第17話:父の葬儀とオープンカフェ

文字数 2,522文字

 七郎が、葬儀屋に電話したり斎場の空き状態を聞いたり忙しく電話をした。どこも混んでいたので7日以上、待たないと空きがない。そこで入間市の木元さんに電話を入れて葬儀場の手配をお願いした。すると30分後、遠いけど埼玉県飯能市の飯能斎場ならの4日後の午後に空きが出たようで一応、抑えたと言ってくれた。葬儀屋に電話すると、えー飯能ですかと驚いていたが葬儀の打ち合わせに来てくれると言った。

 幸か不幸か参列する人は総勢18人程度であり葬儀当日の朝、横浜から27人乗りの中型バスを借りて1台に関係者全員を乗せて出かけた。葬儀屋さんに必要なものを急いでそろえてもらい準備ができた。恵子のお母さん吉永仁美さんの容態は落ち着いてきたが旦那さんの葬式に参列するのは、やめた方が良いと精神科の先生から言われた。そのため葬式のことは言わないでおいた。

 恵子のお父さんの葬儀当日は、どんよりとした曇り空で飯能に入ると弱い雨がみぞれになり、寒さが一段と厳しくなった。斎場に到着すると、既に葬儀屋さんと斎場を手配してくれた入間の木元さんが来られており斎場の手配のお礼を言った。こちらこそ世話になっているんだから、これ栗の事、当たり前だと言った。また、できるだけ力になるよと自然に会釈してくれた。

 その後、控え室で待ち13時から葬儀が始まり読経が終わり弔辞、弔電が読み上げられた。精進落としが出て16時には終了して解散となった。帰り際、木元さんが力を落とすなよと、やさしく言ってくれ熱いものがこみ上げた。参列してくれた山下洋一さん三保さんにも、お礼を言った。雨、みぞれもあがったが帰りは八王子あたりの渋滞で七郎が自宅に着いたのは19時過ぎになってしまった。風呂に入り、すぐ床に入って休んだ。

 恵子に貿易帳簿の点検をお願いして翌日、入間の学生寮に向かった。「入間の里」学生寮に着くと料理担当の鈴木良三さんが昨年の夏過ぎから炊事、調理にも慣れてきて、多めに料理を作り始めた。学生達が登校し終わった10時からオープンカフェを開いたんですが入り口に10時から看板を上げて近くの中高年の方が来てくれるようになった。そこで最初、1つのテープルだけだったんですが、そのうち、和食弁当と洋食ランチも始めたら、お客さんが増えてた。

 そこで2テーブル3テーブルになり繁盛してきたんですと言った。昨年のクリスマスは10時から午後16時まで盛況でした。学生の食事は、しっかり作っていきますから、ここままオープンカフェを続けて良いですよねと聞いた。もちろん地元のみなさんに喜んでもらい、ついでにがっぽり稼いでくれと笑った。その分、僕の出費が減るから助かるよと笑いながら言った。

 基本的に運営は君に任せるよと伝えてた。不都合や面倒なことがあれば電話してくれるように言っておいた。料理担当の鈴木さんが儲かったお金は通帳を作って入金してありますからというので、その金で良い食材を買って儲けてくれと言った。しかし鈴木さんが、そのお金を自分だけがもらうわけにはいかないと言った。七郎がわかった年末のボーナスとして職員に分配しようと提案した。料理長の鈴木さんも、そうしましょう。

 そうすれば、ここで働くみんなも喜ぶでしょうと言った。七郎が預金通帳を見ると鈴木良三さんからオープンカフェの売上35万円も入金されていたので今年の12月にボーナスとして支給しようと計画。もし今後、売上が落ちても七郎のポケットマネーでボーナスを出そうと決心した。今年はインフルエンザが流行して困ったと鈴木さんが話していた。

 彼が買い物に行った時についでに外来者用の消毒用アルコール、大入りのマスク箱、殺菌力の強い泡状石けん、うがい液を買ってきた。そして水飲み場や手洗い場におく様に指示した。七郎が家に帰り恵子にお母さんの容態を聞くと少しずつ回復しているが痴呆症状があるので老人施設に入れた方が良いと先生が話したと言った。

 症状が悪くなると介護のため家族の方が通常の生活ができなくなる心配があると言うのだ。介護疲れで介護している家族も疲れて駄目になるケースを多く見ているので忠告するんだと話してくれた。七郎は、数日後、病院に行った時、お母さんの診療後に先生に詳しく聞くと痴呆症状がある患者も受け入れてくれる施設があると言った。できたらストレスの多い都会でなくて自然豊かな田舎の方がお母さんのためにも良いと提案してくれた。

 そこで七郎が入間の方で仕事していると言うと東松山、森林公園、飯能、そう言う自然の多い所が良いと言った。わかりました探してみますと答えた。先生が決まり次第、退院の手続きを取ると言ってくれた。木元さんに電話を入れると、ここから車で20分程度の所で痴呆老人も入れる老人ホームですね調べておきますと、言ってくれた。

 翌週「入間の里」学生寮に行き、木元さんに電話を入れると、入間と飯能と狭山に3ヶ所あると教えてくれた。午後1時から、その3ヶ所を案内するよと言うのでお願いした。3ヶ所とも車で10分程度の所で、入間はゴルフ場の近くで景色が良いので、そこに決めた。数日後、KU病院に行き恵子さんのお母さんの主治医にその話をすると、すぐに退院書類を書いてくれた。その日のうちに退院して自宅に帰った。

 自宅に戻っても、特に反応がなく、ご主人を亡くした悲しみがいまだに消えない様だった。そこで、明日、恵子さんを連れてドライブに誘い、気分転換に行きましょうと、恵子さんが言うとそうしましょうかと、承諾してくれた。翌朝、渋滞の前に家を出て途中で休みながら10時に、めざす、入間のゴルフ場についた。昔は、お父さんと、良く、この辺のゴルフ場に来たのよと昔を懐かしむように行った。

 もしかしたら、このゴルフ場も来たかも知れないと言った。ゴルフ場の中のレストランで食事をして、ゆったりと休んだ。ゴルフ場は景色がきれいで、気分が晴れるわと、久しぶりの笑顔で話してくれた。恵子さんがゆっくりとした口調で、お父さんの思い出がある実家を出て、こんな景色の良い老人ホームに入りませんかと切り出した。すると、そうね、そういう考えも良いかも知れないねと母が言った。
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