第11話 すべてはあの日から

文字数 2,689文字

 色々と思うことがあり、なかなか眠れないまま朝を迎えた。

 ガラスのない窓から、遠くまで続く赤い大地に目をやる。
 眺めながら何となく感じていた違和感は、ここに来てからずっと空を覆っていた雲がないことだと気がついた。
 それでも青空が見えるわけではなく、朝焼けのような茜色の空が続いている。

「みんな、今頃はどのあたりにいるんだろう」
 いつの間にか起きてきていた佐伯さんが、窓の手摺に両手をつく。
「昼も夜もないようなもんですからね。もう七時だし、休憩を取りながら寝ずに歩いたとしたら、三十キロくらい移動したかもしれません」
「どうなっちゃうんだろうね、私たち……」
 佐藤係長も佐伯さんもここに残ったけれど、誰もが確信を持って選択しているわけじゃないはず。
 残った俺たちが正しかったのか、出ていった河本さんたちが正しかったのか、それとも――答えはあと数日で分かる。

「ねぇっ、あれ見て!」
 突然、佐伯さんが大きな声をあげた。
「あれ、飛行機雲じゃない!? どこからか助けに来てくれたのかも!」
 佐伯さんが指さす先には、茜色の空に白い雲が一筋の線を描いていた。
 でも、あれは……。
 今にもはじゃぎ出しそうな佐伯さんへ言うのもつらい。
「あれは飛行機雲じゃないと思います」
「えっ!? だって、すぅっと一直線になってるし……」
「飛行機雲は水分が氷の粒になって白く見えるもので、時間と共に拡散していきます。だけど、あれはずっと留まったままなので、恐らくケムトレイルと呼ばれる現象ですね」
「……そうなの?……」
 いっきょにテンションが下がってしまった佐伯さん。
「なぜあんな現象が起きるのか、原因は分かっていないんですけど」
「変なことに詳しいのね」
化学(バケガク)専攻でミステリー研の出身ですから。ミステリーといっても推理小説じゃなくて超常現象の方なので、こういうことには詳しんです」
 そうだよね、飛行機が飛んでいる訳ないし、と言いながらも、がっかりした様子の佐伯さんへ、気の利いた言葉一つも掛けられなかった。


 調理された温かい食事は、体に活力を与えてくれる。
 しかし、それも今日の朝食が最後かもしれない。残っている食料は非常用のビスケットや乾燥米、缶詰がほとんどらしい。
 体は貴重な活力を得たはずなのに、心は夜の湖のように静かだった。
 俺だけじゃなく、ここにいる誰もが活気を失っているように感じる。
 暗く落ち込むというのでもなく、絶望に打ちひしがれると言う訳でもない。
 諦めを含んだ虚無感が、この庁舎内に漂っていた。

 訳も分からず『この地』へ飛ばされたときから続いていた、緊張の糸がまさに切れてしまった――河本さんたちがとった行動は、ここに残った俺たちにも大きな影響を与えている。
 それでも水を探すことは続けなければならない。
 調査班は、境界線()とも河本さんとも違う方向へ残った五台の自転車を走らせていた。
 命を繋いでいくためにも、水を。食料を……。
 こんなことになってしまったのも、すべてはあの日から始まった。
 あれから既に三日が経とうとしている。
 あの時、一緒に話をしていた小泉さん。俺にとっては佐藤係長や亡くなった水野課長よりも、あの人を上司として意識していた。
 面倒見のいい先輩で、些細なことを聞いても嫌な顔をせず丁寧に答えてくれていたので、仕事はいつも小泉さんから教わっていた。
 無理に前を向こうとして思い出さないようにしてきたけれど、もう教えてもらうことも出来ないのかと思うと辛い。
 何もやる気が起きず、自然と足は一階へ向かっていた。


「あぁ、ที่รัก《ティラ》……どうしましたか?」
 こちらから何も言っていないのにサクラが心配そうに聞いてくる。俺はそんなに冴えない顔を見せているのか。
「いや、サクラたちは大丈夫かなぁと思って」
「ちがうでしょ? そうじゃない。ที่รัก《ティラ》うそね。どうしましたか?」
 まいったな。やっぱりお見通しか。
「昨日、出ていった人たちがいたでしょう。今はどうしてるのかなぁと思って。それに、ずっと水を探しているけれど見つからないし……。
 サクラに会えば元気が出るかと思って会いに来ました」
「サクラは、げんきね!」
 いつもの笑顔で、また力こぶを作って見せている。
 彼女だって不安もあるはずなのに。
 芯の強い女性だ。
「わたしたち、おいのりしてます。みんな、だいじょうぶように」
「ありがとう。たまたま旅行に来て、こうなってしまったのに……」
「ที่รัก《ティラ》もおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」
「そうだね……サクラは凄いよな、いつも元気で。さすが、お姉さん!」
「だめっ! おおきなおとうと、いらない、いったでしょ」
 思わず二人で声をあげて笑った。
 久しぶりに、こんな風に笑った気がする。
 彼女の笑顔がなかったら、とっくに俺は心が折れていたかもしれない。
「そと、でてもOK?」
「大丈夫。行ってみようか」
 そう言って、エントランスホール正面の出入り口へ歩き始めたとき――

「!?」
 忘れもしない、遠くで女の子が甲高い声で叫んでいるような、『あの音』。
 徐々に高い音となっていく。
 間違いないっ!
「みんな、気をつけてっ! すぐに伏せて!」
 ホールにいる人たちに向かって大きな声をあげた。
 誰もがあの音を体験していることもあり、他の人たちも気付いたのだろう。
 すぐにその場へ伏せる。
 高まっていく見えない圧を感じながら、しゃがみこんだサクラを庇って覆いかぶさるようにした。
 耳に感じる違和感。
 来るっ!

「うわぁっ!」
 急激に上昇するような感覚と共に、床面へ向かって押し潰されるような重力を感じた。
 あちこちで叫び声が聞こえる。
 サクラはしゃがんでいられず、床へ腹ばいになった。
 俺も膝をついて四つん這いになり、彼女の左手を上から握る。
 そして、数秒間続いた重力が和らいだ後の急降下するような浮遊感。
 あの日と同じだ。

 しばらく息を止めてしまっていたようだ。
 建物の動きが止まると、思わず大きく深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「サクラ、大丈夫?」
 彼女は身体を仰向けに動かして「……だいじょうぶです」と答える。
 腕時計の針は十一時を指そうとしていた。

                  *

 彼らに残されているのは――五十一時間。 
 
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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