第15話 実験と観察、そして検証
文字数 3,949文字
サクラには伝えておかないと……。
彼女がどこまで理解してくれるだろうか。
副市長たちとの話で方針が決まり、危機管理室を出た後にそのままサクラの所へ向かった。彼女たちは移動せず一階のホールに留まっている。
「サクラ、寒くないですか?」
「ที่รัก《ティラ》! このふくろ、あたたかいですね」
大判のごみ袋に穴をあけて頭と両腕を通したまま、衣装を披露するかのようにくるっと一回転してみせる。
「とても似合ってるよ」
こんな時でも、彼女の仕草を見ていると思わず微笑んでしまう。
「モデルがいいからね」
そのポーズ、好きだよ。小柄な君がくいっと顎を上げて、胸を反らせて。ちょっとコミカルに自慢げな表情を見せる君のことが……。
「サクラ、ちょっと話がしたいんだけど」
「なんですか?」
その場に腰を下ろすと、彼女も隣に座った。
「あの……、もしさ……前の世界に還れたら、何がしたい?」
俺の言ったことが理解できないのか、こちらを見て小首をかしげる。
「私たちが、住んでいたところ、そこに戻れたら、やりたいこと、ありますか?」
今度は身振り手振りを交えながら、言葉を区切って伝えてみた。
あぁ、と静かに笑みを浮かべてうなづきながら、彼女は話し始める。
「サクラの、おとーさん、おかーさん、おこめ、つくってます。サクラ、はたらいて、おかねおくります。サクラ、りょうりすき。もっと、にほんごべんきょうして、レストランやりたい」
「そっかぁ。だからレストランで働いていたんだね」
きっと君なら、笑顔を振りまく人気者のママさんになるだろうな。その夢、叶えてあげたい。
「ที่รัก《ティラ》は? なにしたいですか?」
問いかける彼女の視線から逃げるように、ホールの天井へ目をやる。
「俺は、誰かの役に立ちたくて市役所の仕事を選んだんだ。その思いは今でも変わらない」
彼女への返答、というよりも自分へ言い聞かせるかのようにつぶやいた。彼女はまた、小首をかしげている。
もう一度彼女へ向き直り、視線を受け止めた。
「俺、市庁舎 を出ることにしたんだ」
*
副市長も光岡局長も、さらに困惑している。
係長だって、さっき話した時には「実験と観察って、どういうことだい?」と合点がいかない様子だった。
「高次の存在によるものだと仮定すると、目的は何かということになります。光岡局長が仰る通り、私たちは単に弄ばれてるだけかもしれません。でも、何か目的があるのだとしたら――」
順を追って二人に説明していく。
佐伯さんと同じように受け止めてくれるといいのだけれど。
「そう考えて、今回の転移が起きたタイミングに着目してみました。ご存知のように、河本さんたちが庁舎を出てから間もなく、私たちはこの地に飛ばされています。これが偶然ではないとすれば、どんな理由があるのか?」
三人の真摯な視線を感じる。
「もう一つ、ずっと気になっていたのが、初めて飛ばされた場所に何もなかった、ということです。動物はもちろん植物や水さえない、そんな環境下に庁舎ごとぽつんと置かれた。この二つの事象を関連付けるものは何か、色々と考えてみました」
いくつもの推論を組み立てては、実際に起きたことと照合してみた。
ミス研の仲間たちを思い浮かべながら、一人ディベートの結果、採用したのは……。
「これは培養実験なのではないか、と思います」
「専門外なので聞きかじった知識しかありませんが、培養実験は滅菌して何もない環境を作り、温度を一定にして試験体を置きます。そこで周囲への増殖が確認出来たら、別条件の環境に試験体を置く、そんな実験をしているのではないかと。先程、局長から氷が見つかった話を聞いて、この仮説に自信を深めました」
自分たちを細菌や微生物に見立てるのは面白くない気分だけれど、この状況はそう考えるしかない。
「河本さんたちが庁舎を出て新たな活動を始めたことで、あの地に定着したと認識し、次の異なる条件下――気温が低く、水のある環境へ試験体を移動させた……そう考えれば実際に起こった事象と合致します」
ずっと黙って聞いていた副市長が口を開いた。
「荒唐無稽な話かと思っていたけれど、確かに符合しますね」
「しかし、たまたま一致しただけかもしれないのでは……」
光岡さんの疑問も尤もだ。
「だからこそ、この仮説が正しいのか検証したいんです。もし正しければ、また異なる環境に移らされるはずです。そして、彼ら の実験が終われば元の世界へ還れるかもしれません」
あの浦島太郎の話が事実に基づいて口承されたものだとすれば、なぜ彼は元の世界へ還れたのか。彼が自らの力で困難を切り開いたわけではなく、半ば強制的に竜宮城という異次元から還されている。
その理由は?
彼に対する実験と観察が終わったから――それが俺の推論だ。
もし俺の仮説通りだとしたら、元の世界へ還ることが出来るかもしれない。
馬鹿げた考えだと言われようと、最後まで諦めたくはない。
「加瀬さん、君の考えは分かりました。昔話を持ち出すなんて、いささか突飛な発想ではあるけれど私たちが体験してきたことと照らし合わせると、納得できる部分も多い」
「しかし副市長、あまりにも飛躍した話では?」
「そうですね。でも、今の状況を説明できる科学的な根拠などないじゃありませんか」
「確かにそうですが……」
「彼の意見を信じる、というよりも、私は賭けてみたい」
光岡さんの方に身体を向け、副市長が力強く言った。
「水が見つかったとはいえ、食料は底を突こうとしています。我々には時間がないんです」
その強い思いを感じたのか、光岡さんもそれ以上口を挟むことはなかった。
再び俺の方に向き直り、副市長が話を続ける。
「それで、どうやって確かめようというんですか?」
「市庁舎を出て、この地に留まる意思を見せる必要があります。数人ではなく、一定人数のグループでここを離れます」
「その方法では、仮に君の仮説が正しかったとしても、また多くの犠牲者を残していくことになるじゃないですか!」
光岡さんは椅子から腰を浮かして気色ばんだ。
「いえ、彼らが実験結果を確認したのが分かったら、すぐに庁舎へ戻ります」
「そんなことが出来るのですか?」
副市長も不審な面持ちだ。
「はい。転移現象が起こる前に、二度ともケムトレイルという現象が現れています。飛行機雲のようなものが空に現れるので、すぐに気づくことが可能です」
「それが現れたら、すぐに引き返すということですね。現れてから転移するまでの時間は?」
「わかりません」
「あの地震との因果関係はどうですか?」
「……それも、分かりません」
そうなんだ。すべてが紐解けたわけじゃない。
ケムトレイルが前兆であることは間違いないはずだが、どのタイミングで発生するのかは分からない。
庁舎からある程度は離れないと定着と認識しないだろうから、ひょっとしたら、すぐに引き返しても転移には間に合わないかもしれない。
札幌では起きなかったけれど、あの大地震が無関係だとも思えない。
「かなり……リスクは高いですね」
「彼の考えが正しかったとしても、危険すぎます。止めましょう」
「それでも、試す価値があるのではないでしょうか」
ここに来て初めて、佐藤係長が口を挟んだ。
「副市長が仰る通り、リスクは高いと思います。それでもやってみるべきです。何もしなければ、みんなこのまま衰弱していくだけかもしれない。試すなら、今しかありません」
「しかし、この仮説通りだったとしても、外に出たグループが間に合わなければ……」
光岡さんは、ここに残っている人たちのことを守りたいのだろう。その気持ちもよく分かる。
それでも試してみたい。
もし間に合わなかったとしても――
「間に合わない場合は仮説が正しいということ、残った人たちが助かる可能性も高くなる、ということです」
驚いて係長の方を見た。
俺が言おうとしていたことを先に言われてしまった。
係長もこちらを見てニヤリとしている。
「光岡さん、やるなら今しかないし、リスクはあってもやってみる価値があると私も思います。後はあなたにお任せします」
「えっ!? どういうことですか」
「私はここを出るグループに加わります」
副市長からの予想外な言葉に、誰も言葉を発しなかった。
「大丈夫。こう見えても学生の頃は山岳部で、今でも年に二回は山に登っているんですよ」
いや、そこじゃないですよ、と突っ込みを入れたいのをぐっと堪える。
飄々とした風貌ながら、ここぞというときの決断力があるのは、今日のやり取りだけではなく、河本さんとの一件からも分かる。そして、この人は意外と頑固みたいだ。
「ずっと部屋に籠っているのも飽きてきたところでした。今から準備に取り掛かりましょう」
さすがの光岡さんも呆気にとられている。
「始めから加瀬君も行くつもりだったんだろ? 仕方ないな、部下の面倒を見るのが上司の務めだから。私も行くよ」
嬉しそうな係長を見て、今度は俺が呆気にとられた。
*
深夜の内に――この地でも白夜だった――全員に対して遠征隊の目的とリスクが伝えられ、四十名を目途として参加希望者を募った。
元の世界に還れるかもしれないという一縷の望みが、みんなに再び活力を与えた。
もうすぐ日付が変わろうとしている。
彼らに残されているのは――三十八時間。
彼女がどこまで理解してくれるだろうか。
副市長たちとの話で方針が決まり、危機管理室を出た後にそのままサクラの所へ向かった。彼女たちは移動せず一階のホールに留まっている。
「サクラ、寒くないですか?」
「ที่รัก《ティラ》! このふくろ、あたたかいですね」
大判のごみ袋に穴をあけて頭と両腕を通したまま、衣装を披露するかのようにくるっと一回転してみせる。
「とても似合ってるよ」
こんな時でも、彼女の仕草を見ていると思わず微笑んでしまう。
「モデルがいいからね」
そのポーズ、好きだよ。小柄な君がくいっと顎を上げて、胸を反らせて。ちょっとコミカルに自慢げな表情を見せる君のことが……。
「サクラ、ちょっと話がしたいんだけど」
「なんですか?」
その場に腰を下ろすと、彼女も隣に座った。
「あの……、もしさ……前の世界に還れたら、何がしたい?」
俺の言ったことが理解できないのか、こちらを見て小首をかしげる。
「私たちが、住んでいたところ、そこに戻れたら、やりたいこと、ありますか?」
今度は身振り手振りを交えながら、言葉を区切って伝えてみた。
あぁ、と静かに笑みを浮かべてうなづきながら、彼女は話し始める。
「サクラの、おとーさん、おかーさん、おこめ、つくってます。サクラ、はたらいて、おかねおくります。サクラ、りょうりすき。もっと、にほんごべんきょうして、レストランやりたい」
「そっかぁ。だからレストランで働いていたんだね」
きっと君なら、笑顔を振りまく人気者のママさんになるだろうな。その夢、叶えてあげたい。
「ที่รัก《ティラ》は? なにしたいですか?」
問いかける彼女の視線から逃げるように、ホールの天井へ目をやる。
「俺は、誰かの役に立ちたくて市役所の仕事を選んだんだ。その思いは今でも変わらない」
彼女への返答、というよりも自分へ言い聞かせるかのようにつぶやいた。彼女はまた、小首をかしげている。
もう一度彼女へ向き直り、視線を受け止めた。
「俺、
*
副市長も光岡局長も、さらに困惑している。
係長だって、さっき話した時には「実験と観察って、どういうことだい?」と合点がいかない様子だった。
「高次の存在によるものだと仮定すると、目的は何かということになります。光岡局長が仰る通り、私たちは単に弄ばれてるだけかもしれません。でも、何か目的があるのだとしたら――」
順を追って二人に説明していく。
佐伯さんと同じように受け止めてくれるといいのだけれど。
「そう考えて、今回の転移が起きたタイミングに着目してみました。ご存知のように、河本さんたちが庁舎を出てから間もなく、私たちはこの地に飛ばされています。これが偶然ではないとすれば、どんな理由があるのか?」
三人の真摯な視線を感じる。
「もう一つ、ずっと気になっていたのが、初めて飛ばされた場所に何もなかった、ということです。動物はもちろん植物や水さえない、そんな環境下に庁舎ごとぽつんと置かれた。この二つの事象を関連付けるものは何か、色々と考えてみました」
いくつもの推論を組み立てては、実際に起きたことと照合してみた。
ミス研の仲間たちを思い浮かべながら、一人ディベートの結果、採用したのは……。
「これは培養実験なのではないか、と思います」
「専門外なので聞きかじった知識しかありませんが、培養実験は滅菌して何もない環境を作り、温度を一定にして試験体を置きます。そこで周囲への増殖が確認出来たら、別条件の環境に試験体を置く、そんな実験をしているのではないかと。先程、局長から氷が見つかった話を聞いて、この仮説に自信を深めました」
自分たちを細菌や微生物に見立てるのは面白くない気分だけれど、この状況はそう考えるしかない。
「河本さんたちが庁舎を出て新たな活動を始めたことで、あの地に定着したと認識し、次の異なる条件下――気温が低く、水のある環境へ試験体を移動させた……そう考えれば実際に起こった事象と合致します」
ずっと黙って聞いていた副市長が口を開いた。
「荒唐無稽な話かと思っていたけれど、確かに符合しますね」
「しかし、たまたま一致しただけかもしれないのでは……」
光岡さんの疑問も尤もだ。
「だからこそ、この仮説が正しいのか検証したいんです。もし正しければ、また異なる環境に移らされるはずです。そして、
あの浦島太郎の話が事実に基づいて口承されたものだとすれば、なぜ彼は元の世界へ還れたのか。彼が自らの力で困難を切り開いたわけではなく、半ば強制的に竜宮城という異次元から還されている。
その理由は?
彼に対する実験と観察が終わったから――それが俺の推論だ。
もし俺の仮説通りだとしたら、元の世界へ還ることが出来るかもしれない。
馬鹿げた考えだと言われようと、最後まで諦めたくはない。
「加瀬さん、君の考えは分かりました。昔話を持ち出すなんて、いささか突飛な発想ではあるけれど私たちが体験してきたことと照らし合わせると、納得できる部分も多い」
「しかし副市長、あまりにも飛躍した話では?」
「そうですね。でも、今の状況を説明できる科学的な根拠などないじゃありませんか」
「確かにそうですが……」
「彼の意見を信じる、というよりも、私は賭けてみたい」
光岡さんの方に身体を向け、副市長が力強く言った。
「水が見つかったとはいえ、食料は底を突こうとしています。我々には時間がないんです」
その強い思いを感じたのか、光岡さんもそれ以上口を挟むことはなかった。
再び俺の方に向き直り、副市長が話を続ける。
「それで、どうやって確かめようというんですか?」
「市庁舎を出て、この地に留まる意思を見せる必要があります。数人ではなく、一定人数のグループでここを離れます」
「その方法では、仮に君の仮説が正しかったとしても、また多くの犠牲者を残していくことになるじゃないですか!」
光岡さんは椅子から腰を浮かして気色ばんだ。
「いえ、彼らが実験結果を確認したのが分かったら、すぐに庁舎へ戻ります」
「そんなことが出来るのですか?」
副市長も不審な面持ちだ。
「はい。転移現象が起こる前に、二度ともケムトレイルという現象が現れています。飛行機雲のようなものが空に現れるので、すぐに気づくことが可能です」
「それが現れたら、すぐに引き返すということですね。現れてから転移するまでの時間は?」
「わかりません」
「あの地震との因果関係はどうですか?」
「……それも、分かりません」
そうなんだ。すべてが紐解けたわけじゃない。
ケムトレイルが前兆であることは間違いないはずだが、どのタイミングで発生するのかは分からない。
庁舎からある程度は離れないと定着と認識しないだろうから、ひょっとしたら、すぐに引き返しても転移には間に合わないかもしれない。
札幌では起きなかったけれど、あの大地震が無関係だとも思えない。
「かなり……リスクは高いですね」
「彼の考えが正しかったとしても、危険すぎます。止めましょう」
「それでも、試す価値があるのではないでしょうか」
ここに来て初めて、佐藤係長が口を挟んだ。
「副市長が仰る通り、リスクは高いと思います。それでもやってみるべきです。何もしなければ、みんなこのまま衰弱していくだけかもしれない。試すなら、今しかありません」
「しかし、この仮説通りだったとしても、外に出たグループが間に合わなければ……」
光岡さんは、ここに残っている人たちのことを守りたいのだろう。その気持ちもよく分かる。
それでも試してみたい。
もし間に合わなかったとしても――
「間に合わない場合は仮説が正しいということ、残った人たちが助かる可能性も高くなる、ということです」
驚いて係長の方を見た。
俺が言おうとしていたことを先に言われてしまった。
係長もこちらを見てニヤリとしている。
「光岡さん、やるなら今しかないし、リスクはあってもやってみる価値があると私も思います。後はあなたにお任せします」
「えっ!? どういうことですか」
「私はここを出るグループに加わります」
副市長からの予想外な言葉に、誰も言葉を発しなかった。
「大丈夫。こう見えても学生の頃は山岳部で、今でも年に二回は山に登っているんですよ」
いや、そこじゃないですよ、と突っ込みを入れたいのをぐっと堪える。
飄々とした風貌ながら、ここぞというときの決断力があるのは、今日のやり取りだけではなく、河本さんとの一件からも分かる。そして、この人は意外と頑固みたいだ。
「ずっと部屋に籠っているのも飽きてきたところでした。今から準備に取り掛かりましょう」
さすがの光岡さんも呆気にとられている。
「始めから加瀬君も行くつもりだったんだろ? 仕方ないな、部下の面倒を見るのが上司の務めだから。私も行くよ」
嬉しそうな係長を見て、今度は俺が呆気にとられた。
*
深夜の内に――この地でも白夜だった――全員に対して遠征隊の目的とリスクが伝えられ、四十名を目途として参加希望者を募った。
元の世界に還れるかもしれないという一縷の望みが、みんなに再び活力を与えた。
もうすぐ日付が変わろうとしている。
彼らに残されているのは――三十八時間。