第14話〈新たな展開〉

文字数 4,892文字

洛南精密機器株式会社の社員慰労クリスマスパーティーが終わった数日後、天皇誕生日の前日だった。
バンドリーダーの香田優作がコーチャンズ.12のメンバーに声を掛けて集まった。すき焼で有名な店に忘年会を兼ねて集まったメンバーは、事前に優作から話しがあると聞いていた。
純一だけは事情を知っていたが、メンバーはそれぞれ興味津々の面持ちで優作の発言を待っていた。
酒が適当に回った頃だった、優作が自分の席で立ち上がった。
「みんなに伝えることがあるんだ、聞いて欲しい、実は、伯父の不動産会社を本格的に引き継ぐことになった、みんなも知っているとおり、景気は良いとは言えない時期だから、性根を入れて掛からないと生き残れない状況なんだ、つまり、バンドリーダーとしてやって来たけど、一応、引退ということで了解を貰いたいと思っているんだ、コーチャンズについては、純ちゃんが世話をしてくれると言っているので、是非続けて行って欲しい、俺も会社が軌道に乗れば戻って来たいと思っているから……」
メンバーも薄々は知っていた。
府庁に勤めているドラムの寺田が言った。
「いいんじゃないか、純ちゃんが頑張って世話をしてくれるのなら続けようよ、みんな、それでいいだろ?」
保険会社に勤めるバリトンサックスの重山が応える。
「そうだな、香ちゃんが時々生き抜きに来られるように続けようや、純ちゃん、頼むよ?」
純一が頷くのを見て、優作が笑顔で言った。
「そう言ってくれると思った、バンド名はコーチャンズ.12に拘らなくてもいいからな、楽しくやってくれよ、そうだ、言うのを忘れていた、パーティーの演奏、親父が凄く喜んでいたよ、それで、又、行事に呼んでもいいかって?」
高校教師のギター、長谷川が言った。
「おう、いい話しじゃないか、続けようよ、うちはいいバンドなんだから」
「それじゃあ、純ちゃんはリーダーと云うより、マネージーみたいになるのかも知れないけど、後を託して勇退させて貰うよ、長い間、どうもありがとう……」
純一が立ち上がった。
「それでは、マネージャーとして最初の連絡をします、コーチャンズ.12はもっか人気上昇中です、クラリネットを希望しているプレーヤーがひとり、香ちゃんの後任としてキーボードがひとり、それとテナーサックスの三名が仲間入りを申し出て来ているんだけど、メンバーの意見を聴きたいと思うんだ、どうかな?」
食品会社の研究所に勤務しているトランペットの中谷が言った。
「おい、純ちゃん、何処から集めて来たんだ?、うちのバンドの条件は、先ずは人柄だぞ、それが良ければ問題ないよ」
「分かってる、ふたりは女性なんだけどな……」
「おいおい、それを早く言えよ、俺は問題ないよ」
「クラリネットの女性は僕の知人で、大学の軽音で吹いたんだけど、来年から社会人なんだ、彼女が参加すれば、僕はクラリネットから手薄なアルトサックスに変わるつもりなんだ、それと、テナーサックスは男性で、バンドでは最年長になる柴野さんです」
和菓子屋の息子で、ベース担当の桜井が言った。
「おい、柏木音楽堂の柴野専務か?」
「そう、この前の参加で、凄くうちのバンドを気に入って、是非入れて貰えないかって、真剣に頼まれているんだ」
「それはいいいな、テナーサックスは佐田くんがひとりだろ、トロンボーンのふたりに負けているから、佐田くんと純ちゃんとでアルトサックスを二本にして、テナーはむ一本で専務に頑張って貰えば好いんじゃないかなぁ……」
ドラムの寺田が言った。
「クラリネットは、その女性ひとりになるのか?、純ちゃん、彼女はソロは行けるの?」
「大丈夫だよ、僕よりアドリブは行けるかもしれないよ……」
「そうか、じゃぁクラリネット一本でも、フューチャーする感じで行けばいいよな」
「そうだね、またクラリネットは探してくるよ……。それと、キーボートは柴野さんの親戚の女性で、独身の三十歳、化粧品会社に勤務、柴野さんから聞く処によると、ジャンルは何でも行ける、ピアノにエレクトーン、キーボードなら何でも……」
喫茶店オーナーで、純一よりひとつ年上のトロンボーン、黒坂が言った。
「凄いな純ちゃん、そのひと、彼氏はいないの?」
「いないんじゃないかな、バンドに参加する時間があるんだから……」
電器店をしている、もうひとりのトロンボーン、吉村が言った。
「黒さん、まだ顔も見ていないのに、その気になって大丈夫か?」
「化粧品会社だろ、多分美人だよ、うちのカウンターに居てくれると、店も繁盛すると思わないか?」
「花嫁候補じゃないんだから……」
「そう攻めるなよ、そろそろ嫁の候補をお袋に見せないと、バンドがやれなくなるんだ、切羽詰まっているんだよ、分かってくれ?」
みんなが笑った。
メンバーは演奏を聞きもしないのに、全員が三名のバンドへの参加を歓迎した。
純一が言った。
「もうひとつ話しがある、香ちゃんに頼まれていたんだけど、練習場所が確保できそうなんだ、常時使用可能……」
高校教師の長谷川が言った。
「ほんとなの?……、おい、我がバンドの新マネージャーは有能だな?」
「柴野さんから連絡があって、柏木社長が所有しておられる運送会社なんだけど、移転して使わなくなった配送センターの一画に常温倉庫が在るらしいんだ、其処を改造してスタジオにするのを了解して貰われたそうなんだ」
「いいね、スタジオ持ちのバンドか……」
「ただ、将来は貸しスタジオにされる予定らしいんだけど、現時点では改装経費を余り掛けられないらしくて……、そこがちょっと……」
父親の建築会社で働いているトランペットの柿田が言った。
「おい、純ちゃん、フロアは、多分コンクリーの打ちっぱなしだろ、フローリングの材料だけ出して貰えれば、床張り作業はうちでやってもいいよ、勿論工賃は要らないから」
設備設計会社に勤めているテナーサックスの佐田も言った。
「純ちゃん、電源関係の配線は俺がボランティアでやるよ、電気工事士の資格は持っているから、フロアコンセントと照明器具だけを見てもらえばブレーカーも準備出来るし、ケーブルは余ったやつを貰ってくる、一度現場を見て、見積もろうか?」
「そうだな、じゃぁ明日にでも柴野さんに話してみるよ、メンバーとの顔合わせは年明けに機会を見てと言うことでいいよな?」
「いいよ、マネージャーに任せるよ」
優作が言った。
「なんか、俺がいなくなってからの方が華やかな感じになりそうだな、考え直すかな……」
ベースの桜井が言った。
「馬鹿なことを言うなよ、不動産屋の再建が優先だよ、何時でも戻ってくればいいんだから」
保険会社に勤務しているバリトンサックスの重山が口を開く。
「香ちゃん、今まではバンドメンバーだから、あまり仕事には関わらないようにしていたけど、これからは町の不動産屋だからな、個人的に得た情報を提供するよ、本業の保険とは関係ないのに、結構、不動産の売却とか購入の相談があるんだ、顔が広いと思われているんだろうな……」
「そうか、知らなかったな、宜しくお願いするよ」
バンドメンバーは和やかに語り合い、すき焼きをつつきながらビールを飲んだ。
優作が純一の傍に来た。
「純ちゃん、宜しく頼むな、それより幸一さん、決まって良かったな?」
「うん、兄貴、嫁さんまで決めたみたいで、我が家はハッピーな感じだよ」
「純ちゃんは、どうなんだ?」
「何が?」
「彼女だよ、もしかして、僕の勘だけど、さっき話した女子大生か?」
「あれは、お祖父さんの造園会社の専務の娘さんだ、小さい頃から知っているから」
「いや、まぁいいか、それよりスタジオの件は好い話しだな」
「うん、楽器店も、ただ楽器を並べているだけじゃ駄目だからな、演奏会の楽器運びもPRにはなっても販売に繋がる率は低いし、演奏場所があるとなれば利用するミュージシャンには評判は高くなる、当然、関わりも深くなるから、専務はいい処に目を付けたと思うよ、柏木音楽堂の後継者としては、社長も安心なんじゃないかな……」
「跡継ぎか、俺も大変だけど、幸一さんも大変だと思うよ」
「そうだな、香ちゃんも、間もなく若くして社長と呼ばれるか……」
「会社が生き残れたらな、今まで好きにバンドやらせて貰っていたから、親父への恩返しもあるし、伯父さんを助けようと思っているんだ」
「そうだよな、家の両親は感性が優先される仕事だからな、子供は誰も継がなかったな、兄貴は法律、妹は医療関係、僕は工学部を出たのに楽器メーカーの営業だから……」
「個性的な家族だよ、幸一さんも治美ちゃんもお前も、明るくて真面目で自由に生きているから、何時も羨ましいと思っているんだ」
「三十前後になって、周りのみんなも生き方を固める時期に来ているんだな……」
「そうだな、仕事をやりながらバンドをやるのは、独身だからやり易いこともあるな、結婚すれば簡単には出来ないかも知れない」
「香ちゃん、僕はこんな仕事だから、何とか続けられるようにするよ、メンバーが結婚して子供が出来て、色々なことがあっても、楽器を演奏することは邪魔にはならないよ、十二人の頭数は変わるかも知れないけど、何時でも出入り出来るようにしておくよ」
「よし、しっかり儲けて、貸しスタジオでも建てるか?」
「その意気だよ、重山くんじゃないけど、僕も営業だから、不動産の情報があれば連絡するよ」
「ありがとう、そうだ、時間が取れたら幸一さんと一緒に飯でも食べようか?」
「いいね、相談して連絡するよ、兄貴もセンター試験が終わるまでは忙しそうだし、息抜きには好いかも知れない」

コーチャンズ.12には酒に我を忘れるようなメンバーはいない。
年末の繁忙期にあるメンバーは、コンディションを考えて二次会には行かず、すき焼き店の店先で散会した。

すき焼き店を出て帰る途中、マナーモードを解除するために携帯電話を取り出す。
吉田弓子からメールが入っていた。

Mail:「純一さん、長くなるので、パソコンにメールしておきます。」
純一がパソコンのアドレスを教えているのは、会社の親しい友人の数名と、プライベートでは香田優作と吉田弓子だけだった。
日常の付き合いでは、個人用の携帯電話で連絡を取り合っていた。
何気なく弓子の前のメールを開くと、気付かなかったが、先日送信されて来た美紀からのメールがあった。

Mail:「純一先輩、報告します。お姉ちゃんのこと、ありがとうございました。今夜、お姉ちゃんから家族に報告がありました。わたしが高校に進学すると、純一先輩を純一お兄ちゃんと呼ぶことになりそうです。お兄ちゃんと呼ぶのは残念な気持ちです。この前は、シュークリームを食べさせて貰ってありがとうございました。今度は有名なお店でケーキを食べさせて下さい。冬休みも練習があるので、誘ってくれるときは携帯に連絡を下さい。待っていまーす。」

すき焼きとビールで顔が火照っていた。何故か、急に冷たい風が心地良く感じられた……。
弓子はパソコンのメールに何を書き込んだのだろう?
コーチャンズに加わることは、ほぼ間違いない。帰ったら返信をしてやろうと思いながら、握ったままで歩いていた携帯電話をレザージャケットの内ポケットに入れた。
夜空は新月で月明かりは無く、枝葉を切り取られたプラタナスの街路樹が街灯に照らされて、斑な木肌を見せて立っていた。
夏には椋鳥が安心して夜を過ごすほど葉が茂る。例年、夏が終わると、枯れて落ち葉になる前に、市から委託を請けた造園業者が切り枝作業をして丸坊主にする。
純一は、切り枝作業が終わったプラタナスを見掛けると、京都の暑い夏が終わり、やがて、底冷えの冬がやって来ることを実感する。
同時に、自分も一年のサイクルに従って懸命に働き、何事もなく無事に暑い夏場を乗り越えたと感じる、その度に、来年もそう思いながら枝葉の無くなったプラタナスを目にすることが出来ればと願うのだった。
紙製の赤い三角帽子を被った中年男性が、会社の忘年会帰りだと思われる陽気な集団の中にいた。
彼等とすれ違った後、左胸の内ポケットで携帯が着信を伝える。
クリスマスイブが二日後に近づいていた……。
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