第8話:結婚式とリーマンショック

文字数 2,258文字

 結婚指輪も決まって今晩はホテルニューグランドに泊まっていこうと七郎が言うと恵子が、それで決まりと叫んだ。帰り道、結婚式もニューグランドが良いなと恵子が言い、それでいつ頃が良いと聞くと暖かい4月の中旬の日曜。これでホテルニューグランドで2008年4月16日の日曜と決まった。

 新婚旅行は4月28日から5月2日の4泊5日で日本1周、新幹線と特急電車の旅を計画した。ホテル行く途中でウチキパンでパンを買った。ホテルに到着しフロントで来年、結婚式をしたいと言い、まず、先にチェックインした。もうこの時間ですとウエディング担当は帰ったので、結婚式の話を後日、伺うと言うことで良いですかと言われた。そしてウエディングの厚いパンフレットを渡してくれた。ホテルに到着しフロントで来年、結婚式をしたいと伝えた。

 するとありがとうございますと微笑んだ。翌朝、海の見えるレストランで朝食をとりながら、これで、結婚式の事も結婚指輪もきまってめでたしめでたしと恵子が笑った。恵子さんが、明日、電話で結婚指輪のイニシャルと結婚式の日付を元町のスタージュエリーに電話しておきますと言った。次の週の土曜日に2人でホテルニューグランドへウエディングの打ち合わせにいく事にした。土曜日は、あいにくの土砂降りだった。

 そこで、車でホテルニューグランドへ、ウエディングの打ち合わせに向かった。ウエディング担当者と打ち合わせが始まり、人数の話になり、七郎が、私の方は会社関係社含めても10人だけだと言った。すると恵子さんが私の方だけ大勢というわけにはいきませんと言い出した。ホテルの担当者が一応、25名様以上のウエディングプランでお願いしていますと話した。

 七郎が、恵子さんの方で少なくて悪いが15人でお願いできないだろうかと頼んだ。わかりました厳選して15人選びますと言った。これでウエディングプランが決まり、後はドレスと、タキシードを決めて、着替えて和装もお願いし終了した。帰りに元町のスタージュエリーに立ち寄り結婚指輪を受け取り家路を急いだ。

 数日後、この結婚の話を正式に恵子のお父さん山崎仁さんと、お母さん山崎仁美さんに話に実家へ向かった。実家につくと山崎仁さんが、あなたが恵子の勤めている会社の社長さんの木下七郎さんですか恵子を何卒宜しくお願いしますと言った。七郎が恐縮です。こちらこそ宜しく、お願いしますと言った。次に、お母さんの木下仁美さんが、わがままな娘ですが、どうぞ、ご容赦下さいと言った。

 いえ仕事のできる素晴らしいお嬢さんですと答えた。ご両親から七郎は正式に結婚の許可をもらって、ほっとした。結婚式の日付と場所、その後の新婚旅行の予定。訳あって七郎の親族が少ない事などを話して彼女の実家を後にした。やがて12月、クリスマスが終わり除夜の鐘、また新しい2008年が始まった。今年は恵子と二人で横浜の伊勢山皇大神宮に初詣をして2人の健康と幸せ結婚がうまくいきますようにとお願いした。

 春めいてきて3月が去り結婚式の当日、2008年4月16日を迎えた。手はず通りホテルニューグランドで木下七郎の育ての親、リチャードと山崎恵子さんのお父さん、七郎商会の社員や新郎新婦の友人など参列者25名で結婚式と披露宴を行った。七郎の育ての親リチャードが祝辞を述べた。約3時間で終了して4月28日から4泊5日、東北から、新潟、名古屋、神戸、博多、出雲大社、広島、岡山、大阪の旅へ出かけた。

 新婚旅行を無事終え自宅へ帰ってきた。その後、七郎は鎌倉のリチャードの家を出て恵子とマンションでも借りようと考えていた。しかし横浜の家が離れを使っていた恵子の兄弟が次々に出て行ったので恵子が、両親と一緒に住んでくれないかと言った。七郎は長く独身であり特に断る理由も見つからないので同居に同意した。

 現在、家の離れが倉庫代わりになっているので片付けて2DKのとして使うことにした。本宅とは廊下で続いていて行き来するのにも便利だった。新婚旅行から帰ってきた次の日に恵子のご両親に離れを使わせてもらう挨拶をして同居を開始した。この年、世界経済では大きな出来事が起きた。2008年に9月15日についにアメリカ合衆国の投資銀行であるリーマンブラザースが経営破綻した。

 負債総額、約6千億ドル「約64兆円」という史上最大の倒産により、巨大な金融危機を招いた。日経平均株価も大暴落し9月12日・金曜日の終値は12214円だったが、10月28日には一時は6000円台「6995円」まで下落した。1982年10月以来の安値を記録。2008年10月3日にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが金融システムに7000億ドルの金銭支援をするための法案に署名した。

 2008年に金は高騰して1g3300円となり七郎は2000kgの金を66億円で売却した。総資産が67億円1840万円になった。売却後、すぐに金が急落して2008年12月に1g2100円で3000kg、63億円で金を再度購入し購入後の資産は2億円となった。日本でも2009年10月にJAL、日本航空が経営破綻した。

 再建案は3000億円規模の公的資金の注入や2500億円の債権放棄などの支援を必要とした。一方、日本航空側にはこうした支援を受けるため月に25万円ともいわれる高額な企業年金のカットや1万人規模の人員削減の必要性も訴えられた。その後、日本航空が再生するまで国営とされた。2009年に円高ドル安の進行が始まった。
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