第6話〈三件の電話〉

文字数 3,770文字

月例の販売会議が終わり、就業後に営業部員は揃って飲みに行くことになった。
純一が会議室から事務所のデスクに戻り、退社準備をしていると、通勤用のショルダーバックの中の携帯が控えめに鳴動していた。
取り出して着信を見ると、二件のメール受信と一件の伝言メモがあった。
発信者だけを確認して携帯をバッグに戻すと、仲間と一緒に玄関ホールに向かった。

居酒屋での飲み会がお開きになったのは午後八時前で、若い部員がカラオケに行くと言い出した。
部長と課長、主任二人、既婚の女性部員三名を居酒屋の前に残して移動を始める。
純一は一人だけ付いて来ていた主任に、所用があるからと言って途中で抜けた。

着信記録は三人とも女性だった、夜遅くなっての電話は良くないと思いながら、歩道沿いのビルのエントランスで、純一が最初に電話をしたのは小林美紀だった。
「どうした?、部活で何かあったのかい?」
「純一先輩、こんばんわ、突然ですけど、今度、お家以外の場所で会ってくれませんか?」
「小林とふたりでか?、新しいフルートでも買うのか?」
「違いますよ、家じゃない場所で、純一先輩に話しを聞いて欲しいんです」
「家じゃない場所でか……、よーし、分かった、何処がいい?」
「京都駅の大階段の横のカフェでもいいですか?」
「学校の帰りだな、いいぞ」
「じゃぁ、明日でもいいですか?」
「そんなに急ぐことなのか……、いいよ、時間は作るよ、何時がいい?」
「わたしは急がないけど……、四時半くらいならどうですか?」
「分かった、それより演奏会の曲はマスターしたのかい?」
「二曲は完璧です、もう一曲は猛練習しています」
「そうか、じゃぁ明日の四時半だね、了解、お休み」

次に沢見結香に電話をかける。
携帯番号は『進藤』に食事に行った帰り、食事のお礼をしたいからと言われて交換してあった。
「結香さん、遅くなって済みません、会議と飲み会でこんな時間に……」
「いえ、そんなに急ぐことじゃないんですけど、ちょっと気になったので……」
「この前の事で?」
「違います、母が父に話している中で出て来た女性のことで……」
「僕に関係があるんですか?」
「分かりません、訊いて宜しいですか?」
「ええ、どんなことですか?」
「純一さんの親戚に、玉木治美さんという方は居られますか、洛中病院の看護師さんなんですけど?」
「治美は妹ですけど?」
「やっぱりそうですか……、母がその方と連絡を取ろうとしているんです」
「どうして?」
「先月の初めなんですけど、母は筋腫の摘出で入院をしていたんです、そのときの担当看護師さんが、玉木治美さんだったそうです、気立てのいい素敵な看護師さんだったから、兄のお嫁さんにどうかって、それで、声を掛けてみようかしらって、父に話していたんです……」
「待って下さい、妹には、確か、好きなひとが居ると思うけど……」
「そうですか、そうですよねぇ、素敵な方なら当然ですよね」
「まぁ、普通の妹ですけど……」
「やっぱり、お訊きして良かった、母にはそう伝えます」
「そう、何か悪いことしたみたいな感じだな……」
「それは無いですよ、わたしは純一さんのご家族じゃないかと思っていたんです、それで、お電話を……、妹さんにご迷惑をお掛けしなくて良かった……」
「本人は、聞けば喜びますよ、でも良かったですね、田巻先生の処で僕と会っていて」
「そうですね、会っていなかったら、ややこしいことになっていたかも知れないわ」
「結香さんも、早く彼のことを両親に伝えた方がいいですよ?」
「そんな……、まだ決めてないですよ」
「そうかな、早く伝えておかないと、結香さんに紹介をしたひとが、両親に叱られることになりますよ……」
「……そうですね、お付き合いが進んでから、突然伝えることになれば、そうなりますね、アドバイスありがとうございます、考えてみます」
「話しは違うけど、小林律子さんから、何か聞きましたか?」
「律子さんとは親しいんですか?」
「まぁ、柏木音楽堂で練習をしているんでしょ?」
「はい、そうか、わたしもあそこで純一さんを見たんですものね、別に何も聞いていませんけど、何か?」
「いや、それならいいんです」
「そうだわ、今週末に、お食事をお誘いしてもいいですか?」
「気にしないでいいのに……、でも、歓迎ですよ」
「じゃぁ、またご連絡します、すみませんでした」
「いえ、役に立てたのなら……、それじゃ、また」
「はい、おやすみなさい」

純一が最後に電話をしたのは弓子だった。
電話をすると弓子は直ぐに出た。
「純一さん、もう、お家ですか?」
「いや、河原町通のボーリング場の近く、でも、もう帰るところだから」
「ごめんなさい」
「いや、急な飲み会だったんだ、みんながカラオケに行くって言うから、抜けて帰ることにしたんだけど、電話、遅くなってごめん、どうしたの?」
「ううん、特には無いけど、就職祝いのお礼を言いたくて……」
「いいよ、この前、言ってくれただろ、高校の進学祝いを大切に使ってくれていた御礼だよ」
「明彦が、羨ましがっているのよ」
「言っといてよ、卒業して就職が決まったらプレゼントするって……」
「ほんとにいいの、そんなこと言って?」
「いいよ、僕の弟みたいなものだから、だから、しっかり勉強しろって、そう伝えておいて?」
「喜ぶわ、明彦も、純一さんをお兄さんみたいに思っているから……」
「弓子さん、卒論は進んでいるの?」
「ええ、少しずつ進めていたから大丈夫です」
「そう、じゃぁ、ちょっと早いけど、紅葉を観に行こうか、弁当を持って?」
「ほんとに?、行きます、お弁当はわたしが作ってもいい?」
「大歓迎、また連絡するよ、そうだ、クラリネットを持って行こうか?」
「紅葉を観ながら演奏するの?、素敵……」
「じゃぁ、電話ありがとう、また」
「はい、おやすみなさい、気を付けて帰って下さいね」
「うん、分かったよ、おやすみ」

電話がよくかかって来る日だった。
帰宅して部屋でコーヒーを飲みながら、年末にバンドが予定しているライブのスコアを整理していた。携帯が鳴ったのは11時近くだった。
電話はバンドリーダーの香田優作だった。
「遅くに悪いな、ちょっと相談なんだ?」
「ああ、香ちゃん、今日は相談が多い日だな……」
「何かあったのか?」
「いや、こっちの話、こんな時間に何?」
「うん、クリスマスの話しなんだ、親父の会社のクリマスパーティーで演奏してくれないかって、飲み食いと交通費を出すって言っているんだ?」
「へぇ、親父さん管理部長だったな、うちのバンドの演奏でいいの?」
「それなんだ、ジャズもいいけど、静かな曲もって希望だ、四割は女性社員らしいからな、それも三十から四十代だ、もうひとつ、ダンスが踊れる曲を所望なんだ……」
「静かな曲とダンス……、どんなシチュエーションなの?」
「ああ、説明不足だった、最初は立食式のパーティー、二部がカクテルパーティーで、ダンスフロアを設けるらしい、会社にダンスクラブがあるらしいんだよ」
「香ちゃん、ライブが十一月の勤労感謝の日だろ、うちのレパートリーでダンスミュージックは無理じゃないか?、ダンスって、ルンバもあればチャチャチャとかフォックストロットとかあるんだろ、ワルツは何とかなるとしても……」
「任してくれよ、アレンジは俺がやるから、リズムさえはっきり刻めば何とか踊れるだろ?、レパートリーの曲から選ぶから……、交通費は浮くだろ、亮ちゃんがコンガセットを揃えたいらしいんだ」
「そう言っていたな、特価品を探してくれって頼まれているよ」
「一人五千円くれるらしいから六万円だ、足しにはなるだろ……」
「ああ、亮ちゃんの負担は少しで済むな、やるか?」
「それでだ、純ちゃんは柏木さんの所に出入りしているだろ?、ストリングスを探してくれないか?……、食事中にピアノ.トリオだけより……、まぁ純ちゃんのクラリネットと、竹ちゃんにフルートをやらせてもいいけど、寂しいだろ?」
「いるよ、弦楽カルテットを知っているから頼んでみるか?、問題はクラシック以外を演奏してくれるかどうか……、それと、その日が空いているかどうかだな……、何時なんだ?」
「クリスマスイブの前の週の土曜の夜だ、二、三日中に結論を出してくれ、メンバーには、その日を空けるように連絡をしておくから……」
「分かった、柏木さんの処の柴野さんに、カルテットの練習日を聞いて確認するよ」
「柴野さんて、専務だろ、柏木さんの甥だったよな、あの人は学生時代にバンドをやっていたんじゃなかったっけ?」
「そうだよ、その後、プロのバンドで活躍をしておられたらしいよ、そうだ、あの人の時代はダンスバンドだよ、確か……、テナーサックスだったと思う、時々、音楽教室で生徒と一緒に吹いておられるのを見たことがあるよ」
「そうか、手伝って貰おうよ、ダンスバンドの勘所ってあるだろ、丁度いいよ、教えて貰おう」
「分かった、それも一緒に訊いてみるよ」

純一が所属するバンドは、学生時代にアレンジを担当していたピアノの香田優作がリーダーで、バンド名を〈コウチャンズ.トゥエルブ〉と言った。

丁度、話題になっていた〈オーシャンズ.12〉の中のリーダー、ダニエル.オーシャンにあやかって、香田優作の愛称、コーチャンに据え替えた。
同じ大学の同窓生九人と、他の大学の同期生三人で構成している。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み