第9話:恩師、リチャードの死

文字数 2,985文字

 2010年1月22日、寒い日、昨年12月から体調を崩して東大病院に83歳のリチャードが入院した。風邪をこじらせインフルエンザにかかり肺炎を併発したとの知らせが入り七郎は急いで彼の病室に見舞いに行った。マスクを着用して彼の顔を見ると青白く急に老けたようで、生気のない様に見えた。

しかし、彼は七郎に精一杯にの笑顔で、大丈夫だ、じき退院すると強がっていた。リチャードが君に話しておきたいことがあるんだが話すことができないので秘書にメールを送らせるから読んでくれと紙に書いた。七郎は何と言って良いのかわからずリチャードの手を握った。10分位して病室を出る時、リチャードが小さな声で「グッド・ラック」と言ったような気がして永遠の別れが来たと直感した。振り返ると我を忘れて泣き叫びそうになるので、じっと我慢して静かに病室をあとにした。

 翌日、七郎商会に帰るとメールが入っていたが開けようとしてもキーワードを聞いてくるだけで開けない。そこで、昔、リチャードが教えてくれた、秘密の言葉「グッド・ラック」を打ち込んだ。するとメールが開いた。最初に、もし、君が、これを読む時には私は天に召されているだろうという書き出しから始まった。僕が君と会ったのは多分、イエスキリストのお導きがあったのだと思う。最初に君を見た時、すぐに何か不思議な縁を感じた。

 だから何のためらいもなく君を自分の息子のように迎え入れた。その数日後、私が酒を飲んで帰宅した夜、君に日本は敗戦国であり日本を捨てて米国人にならないかと言った時、君は嫌だ、日本には優れた文化、伝統があり、それが大好きだから日本人のままでいると言った。私が本当に日本は欧米に追いつけるとは思わないと言うとそんな事はない。

「日本人の勤勉さと正直さ結束力で、きっと10年、20年後には追いつく」と思うと言った。「そのため七郎は頑張って勉強していきたい」と言い切った。その時、正直、頭にきて金を稼ぐというのは並大抵の努力では、できない。すごい相手と闘って勝たなければならない。
「七郎、お前に、その覚悟があるのか?」
「また勝てる自信が、あるのかと、すごい形相で言った」

「それに対し、勝てるかどうかわからないが勝つために努力する」
「その覚悟はできてると開き直った」
「するとリチャードが、お前は俺の後を継げる、すごい奴だ」と告げた。
「七郎を抱き寄せハグし、お前は昔の自分の様な気がしてならないと急に涙を流した」
「この時、本当の親子になれた気がしたんだ」

「その後、君は、僕の本を片っ端から読んで投資の勝ち方を会得した」
「サンノゼ州立大学に合格し日本に戻り見違える程、立派な青年になってくれうれしい」
「帰国後、君が木下家という由緒正しき家の息子と知り僕の勘に間違いなかった」と思った。
「そのためロスチャイルド家の経理のデータベースの更新の仕事を与えた」

「仕事の内容は教えていなかった」
「でも、君の事だから世界の大事件、ブラックマンデー、リーマンショクの時、ロスチャイルドの財産が急に増えた事から、おおよそ、どんな仕事そしていたか想像できるだろう」
「しかし僕は君をロスチャイルド家に縛り付ける気はない」
「七郎、好きなように生きて欲しい」
「与えてくれた数々の事を考えると歩んできた人生の価値の分だけの報奨金を渡したい」

「数日後、君のスイスの銀行のプライベートバンクの口座に金を振り込んでおく」
「君が正しいと思う事に使ってくれ」
「君が望むならロスチャイルド家の経理担当の七郎商会をやめても構わない」
「本当に長い間、楽しい時間を与えてくれてありがとう心から感謝します」
「これで文面が終わっていた」
「パソコンの画面を見ながら、したたり落ちる涙をふこうとも立っていた」

「最後に七郎は背筋を伸ばして亡きリチャードの冥福を祈り黙祷を捧げた」
 翌日、七郎の口座に新たに10億円が振り込まれていた。七郎はリチャードが予想した様にロスチャイルド家との関係を解消する決心をした。そして、その旨をロスチャイルドのニューヨークの本部に伝え、この仕事を終えた。2010年は恩師リチャードの死と七郎商会の解散と続き悲しみと共にくれた。七郎商会は、七郎の稼いだ金から5人の退職金、合計5千万円を渡した。

 再就職先を世話し退職してもらった。七郎は、その後、夫婦で、個人的に日本の製品を海外に売る貿易の仕事を再開。その後、貿易の仕事を奥さんの恵子に任せ知り合いの会社を回り貿易の手伝いをしていく事にした。そして2011年が明け、初詣で貿易商の繁栄を祈った。その年、2011年3月11日14時47分、東北太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0という、とてつもない大きな地震が起きた。

 東京、横浜も震度5の大きな揺れに見舞われ電気、ガスが止まった。その後、電気が復旧すると東北沿岸の大津波の映像が映し出されて、まるでパニック映画のワンシーンを見ているかのような錯覚に陥った。しかし、これは映画ではなく実際に起きているんだと思うと背筋が凍る恐怖感に襲われた。こう言う大災害の時、人間の力のなさを痛感した。

 東京では、交通網が麻痺状態になり仕事から帰る人々の長い行列が国道を埋め尽くしていた。七郎も奥さんも今後の事など考えられず、呆然と立ち尽くすだけだった。時間だけがむなしく過ぎていくうち東北での津波、港の石油コンビナートの大火災などがテレビに映し出されると絶望感が増し不安な気持ちをかきたてられた。

 その晩、夢遊病者の様に、ただ呆然とテレビを見て眠れない夜を過ごした。家族の安否を確認するのが精一杯だった。翌朝、パソコンを開くとロスチャイルドの関係者からのメール、息子のジョージ、友人のティムからの安否確認のメールが入った。彼らに自分たちの無事を返信した。ティム、ロスチャイルドの関係者からは経済的支援するからとも書いてあったが、その必要はないと答えた。

 半日経って、その後3月17日の東北電力福島第一原子炉のメルトダウンという未曾有の大事故が起きた。その時はショックのあまり茫然自失という大人、子供達が多く、特に関東以北の人達は大きなショックを受けた。翌日、関東では水道、電気が復旧し家に帰れるようになった。その後、七郎は元ロスチャイルド家のメンバーとして政治家、財界人、芸能人ともパイプできたので大きなチャリティー組織をつくろうと考えた。

 被災地の救援のための大きな募金の和を日本に作り上げなければならないと考えた。最初、震災孤児1698人の進学のために七郎基金を1億円で立ち上げ顔見知りの財界、芸能界、米国の財閥、富裕層に会い寄付を募った。またインターネットでも募金を要請した。ロスチャイルド家の関連の米国の富豪達にも、この話を知らせた。七郎が私費1億円を拠出し日本での募金活動で10億円、米国から1千万ドル「8億円」の合計18億円の基金となった。

 まず2011年夏に震災孤児1698人の進学のために1億円を寄付した。その後、毎年3月に1億円ずつ募金した。2012年で14億円になり、その年七郎基金で合計24億円を寄付した。この事業で七郎の全資産8億円のうち5億円を寄付、従業員の退職金1億円を使い2億円となった。自分たちの将来を考え2012年、SP500に1億円投資し全財産が1億円となった。
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