……」
純一は、唐揚げの入ったポリ袋の口を、隙間の無いように、しっかりと結び直して手提げの紙袋に戻した。
「これで少しは大丈夫」
「ありがとう」

純一が家に戻ると、良雄は既に部屋に戻り、静香が台所で食器を洗っていた。
「外は、寒かったんと違う?、弓子ちゃん、薄着してはったけど、大丈夫やったんやろか?」
「少し飲んで暖かいって言ってたから大丈夫だよ、コーヒー、残ってる?」
「冷めたけど、あんたの分くらいやったら、あるんやない……」
「じゃあ、レンジで温めるか……」
純一は、陶製のポットからカップにコーヒーを入れて電子レンジに入れる。
「昔に比べたら、あんたも食べへんようになったなぁ、弓子ちゃんに持って帰ってもらえへんかったら、よおけ余ってたわ」
「連れてくるとしても、大学のラグビー部員じゃないんだから、そんなに作ること無かったのに」
「そやなぁ……、みんな昔より歳とってるんやもんな……」
純一がカップを持って食卓の前に座ると、静香も茶筒から葉を急須に入れる。
ポットの湯を注いで、湯飲みと急須を持って、食卓を挟んで純一の前に腰かけた。
「人通りは多かったんやろ?」
「うん、でも、以前のようなことは無いね、日曜ということもあるのかな……」
「それにしても、改めて見ると、弓子ちゃんも大人にならはったなぁ……」
「小さな頃から見ているから、成長が分からないんだろ……」
「弓子ちゃん、あんたのこと、好きなんと違う?」
「明ちゃんも弓ちゃんも、あの姉弟とは子供の頃から仲良しだよ」
「大人の女性としてですがな……」
「まぁ、好意は持ってくれているだろな……」
「あんたは、どないやの?」
「同じだよ、好意は持っているよ」
「それだけかいな?」
「あんた、長いこと彼女がでけへんのやろ、居てへんのやったら、どうやの?」
「だから、僕のことは心配はしないでいいよ」
「そうか?、弓子ちゃんは、ええ娘はんや思うけどなぁ……」
「お母さん、今は、治美のことを考えてやらないと、夏目さんの処の希望だってあるんじゃないの?」
「結納のこと心配してんのか?」
「しきたりどおりだったら大変だろ?」
「昭信さんは、それは心配せんでいいですから言うてはったし、お父さんは体調を壊してはって患者さんの診察も覚束へんのに、嬉し気に結婚式に出はんのも、ご近所の患者さんに悪い言うてはるんや」
「それは気の遣いすぎだよね、そうか、跡取りとなると色々と気遣いはあるんだ、治美は嫁として大丈夫なのかな」
「治美は、あんた等兄弟と違ってしっかりしてる、お母さんは心配してへん」
「凄い自信だな……」
「そうえ、娘も息子も、立派に育てた思うてます」
「それは確かだね、感謝しているよ、メリークリスマス……」
そう言って、純一はコーヒーカップを顔の前に上げた。
「もう、冗談で言うてんのと違うんやで?」
「分かっているよ、三人とも親不孝なことはしないと約束しているから、安心してよ」
「そないな事、兄弟で話すことがあんの?」
「治美が、教師志望を変更して看護学校に行きたいって、僕と兄さんに相談したときだよ」
「随分、前のことやないの?」
「そうだよ、それが、治美は立派な看護師としてお嫁に行くし、兄さんは司法書士として再出発だから、お父さんもお母さんも安心だろ?」
「そうや、あんた以外は安心や……」
「もう、ほんとに持てないと思っているんだね、信用してないんだ?、参るなぁ……」
「冗談や、あんたも、ええ息子や、お母さん心配なんかしてしまへんえ」
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