第3話 タイムリミット

文字数 3,137文字

 誰も、何も言わない。
 みんな、田町の言葉を胸の中で繰り返していた。
「信じるも信じないも、我々がいるこの地は見たこともない場所であることは確かです。私だって認めたくなんかない。いったい何が起こったのか、なんでこうなったのか……。
 今、言えることは一つ。どうやら、私たちは生きているらしい、ということだけです」

 思わず頭を抱えてしまう者、机の上で組んだ両手を見つめ微動だにしない者、椅子に座ったまま天井を見上げ大きなため息をつく者、各々が様々な反応を見せる中、強い意志を持った眼差しで田町を見返す男がいた。総務局長の光岡だった。
「副市長、我々が出来ることをやりましょう! こうなってしまった以上、今さら嘆いていても仕方ないじゃないですか」
 細身の体躯で物静かなタイプと思われていた光岡が、内に熱情を秘めているせいか一回り大きく見える。そんな彼の言葉を遮り、会議の冒頭でも大声をあげていた河本が話しだした。
「いったい何が出来るって言うんだ!? 水も電気もない、救助が来ることもない、ここが何処かも分からない、そんな状況で出来ることなんか無いだろうっ!」
「それじゃ、河本さんは何もせずただ座っているのですか? 待っていたって何も起こらないのが分かっているのに……」
 光岡を睨みつけながら、河本も再び口を閉ざす。
「河本さん、光岡さんの言う通りじゃないですか。このまま待っていても仕方ない。いま出来ることをやるべきだとは思いませんか?」
 田町の言葉に耳を貸すこともなく、河本は席を立ち部屋を出ていった。

「まず、我々が把握すべきは、ここに何人いるのか、ということです。職員だけでなく一般の方もいるでしょう。怪我をしている方の人数も把握したい。治療というほどのことは出来ませんが、災害時の備蓄資材もあります。各部署に戻って、各階ごとに人数の確認作業を行ってください」
 指示を受けた各局長が退室していく中、田町は光岡に声を掛けた。
「光岡さんにはお願いがあります。十八階へ行って――」

                  *

 佐藤係長と一緒に、小泉さんの遺体を二階の会議室へ運んだ。
 面倒見のいい、頼れる先輩だった。配属されてから色々と指導してくれたのが思い出される。さっきまで言葉を交わしていたのに……。
 今起きていることすべてが、まだ現実として受け止められないせいか、悲しいという感情すら浮かんでこない。
 ショックで動転していた佐伯さんは水野課長についている。彼女も俺と同じなのか、表情が乏しく目に映るものも気にしていない様子だ。課長の出血は止まったけれど意識は戻らないし、動かしていいかも分からないから事務スペースに寝かせたままにしていた。
「二階の人数だけじゃなく、一階の市民ホールもカウントしたほうがいいですよね。誰か行ってるのかな」
 独り言のような俺の問いかけに、係長も噛み合わない答えを返してきた。
「まったく、俺もまだまだだな。こんな時に会議なんてと思っていたら、話し合いなんかじゃなく副市長からの状況説明と指示のために呼ばれたそうじゃないか。トップが責任をもって指示する――正直、田町さんのことを見直したよ」
「それじゃ、一階に行ってきます。なんだか騒々しいし」
 係長は右手を挙げ、二階の人員確認を始めた。さっきまでは投げやり感で一杯だったのに、いつもの感じに戻ってきた気がする。

 一階の市民ホールは想像していた通り、あちこちで職員と言い争う人たちがいた。ここに取り残された観光客のようだ。
 俺たち職員ですら理解できないまま義務感で動いているのだから、たまたま庁舎を訪れていた人たちからすれば納得なんか出来ず、不平を言いたくなるのも分かる。きっと、それが理不尽な言いがかりだというのも、あの人たちは分かっているのだろう。
 とにかく、今は人数の把握と負傷者の有無を確認することが先決だ。揉めているのを横目で見ながら、ホールの奥で固まっている一団へと近づいて行った。
「みなさん、大丈夫ですか? 今、人数の確認を行っているのでご協力をお願いします」
 手前に立っていた年配の女性へ声を掛けると、早口で返された。
「มีอะไรเกิดขึ้นบ้าง? เกิดอะไรขึ้น?」
 外国の方だったのか……東南アジア系だよな。フィリピン? もしそうならタガログ語のはずだけれど、全く分からないや。
「อะไรจะกลายเป็นของเรา? ฉันอยากกลับบ้านเร็ว ๆ นี้……」
 困っているのは伝わって来るけれど、こっちも困ったな。誰か言葉が分かる人っているんだろうか……とりあえず、観光課に行ってみるか。
「あの、ゴメンナサイ」
 歩きかけた時に後ろから声を掛けられた。振り返ると、小柄な若い女性だった。どうやら、このグループの中の一人らしい。先程の女性にも何やら声を掛けている。
「日本語、分かるんですか?」
「あー、わたし、ワカリマセン。すこし」
 よかった、少しは話せるみたいだ。
「先ほどの方、困っていたみたいですけど大丈夫ですか?」
「あ、ハイ……なぜここ? かえりたいって……」
「……そうですか。すいません、せっかく札幌へ来ていただいたのに――」
「あなた、わるくないでしょ」
 こんな時なのに、そう言って微笑んでくれた。これが彼女との出会いだった。

                  *

 各階ごとに確認された人数が、副市長室へ届き始める。集計作業中には光岡が現れ、その報告を聞いた田町はあらためて各局長に集まってもらうよう指示を出した。
 会議室に集まった中に河本の顔はなかった。他にも二名、姿を見せていない。
「仕方ないですね。もう組織として機能しているわけではありませんから。ただ、みんなで力を合わせて、出来ることをやっていきたい。どうかご協力をお願いします」
 頭を下げた田町に、不平を言う者はここにはいなかった。

「状況報告と今後の対応について指示をお願いします」
 光岡の声に顔を上げた田町は、庁舎内には三百五十六名がいること、その内、乳幼児が六名、重傷者が二十五名、また亡くなった者が十一名いたことを告げた。
 自家発電の燃料も限られているため、エレベーターは停止、照明も消灯して様子を見ること、外国からの観光客も残されているため、語学に堪能な方がいるか、また重傷者を診てくれる医療従事者がいるかを尋ねて欲しいとの話の後、さらに続けた。
「亡くなられた方々へ出来ることは、申し訳ないが今はありません。
 残された私達の目的は命を繋ぐことだと思っています。そのために最も重要なものは食料と水です。現在、この庁舎にどれくらい備蓄があるのか光岡さんに調べてもらいました」
 田町に促され、光岡が後を受けて報告を行う。
「非常用食料と飲料水については、人数を考慮すると三日分は十分に確保できています。それとは別に、食料については十八階のレストラン、地下の食堂に相応量の保管がありました。しかし、問題は冷蔵・冷凍保管が主ということです。電気が遮断されている状況なので長期の保管は難しく、加熱調理をして保管したいところですが、ガスも使えない。
 これらの状況と人数を考慮すると、最短だと二日分の食料しかないと言えます」

 光岡の報告にざわめく中、田町がみんなを見渡しながら話し始めた。
「つまり、五日間は食料と水が確保できている、ということです。この五日間の中で、私達は命を繋いでいく方法を探していかなければなりません」

 彼らに残された時間は五日――百二十時間。
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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