第3話:投資とサリーとの出会い

文字数 3,235文字

 七郎もリチャードがロスチャイルド家出身とは信じられないと驚いた。リチャードが笑いながら、これでイーブンだなといった。ロスチャイルド家もスイスの銀行に口座を持っていて大きな金をプライベートバンクで投資して資産を増やしていると言った。木下七郎も弁護士からスイスのピクテに預けていると言った。そこでリチャードが七郎一人で管理するのは難しい。

 だから良かったらロスチャイルド・グループのプライベートバンクに七郎名義の口座を新しく開かないかと言ってくれた。それを聞いて七郎は言われた通りにした。翌日、リチャードがスイスの銀行の担当者に電話して財産の処理を指示し翌週、全部、完了したと連絡が入った。リチャードの義理の息子と言う事でプライベートバンクに登録したようだ。リチャードが、これでスイスの銀行のプライベートバンクが節税や投資の指導してくれると言った。

 七郎はリチャードに礼を言うとリチャードが七郎も正式に私の義理の息子になったと喜んでくれた。七郎が1979年26歳の時、リチャードの古くからの友人の娘さんが日本に留学しているんだけれど一度、会ってみないかと言われた。名前はサリー・ロスチャイルドと言う。彼女に七郎の事を話したところ本人から興味があるので是非、紹介して欲しいと言われたと話した。

 彼女は日本の文化、着物、武道、武士道、日本の花、山、紅葉が好きだ。現在、東京で英語学校の教師をして24歳、UCLAを卒業。その後、すぐ日本に留学したそうだ。六本木のアマンドで彼女と会い七郎が流暢な英語で自己紹介をした。お返しにサリーが日本語で自己紹介をした。七郎は聡明で明るく笑顔のかわいい美人で一目で気に入った。帰る前、突然、会って欲しいと、出しゃばって、ごめんねと、彼女が言ったのには驚いた。

 なる程、日本が好きというのがよくわかる気がした。サリーが七郎さんは柔道の黒帯だそうですねと話した。そして柔道着を着て練習しているのを見たいわと語った。七郎が、たまに横浜の道場に行きますので良かったらどうぞと言い、また電話で連絡しますとサリーに告げた。翌週、七郎がサリーに電話を入れ横浜の道場へ一緒に出かけた。

 1時間の練習を終えて汗びっしょりでサリーの所へ来るとサリーが柔道着をさわらせて言うので了解した。すると帯や袖、合わせなどを手で触り両手で生地を引っ張ったりして、すごい頑丈で切れそうもないねと笑った。汗臭いだろうと七郎が言うと、その位の方が私は好きとサリーが笑った。

 その後、サリーの写真を何枚も写真をとり3ヶ月が過ぎてリチャードが七郎にサリー、いい娘だろと言うと、照れながら七郎が最高ですと答えた。そしてお互いに大笑いした。リチャードが結婚しろよと唐突に言うと七郎が恥ずかしそうに結婚したいですと語った。じゃー決まりだな、サリーが七郎の柔道の練習を見て彼なら間違いないと言った。そして七郎に結婚の事を聞いて欲しいと言われたとリチャードが白状した。

 1979年の紅葉の美しい鎌倉の鶴岡八幡宮でリチャードなど数人が見守る中、神前結婚式を行い夫婦の契りを結んだ。この2年後、1981年の春、子供ができ日米の架け橋のような夫婦が正式に誕生した。その晩、七郎がリチャードにコンピューターのソフトウェア分野でもRDB「リレーショナルデータベース」に興味を持っていると話すとリチャードが驚いた。

 翌1981年の新春、日本でもパーソナルコンピューター・第1号、PC8001というパソコンが発売され、早速、購入した。その数年後、本格的なPC9801も購入。七郎がアメリカ時代の友人に連絡するとデータベースⅡと言うリレーショナルデータベースのソフトを送ってくれた。それを使い、模擬データベースをつくりソフトを試し始めた。

 この話をリチャードに話すと面白いシステムでロスチャイルド家の財産管理のデータベースをつくってくれと言われた。そこで早速、作成するとロスチャイルド家の財産管理の仕事をやって欲しいと頼まれた。その後、数年後、コンピューター作業のスタッフ男性3人と受付女性1人を雇い、事務所を借りた。そしてアメリカのロスチャイルド家から送られてくるデータに、その日のロスチャイルド家の日本での株式、為替、貴金属、原油の全取引記録を書き加えた。

 そして16時までにイギリスのシティのロスチャイルド家のデータセンターへ送る業務を始めた。数年後、日本では1982年に日本電気からPC9801が発売されて本格的なパソコン時だが幕を開けた。その後、1984年にアシュトンテイトからデータベース・スリー、バージョン2.0Jというエムエスドス版の本格的データベースソフトが発売された。

 リチャードから財産管理だけでなく顧客管理なども作成する様に依頼された。多くの仕事をする事になりネット通信費、事務所費、コンピュータ購入費は全てロスチャイルド家が支払ってくれた。別に給料として月に事務所に2百万円を支払うと言われ、数年後からロスチャイルド家の仕事を始めた。その後、データベースソフト、データ・ベース・スリーが廃れてマイクロソフト・アクセスに代わった。

将来は大型コンピュータの時代からパーソナルコンピュータの時代になると七郎は考えていたが、まさに、その時代がやってきた。データベースと共に、学生時代研究していたのがネットワークだった。一方、日本では、1984年に東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ「JUNET」が誕生。

 リチャードが学費を全額出すから七郎に慶応義塾大学に研究生として入り込んで、勉強して欲しいと言った。すると七郎が、面白そうですねと言い了解した。早速、手続きを取り慶応大学の工学部、電気工学科へ入り込んだ。七郎が、サンノゼ州立大学で電気工学科卒業と言う事で研究室では有名になった。

 その頃、七郎はリチャードに言われて、ロスチャイルド家の資産運用の経理担当会社として正式に七郎商会を1985年、七郎32歳の時に設立した。ニューヨークのロスチャイルドから送られてくるアメリカでの1日の投資活動の経理情報をまとめた。そして作成したデータベースをニューヨークの仕事が終わるニューヨーク時間の午前5時、日本時間の午前5時半「夏時間」、午前6時半「冬時間」の送ってくる。

 そのニューヨークでのロスチャイルド家の取引を書き加えたデータを七郎商会に送信した。続いて七郎商会で日本時間午前9時から始まる日本市場での取引と取引後のデータ記録を記入した。その後、日本時間午後16時から始まる欧州市場を記録するため、日本時間の15時過ぎロンドンのシティにあるロスチャイルド家のオフィスに送る。

 つまり世界中の市場でのロスチャイルド家の取引データを更新した。そしてニューヨーク→日本→ロンドン「シティ」→ニューヨークと世界中、切れ目ない取引を24時間連続でロスチャイルド家の商売の結果を正確に蓄積していく。それを毎日の世界中の大きな取引を記録してデータに蓄積していった。その売買高も非常に大きく世界の市場に大きな影響を与えている。

 そこで生じた利益をスイスの銀行のロスチャイルド家のプライベートバンクに定期的に送る仕組みになっている。七郎商会ではコンピュータの入力、管理スタッフを七郎を含め男性4名とパソコンを使える秘書兼・受付嬢、女性2名の合計6名で立ち上げた。3交代制で日本、欧州、米国の経済状況を24時間態勢で見ていた。そしてジュネーブのスイスの銀行のロスチャイルド家のプライベートバンクと情報を共有した。

 ゴールド「金」、原油取引を初めとした商品市場と米ドル、ポンド、日本円、スイスフランなど為替市場、先進国の株価の変動を見逃さないようにして24時間、ベストの状態で投資活動をしていく。この仕事で七郎商会には給料を含めてロスチャイルド家から年間1億円の利益がもたらされる様になった。
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