第2話:リチャードと七郎が秘密を告白

文字数 3,734文字

 リチャードが自分で金を稼ぐというのは並大抵の努力ではできない。相場という手強い相手と闘って勝たなければならない。七郎、お前に、その覚悟があるのか、また勝てる自信があるのかと、すごい形相で言った。それに対し七郎は勝てる自信があるのかと言われれば本当の所わからない。でも勝つために努力する覚悟は持っていると開き直った様にリチャードの眼を見た。

 するとリチャードが、わかった投資の勉強をして早く金をつくれ金がなければ勝負にならないと言った。七郎がわかった大金をつくるよとリチャードの手を強い力でがっちりと握りリチャードが握り返した。話が終わると、あれだけ怖い顔をしていたリチャードの顔が、いつもの優しそうな顔に戻った。そしてリチャードは七郎を抱き寄せ、お前を見ていると昔の自分を見ている様な気がしてならないと急に涙を流し始めた。

 七郎も実の父親の様にしっかり抱きしめた。その後、リチャードが自分の持ってる経済の本、投資の本をしっかり読んで勉強するよう言明。その後、七郎は、その本をむさぼるように読破して内容を理解していった。1年たった、ある日、リチャードが投資対象の10銘柄を提示し、君なら、どの銘柄に投資するか、また、その根拠はとたずねた。するとA社、B社、C社を購入したいと答えた。

 その利用としてA社は収益率が良い点。B社は着実で成長性は低いが割安、高配当。C社は新しくて面白そうな事に投資しているので買いと答えた。この答えを聞いたリチャードはビックリして思わず、すごいと言い、よく勉強したなと、七郎の頭をなでた。ある時、リチャードが七郎に1万ドル投資するから増やしてみろ言った。その後、リチャードが、七郎に投資で、わからないことがあれば、聞いてくれと言った。

 翌1965年ジュニアハイスクールに入学しラグビー部に入り毎日、グランドを走り回った。その他、横浜の柔道場に週に2回、練習に通う忙しい毎日を過ごし3年が経ち大学受験の時を迎えた。投資開始から翌年には七郎は資産を1万ドルから2万ドルに増やした。この頃にはリチャードが投資を考えている銘柄を毎週の様に七郎に意見を求めた。

 特に新しい事業をやり始める企業の将来性について七郎の意見を求めた。七郎も株投資を初めて3年目で持ち金が2万ドルが3万ドルに増えた。そこでリチャードが、更に2万ドル渡し合計5万ドルとしリチャードに頑張って増やせよと笑って言った。七郎は言われた通りに米国に上場して、まもない株に投資した。1970年になりハイスクールの3年生、進路を考え初めた。

 するとリチャードが米国の大学のスカラシップ「無返却の奨学金」の情報を調査。七郎は3つ大学のスカラシップの試験に応募し最初の試験を受け合格した。学費は免除されサンノゼ州立大学に入学。この頃、リチャードが投資を考えた銘柄を毎週の様に、どう思うか七郎に聞いた。リチャードが自分で金を稼ぐというのは並大抵の努力ではできない。

 相場という手強い相手と闘って勝たなければならない。七郎、お前に、その覚悟があるのか、また勝てる自信があるのかと、すごい形相で言った。それに対し、七郎は勝てる自信があるのかと言われれば、本当のところ、わからない。でも勝つために努力する覚悟は持っていると開き直った様にリチャードの眼を見て言った。

 するとリチャードが、わかった、投資の勉強をして早く金をつくれ、金がなければ、勝負にならないと言った。七郎がわかった大金をつくるよとリチャードの手を強い力でがっちりと握りリチャードが握り返した。話が終わると、あれだけ怖い顔をしていたリチャードの顔が、いつもの、やさしそうな顔に戻った。そして、リチャードは七郎を抱き寄せて、お前を見ていると、昔の自分を見ている様な気がしてならないと、急に涙を流し始めた。

 七郎も実の父親の様にしっかり抱きしめた。その後、リチャードが自分の持ってる、経済の本、投資の本をしっかり読んで勉強するよう言った。その後、七郎は、その本を、むさぼるように読破して内容を理解していった。約1年たった。そんな、ある日、リチャードが投資対象の10銘柄を提示して、君なら、どの銘柄に投資するか、また、その根拠はとたずねた。するとA社、B社、C社を購入したいと答えた。

 その利用として、A社は、収益率が良い点。B社は、着実で成長性は低いが割安、高配当。C社は、新しくて面白そうな事に投資しているので買いと答えた。この答えを聞いたリチャードはビックリして思わず、すごいと言い、よく勉強したなと、七郎の頭をなでた。ある時、リチャードが七郎に1万ドル投資するから増やしてみろ言った。その後、リチャードが、七郎に投資で、わからないことがあれば、聞いてくれと言った。

 翌年1965年、ジュニアハイスクールに入学し、ラグビー部に入り毎日、グランドを走り回った。その他、横浜の柔道場に週に2回、練習に通う忙しい毎日を過ごし3年が経ち大学受験の時を迎える事になった。投資開始から翌年には七郎は資産を1万ドルから2万ドルに増やした。この頃にはリチャードが投資を考えている銘柄を毎週の様に、どう思うか七郎に聞いた。特に新しい事業をやり始める企業の将来性について七郎の意見を求める様になった。

 、七郎も株投資を初めて3年目で持ち金が2万ドルが3万ドルに増えた。そこでリチャードが更に2万ドル渡し合計5万ドルとなりリチャードが頑張って増やせよと笑って言った。七郎は言われた通りに米国に上場してまもない株に投資していった。1970年になりハイスクールの3年生、進路を考え初めた。するとリチャードが米国の大学のスカラシップ「無返却の奨学金」の情報を調べた。

 七郎は3つ大学のスカラシップの試験に応募し最初の試験を受けて合格して学費は免除された。そしてサンノゼ州立大学の電気工学科に入学。リチャードが、これからはコンピューターの時代が来るので良い選択だと七郎をほめた。その後、羽田からサンノゼに送り出し送り出す時に入学祝いとして1万ドルを口座に振り込んでくれ計6万ドルになった。

 その後1974年までサンノゼ州立大学で電気工学のソフトウェアを勉強した。その頃、日本語熱が米国でも盛んになり日本語の家庭教師を掛け持ちで行いながら学生生活を送った。そのため食費、遊興費、本代などをアルバイト代でまかなう事ができた。そしてリチャードの入学祝い金を使わずにすんだ。サンノゼでの4年間は学校の勉強と家庭教師で忙しかった。

 留学時、一番印象に残ったのは大学のパーティーが派手洋服を着た美人が多かった事。同じクラスのロサンゼルス富裕層の日系人のお宅で、お寿司や日本料理をご馳走になった事。その他は米国人に柔道を教えた事だ。その後、サンノゼ州立大学の電気工学科を留年しないで卒業し1974年「22歳」に日本に帰る事になった。

 羽田空港からリチャードの所に電話すると君の部屋は、そのままにしてあるから早く帰ってこいと言われ、日本に帰った。リチャードが七郎を見て、すっかり立派な青年になったと喜んだ。七郎がサンノゼ州立大学での話や、その後アップル入社した話などをリチャードに話した。1974年11月、突然、七郎の父で友人の大手商社の役員、山下真一から電話があり東京で面会。

 喫茶店でスイスの銀行の書類を見せてもらうと金地金100kg保管してあると書いてあった。大正バブルの末期、まだ軍部の統制が厳しくない頃に木下家の東京の広大な土地と大きな屋敷、別荘、車などを売却。そして密かに大手商社の役員、山下真一に依頼して全て、安全資産のゴールドと預金に変えたらしい。山下真一が帰り際、必要な時には、私に指示してくれれば日本円か米ドルに換金できると話してくれた。

 木下家の全員が亡くなり全部、七郎さんの財産となったと話したが、何か、きつねにつままれた様な感じで、にわかに信じられなかった。山下真一は用件を言うと名刺と渡した。私も65歳を越え、もし私に何かあれば息子の山下洋一「35歳」に、この件は話してあるので、彼と話してくれと言われた。同じ弁護士事務所か家にいるから、いつでも連絡がつくと言った。重大な事を話ししてくれ、ありがとうございますとお礼を言って失礼した。

鎌倉のリチャードの家に戻った。木下家の遺産の事をリチャードに話すべきか考え悩んだがリチャードは七郎を我が子同様に可愛がってくれ家も金も貸してくれた。秘密を明かそうと心に決めた。木下家の全財産がスイスの銀行に3215トロイオンス・100Kgの金地金があると明かした。そして家族が1959年の飛行機事故で全員亡くなり遺産全部を相続する事になったというと目を丸くして本当かと何回も聞いた。

 七郎が本当だと言うとリチャードが七郎の家系は日本の財閥の関係かと聞くので徳川家の親戚と伝えると江戸幕府の徳川かと聞き直した。そうだと言うと七郎の才能が木下家の小さい時の英才教育のお陰げだと納得した。リチャードは七郎を以前にも増して好きになり頼もしく思った。今度はリチャードが有名な大富豪ファミリー、ロスチャイルド家の子孫だと打ち明けた。
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