第5話:バブル崩壊、妻の死、神戸地震

文字数 2,575文字

 1990年が始まり大発会から平成バブルがはじけた。それと共に円高が進み、日本株の低迷が続いた。そんな時、七郎にも大きな不幸が忍び寄ってきた。この年の夏に七郎の奥さんが体調を崩し入院。1週間にわたり東京のKO病院で精密検査をしたところ原因不明の白血病だとわかった。七郎は一気に不幸のどん底に突き落とされ、どうして良いかわからなくなった。

 リチャードに相談すると最善を尽くすしかないと言われ後は七郎の気持ちの持ち方だと言った。そこで、どうしようと聞くと七郎、君の人生は君自身で考えるべきだと言われ、突っ放された様な気がして気が動転した。そこで以前から、お世話になっている柔道の恩師に相談してみることにした。彼は人生って良い時も悪い時もある柔道人生だってそうだろ。その悪い時、お前は、どうしたと聞かれ平常心でしっかり練習に励んだと答えた。

 今も、そうすべきだ。平常心を持ってベストを尽くせと言われた。人生の中で、どうにもならない事って、必ず、あるんだ。そんな時、人は運を天に任せて平常心でベスト尽くすだけしかできない。その結果は誰にもわからない。つまり運だ。でも平常心でいる事はできる。またベストも尽くせる。逆に言うと、それしかできないだよと言った。恩師から、この話を聞いて、少し落ち着くことができた。

少し落ち着いて柔道着に着替えて正座して黙想をすると動転していた心が晴れ渡る様に暗雲が去り太陽がさしてきた。その時、何があっても七郎は落ち着いて平常心でベストを尽くそうと心に誓った。その足でKO病院のサリーの病室をたずねた。サリーは、七郎に、こめんね、こんな身体になってと謝った。その言葉に対して七郎は、精一杯の笑顔で仕方ないよ、運命には逆らえないからと言った。

 落ち着いて話す七郎を見てサリーは感極まって大声で泣き出した。すると七郎は、だまってサリーの身体を抱きしめた。ひとしきり泣いた後、サリーが七郎を選んで本当に良かったと言い、又、泣き出した。サリーを抱き寄せていた七郎も、この言葉を聞いて、もらい泣きをした。その時、病室のドアが開きリチャードが見舞いに来た。

 サリーと七郎の姿を見たリチャードが2人の身体を両腕ではさんで頑張れよと涙ながらに励ましてくれた。七郎は、やっと自分がロスチャイルド家の仲間に入れてもらった様な気持ちがした。人の感情って、生まれ、育ち、言語、国、性別、人種なんて関係ないんだ。わかる者には、わかるんだと再確認した。

 看病の甲斐なく、翌月、秋風が涼しくなってきた頃に、サリーは天に召された。残された10歳のジョージと37歳の七郎は参列者、数人の小さな葬式に参列した。参列者に今日はサリーの葬式に参列してくれてありがとうと述べた。私とサリーは結婚して、わずか10年でお別れする事になった。でも私にとっては、「この10年は100年、いやそれ以上に匹敵する程、楽しく、幸せな日々だった」。

 幸いに「ジョージを授かりサリー、君との楽しい日々の思い出と共に君を絶対忘れない」
「神に誓って贈る言葉としたい」と話した。そのスピーチに参列者からは惜しみない拍手が送られた。日本式の葬式で、サリーの遺骨は七郎が用意した墓に入った。最後に七郎が、「また後で君の所へ行った時、楽しい時間を過ごしましょう」という言葉を語ると参列者から、すすり泣く声が聞こえた。

 葬儀の翌日、横浜の道場へ行き練習で汗を流し葬儀を終えたと恩師の先生に報告。
「恩師の先生から人間、こう言う試練、悲しみを越えて強く優しい人間になっていくんだ」
「七郎、これからの人生を平常心を持って精一杯頑張って行けと言ってくれた」
「葬儀の後、息子のジョージに君はどうしたいと聞くと今の横浜のインターナショナルスクールを出たら、米国の大学に通いたい」というので了解した。

 七郎が、これからも一生懸命、スポーツ、勉強して行くのだぞとジョージに言い金が必要なら送るからと言った。1991年、11歳になったジョージは理数系よりも文学、音楽、絵、芸術が好きで才能がある様だった。バンドを組んでトランペットを吹いていてスポーツはテニス楽しんだ。成績は優秀であり理数系が弱いので七郎に教えてもらう事もあったが徐々に成績を向上させ全額給付のスカラシップで英国留学をめざしていた。

 この頃、1991年にはソ連邦が崩壊してロシアとなり、その後ウクライナをはじめ旧ソ連邦の多くの国が独立した。そして米国との冷戦時代が終わり世界の経済にとっても平和にとっても良い時代が来ることが期待された。しかし期待とは裏腹に良くなる事はなかった。1995年、七郎の息子のジョージは15歳になり横浜のジュニアハイスクールの成績も初めて学年トップになった。

「ジョージが、自分もスカラシップを取り自分の力で将来の道を切り開いていくと告げた」
 また自分自身は音楽、美術といった芸術系が好きだが生活のためには、やはり技術、特にコンピュータの時代なのでソフトウェアの勉強をしていくと言った。七郎はジョージから、この話を聞いて独立心のあるたくましい子に育ち非常に喜んだ。

 そんな時、阪神大震災が起きた。1995年1月17日の早朝、七郎は、いつもの様に朝5時に起きニューヨークからの経済情報を見ているとNHKの緊急放送が放映され神戸の駅周辺でビルが崩落しパニック映画の1シーンのようだった。アナウンサーも事情がわからず、何か大きな火災が神戸の市街地で起きていますと放送するだけだった。

 その後、神戸周辺で大きな地震が起きて木造の家が押しつぶされて死者が大勢でていると報道された。一部のマンションが倒壊し阪神高速も倒壊したとのニュースが入り断片的にコンクリートの建物が倒壊しているのが写り、神戸駅の大火事の画像が流れて事の大きさを知った。死者6435名、行方不明者2名、負傷者43792名。

 住家被害、全壊104906棟、半壊144274棟、全半壊合計249180棟、46万世帯、一部損壊390506棟。地震当日に死亡した5036人の76%に当たる3842人は地震から1時間以内に死亡しており、このうちの9割が圧迫死、圧死、窒息死などだった。多くは木造家屋が倒壊し家屋の下敷きになって即死したとみられる。何か不吉な前触れのようで嫌な年になった。
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