第9話〈似たもの兄妹〉

文字数 4,682文字

珍しく玉木家の全員が揃っての夕食だった。
純一が言った。
「今週の土曜日だけど、セダンを借りていいかな?」
良雄が答える。
「お父さんは構わんよ」
「兄さんは使わない?」
「ああ、いいよ」
「治美は使うとしても軽四があるから、いいな?」
「いいわ、土曜日は乗らないから、お母さん、使ってもいいわよ……」
母の静香が訊いた。
「ええわ、お母さんも使うことあれへんし、純一は何処か遠くへ行くのんか?」
「うん、遠くでもないよ、高雄の方に紅葉狩りって処かな……、じゃぁ借りるよ」
「誰かと一緒やの?、事故せんように気ぃつけなあかんえ、行楽シーズンやから、遠くから、ぎょうさん観光のひとも来てはるよってな」
「大丈夫だよ、バスだと自由が利かないからなんだ……、でも、道路は混むだろうな」

良雄と静香の仕事場は住居から少し離れた町内の公園の傍に在り、一階には小型チェーンブロックが設備された、屋根付きの石材置き場と、作業場を兼ねた良雄の事務所。二階には、静香の資料置き場兼事務所と設計室がある。
治美は夜勤明けの日、病院から帰る途中に、両親の居る事務所に寄った。
「ただいま、お母さん、ちょっと時間いいかしら?」
「お帰り、何やの?、帰る途中やろ、どないかしたん?」
「うん、ちょっと話したいことがあるんやけど……」
「そうか、ややこしみたいやったら、お母さんも家に戻ろか?」
「ううん、そんなに時間は取らせへんし」
「ほな、お父さんに声を掛けてくるさかい、先に戻っときなさい?」
静香は机の上を整理すると、落ち着かない気分で家に帰った。
治美は着替えをせずに、お茶を準備して待っていた。
「かんにんな、忙しいのに……、土曜日の午後なんやけど、お父さんも一緒に会って欲しいひとがいるんやけど………」
静香は、純一から聞いていて良かったと思った、そのことかと思いながら平静を保った。
「そうやの、準備しとかなあかんこと、何かあるの?」
「ううん、病院の夏目先生やから」
「夏目せんせ……、それで?」
「夏目先生は、春になったら病院を辞めはるんや、内科医のお父さんの体調が良くなくて、患者さんを診られへんようになってはるし、それで、後を継ぐことにしはったんや……、今夜、お父さんにも話そう思ってるんやけど、わたしも、春になったら今の病院を辞めることに決めたんや……」
「そうか、夏目せんせの病院に移るんやな、そう言うことやね?」
「ううん、病院じゃないわ……」
「えっ、どういうことなん?」
「夏目先生の処へお嫁さんに行くのよ、いいでしょ?、結婚式は先のことやけど……」
「まぁ、そないな大切なこと、簡単に言わんといてぇな、覚悟はしてましたえ、そやけど、えらい、せいた(急いだ)話しやないの?」
「わたしも、予定より早いと思うてるんや……」
「そりゃあ、お母さんもお父さんも、あんた等兄妹のことは、あんまし面倒を見て来てしまへん……、そやけどなぁ……」
「駄目って、言わへんやろ?」
「言わしまへんけど……、治美が好きになったおひとや、あんたがええんやったら、それでええと思う……、家は、そないな考えの家やさかいな」
「ほな、ええんやね?」
「お母さんは、反対やあらしまへん、ほんなら、お父さんが戻らはったら、今夜、話すんやな?」
「うん、これから少し眠るけど、お母さん、帰ってきたら起こして?」
「分かったえ、ほいでも、ほんまに何にも準備せんでええの?」
「ほんとにええから……」

静香は、仕事から戻ると夕餉の準備にかかる。
治美を寝かせておいてやろうと、支度が終わるまでは声を掛けないことにした。
珍しく幸一が早く帰宅した。自分でポットの湯を使ってお茶を淹れると、湯飲みを持って食卓の前に腰を下ろす。
「お母さん、そのままで聞いてくれるかな?」
静香は流しに向かったままで返事をした。
「なんえ?」
「憲ちゃん処の律子さんと結婚したいと思っているから、伝えとくわ」
静香は手を止めて振り向く。
「また、冗談やろ?、今までそないなこと、ちぃとも聞いたことないえ」
「ほんとだって、直ぐにではないけど、結婚するつもりだから……」
「待ちなはれ、あんた独りで決められることやおへんやろ?、ほんまに冗談言うてんのと違うやろなぁ、おんなじ日ぃに、兄妹して、似たようなことを言わはるから、お母さん驚きやわ……」
「兄妹って?」
「治美や、お昼過ぎに戻ってくるなり、いきなりや、直ぐやないけどお嫁さんに行く言うて、手ぇが掛からんと言えばそうなんやけど、驚きますやろ……、ほいで、その話しは、憲ちゃんも知ってはんの?」
「まだ知らないよ、これから憲ちゃんとお祖父ちゃんに話して、最後が小父さんと小母さんに話すつもりだよ……、結構プレッシャーなんだ」
「あんた、律子さんの気持ちを確かめんと、家族に話してどないすんの?、本人を差し置いて、結婚するつもりやなんて、おかしいんと違う?」
「いや、律子さんの気持ちはずっと前から分かっているつもりだよ、だけど、憲ちゃんに言えなかっただけだよ、純一に言われて決心が付いたんだ、お母さんは異論はないよね?、お父さんはどうかな?」
「あれへんと思うけど、この前、あんたには恋人がいるやろ言うて、純一に、たくみ堂の結香さんを紹介したくらいやねんから……」
「純一に?」
「そうや、色々あって駄目になったけど、あれ以来、仲ようしてはるみたいやで」
「そうか、あいつ、自分のことは何にも話さないから……」
「その話し、お父さんには、どないすんの?」
「別の日に僕が話すよ、それより、さっきの治美の話しは何?」
「まぁ、今夜、分かるさかい、そろそろ起こしたげなあかんわ、部屋に戻るとき、声を掛けたってくれるか?」
「そう、分かった。純一は何時頃帰るのかな?」
「あのひとの帰りは、何時でもバラバラや、よぉ分からへん、気ぃにせんかて、間もなく戻って来はるやろ……」

純一が帰宅したとき、家族の夕食は終わっていて、食卓には誰の姿も見えなかった。
気付いた静香が台所にやって来る。
「遅かったやないの?、ご飯は?」
「ただいま、食べてきたけど、みんなは?」
「治美は、お父さんと話してはるえ、純一、来るべきものが来たって感じやわ、夏目せんせが、明日、家に訊ねて来はるらしいえ、治美は、春になったら、せんせと一緒に病院を辞めるらしいわ、幸一は戻って来て、部屋にいてる」
「そう、遂に来たね、お父さんもお母さんも反対じゃないんだろ?」
「そうやなぁ、何にも口を出す余地はあれへんなあ……、治美な、突然、お母さん結婚決めましたなんえ、びっくりやわ、そうしたら、幸一も帰って来るなり、直ぐやないけど律子さんと結婚するつもりやて……」
「兄貴、律子さんと、どうするって?」
「律子さんと結婚したい思うてるから、伝えとく言うてな、ほいでも、おかしい思わへん?、これから話すらしいんえ」
「誰に?」
「憲ちゃんにも、向こうのご家族みんなにもですがな?」
「はぁ?、何やっているんだ兄貴は、家族より先に律子さんの気持ちを確かめないと駄目だろ?」
「そうやろ、本人は、律子さんの気持ちは前から分かってる言うてはるけどな、長男やからかも知れへんけど、のんびりしてはるわ、上手いこと行くんやろか……」
「それは大丈夫だよ、律子さんは大人しいけどしっかりしているから、妹の美紀ちゃんもそうだけど、あの家は憲司さんだけが鈍くさいんだ、兄さんと一緒だよ……」

家の電話が鳴って、静香が玄関間に行き、純一はコーヒーを淹れる準備に掛かった。
コーヒーの入ったマグカップを手にして、自分の部屋に戻ろうとしている処に静香が戻って来た。
「誰からなの?」
「省吾さんからや、お礼を言わはるから、何のことやら分からへんし、戸惑いましたがな?」
「何だって?」
「あんたも、惚けてからに……、今日は弓子さんと一緒やったんやろ、それならそうと言うときなさい、返事に困るやないの?」
「だって、知らないひとじゃないし……」
「そやかて、弓子さん、えろう喜んで帰って来た、言うてはったえ?」
「それは、帰りに寄って食べた湯豆腐だよ、美味しいって言っていたから……」
「そうやろか?」
「小父さん、何か言ってた?」
「省吾さん、今日まで、あんたが弓子さんに時計をプレゼントしたこと、知ってはらへんかったみたいやで、時計をプレゼントして貰ろたうえに、今日は弓子がお世話になってすんまへんでした言うて、恐縮してはったえ」
「それだけ?」
「後は、仕事のことでお父さんに伝言や、何かあんの?」
「いや、無いよ、みんな風呂は済んだのかな?」
「お母さんだけまだやけど、先に使ってもええよ」
「三十分くらい後に入るけど、いいかな?」
「どうぞ、自動車、混んでたやろ、疲れたんと違う、早よう入って休んだら?」
「うん、明日はバンドの練習が午後だから、ゆっくりでいいんだ、それより、お父さんと治美の話しは上手く行ってないの?」
「そんなこと無いやろけど、お父さんが戸惑ってはるだけやろ……、言うたやろ、突然なんやから、お母さんかて、ほんまは戸惑ってますがな、病院を辞めて、結婚式もせんと夏目せんせの処に行くんやさかい、普通の家やったら許されへんことや、家やから好きに出来るけど……」
純一はマグカップのコーヒーを飲んだ。
「それはそうだと思うよ、だから逆に、みんな自分でさっさと決めるんだよ、兄さんは別だけどね」
純一は部屋に戻るのを止めて、椅子に腰を下ろす。
「幸一だけやろか?、あんたも、ゆっくりしてるんと違うの?、ちぃとも彼女の話しなんかせえへんから、周りのおひとが世話をやかはるんやで」
「結香さんみたいなひとに、恋人が居ない訳がないのに……」
「それは、結香さんのお母さんが気ぃ付かはらへんかったからやろ、仕方ないやおへんか、どっちにしたかて、みんながあんたの心配をしてくれてはるんや」
「それはそれでありがたいけど、心配は無用だから、まぁ婚約をするとしても、二年か三年先になるかな……」
「あんたも幸一と一緒かもしれへんな、三十過ぎるんやろな?」
「今どき普通だよ、友達だって結婚しているのは二、三人だよ、三十で勤続八年だろ、それでも食べていくのは大変だよ?」
「そう言えば、夏目せんせも三十五やて、弓子が言うてたわ」
「そうだろ、でも、お医者さんは僕らより高給だと思うよ」
「言うても、これからは町の開業医やで?」
「夏目医院は近所に病院が無いし、商店街のひとにとっては身近な病院だろ、それもあるから、洛中病院を辞めて、お父さんを継ぐことにしたんだと思うよ、どうせ弓子も手伝うんだろ、遣り甲斐はあると思うけどな……」
「そうやなあ、そう云うのも大切なことや……」
「そうだよ、お母さんだって、今の仕事に遣り甲斐を持っているから、先進的で若い発想をしているし、柔軟に物事に対処できているんじゃないのかなぁ……」
「柔軟かどうか、あんた等には手を抜いているだけかも知れへんえ」
「いや、それは無いよ、僕らが必要だと思う時には、何時も相談に乗ってくれたし、不安があっても、前向きなことには絶対に反対はしなかっただろ、それって、お父さんもだけど、何時も新しい物事に挑戦しながら創作活動をしているからだと思うよ……」
「あんた、今夜は、調子がいいんやね、営業をやりだしたからやろか?」
「よく言うよ、真面目にコメントしたのに……」
「堪忍、堪忍、そろそろ弓子も終わるやろ、あんた、風呂、使いや」
「そうだね、喋っていたら三十分経ったな、じゃぁ風呂に入ってからやるか……」
「仕事やの?」
「いや、楽譜をね……」
純一は、クラリネットのケースとジャケットを手にして自分の部屋に戻る。
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