第16話 赤い大地

文字数 3,027文字

 仮説を確かめるための遠征隊は、九時にここを出発することとなった。
 田町副市長をリーダーとする四十五名には、俺と佐藤係長、そして――サクラも参加する。
 昨夜のことを思い出すと、自然に苦笑いが浮かぶ。係長からは「何をにやけてるんだ」と言われたけれど。

                  *

「俺、市庁舎(ここ)を出ることにしたんだ」
 元の世界へ還れる方法があるならば、その可能性が低くても試してみたい。例え、俺はこの地へ残ることになっても。
「ここをでるんですか!? どうして!」
 やばい、一気に彼女の顔つきが変わった。眉間に少ししわを寄せ、いつも以上に目力が強い。口を少し尖らせるようにして、きゅっと結んでいる。
 でも彼女を怒らせるようなこと、言ったつもりはないのに……。
「サクラも、でます! ที่รัก《ティラ》といっしょに、いきます」
「えっ、いや、この前と違って今度は危険だから。戻って来れるか分からないし」
「サクラも、ที่รักと、いきます!」
「ここにいれば元の世界へ還れるかもしれないんだ。サクラには夢があるんだろ? それを叶えてあげられるかもしれないんだよ」
「サクラもいっしょにいきます!」
 一緒に行くの一点張りで、俺の言っていることは半分も理解していないんだろう。また探検がしたいのか、それとも置いて行かれるとでも思っているのか。
 君を元の世界へ還してあげたい。この思いを分かってくれたら……。

「เด็กคนนี้ชอบคุณ. เพราะที่รัก เป็นวิธีเรียกคนรัก」
 俺たちのやり取りを聞いていた、彼女の叔母さんが突然話しかけてきた。
 サクラも驚いて叔母さんの方を振り返りながら、何か言っている。
「何? 叔母さんは何て言ったの?」
 彼女は黙って首を横に振る。
 少し様子が変だ。俯いて、急に大人しくなった。
「คุณชอบคนนี้หรือไม่? ถ้ามีโปรดบอกและทำตามที่คุณคิด」
 叔母さんは彼女の肩に手を置き、顔を覗き込むように話しかけている。
「何を言ったのか教えて? さっき、おばさんも確かティラって言ってたでしょ」
 顔を上げた彼女の眼は心なしか潤んでいるように見えた。
「ที่รักは、サクラのこと、きらいですか?」
 何だ、いきなり。
 さっきの副市長のときもそうだったけど、思いもよらぬ言葉を投げかけられると、人は何も言えずに固まってしまうものらしい。
「サクラは、ที่รักがすきです。だから、いっしょにいたい」
 あぁ。
 そうだったのか。
 俺の片思いだとばっかり……自分の鈍さに、我ながら呆れる。
「おばさん、ที่รักにはなし、しなさい、いいました。ที่รักは、すきなひとのこと。ちゃんとはなしして、サクラがきめなさい、いいました」
 ティラがそんな意味だったとは。
 俺のことを勝手にそう呼ぶなんて、なんか勝気な彼女らしいというか。うれしいけれど笑っちゃうな。
 こんな状況だから、言葉にはしないつもりだった。でも――
「俺もサクラのことが好きです。だから、安全なここに残って欲しい、そう思ったけれど……大人しく待っていてくれないんでしょ?」
「いっしょにいく、いいですか?」
「うん。一緒に行こう」
「ที่รัก!」
 返事が終わる間もなく、いきなり飛びあがって抱きついてきた。
 小柄な彼女が俺の首に両手を回し、両脚も腰に回して足首を交差させている。傍から見れば丸太にしがみついてるような恰好だ。
 軽い身体を支えながら、思わず彼女のおでこにキスをした。
「ここへ帰って来れないかもしれないけれど、いいんだね?」
「はい!」
 叔母さんだけが、お見通しという感じにうなずいている。
 しかし、サクラって……絶対、肉食系女子だよな。
「なんですか?」
 俺から降りて小首をかしげる彼女へ、何でもないと笑ってごまかした。

                  *

 エントランスホールに集まった人たちの表情は、強い意志を感じさせるものばかりだった。
 残り二日分を切った食料も各自に分けられている。早い段階で、この検証結果を出さなければ、時間と共にただ衰弱していくことになるかもしれない。
「そんなに一人で背負いこむような顔をしなくてもいいぞ」
 係長が声を掛けてくれた。
「みんな、納得してここに来てるんだ。加瀬君の仮説通りにいかなかったとしても、誰も君を責めたりしないさ」
「すいません、係長まで巻き込んでしまって」
「だから言ってるだろ、納得してるんだ、って」
 ポンと肩を叩かれた。
 隣にいるサクラは俺の左腕を掴んでいる。
「それでは、出発前にもう一度確認しておきます」
 副市長がみんなに向かって話し始めた。
「認識されやすいように、氷を回収するチームとは反対の方向へ向かって出発します。ケムトレイルと言われる現象を確認したらすぐにここへ戻るため、十キロほど離れた場所に拠点を作る予定です」
 誰もが真剣な面持ちで、副市長の言葉を聞いている。
「もし、明日の十二時までに何も起こらなかったときも撤収します」
 頼むからそれまでには――そう願わずにはいられない。

 ホールには光岡局長を始め、庁舎に残る多くの人が見送りに集まっていた。
 佐伯さんの顔も見える。
「係長、加瀬君、必ず戻ってきてくださいね! 私ひとりじゃ寂しいから」
 笑って手を振る様がぎこちないのも彼女らしくて、痛いほど思いが伝わってくる。
 俺たちだけじゃない、待ってくれている人たちも必死なんだ。どんな結果であろうと帰ってこなければ。
 その思いを胸に、赤い大地へと出発した。


 前にいた場所と同じように岩のような感触の、硬く脆い土で出来た山を登っていく。山と言っても急な斜面はなく、歩きやすい。
 二時間ほど歩いた辺りから、拠点となりそうな場所を探しながらゆっくり進むようになった。
 寒さをしのぐとともに、この地に定着したと認識させるためにも、風がしのげる地形を見つけて横穴を掘る計画だ。冬山で緊急時のビバークとして一般的な方法らしい。テント代わりとして、庁舎のカーテンも二十枚ほど持ってきている。
 副市長の他にも登山経験者が二名いたので、彼らが先頭に立ち地形や経路の見極めをしていた。
「サクラ、寒くない?」
 ゴミ袋を切り貼りして長袖タイプにして、内側には新聞紙を貼り付けた簡易防寒具に身を包んでいる彼女の様子をうかがう。
「これ、すごいです。とてもあたたかい。サクラ、つくってうりたいです」
 どんな時も明るく振舞おうとする彼女に、俺は勇気づけられてきた。
 彼女のことは守ってあげたい。
「でも、すこしうるさいですね」
 何十人もゴミ袋を着ているから、動くたびにあちこちでかさかさと音がする。
「確かに、ちょっとうるさいな」
 前を歩いていた係長も振り返って笑った。
「みなさん、この辺を拠点にしましょう。すぐに横穴掘りに取り掛かってください!」
 前の方から、副市長の大きな声が聞こえた。
 もうすぐ十二時になろうとしている。
「撤収まで丸一日か……」
 思わず見上げた空は、茜色の雲で覆われたままだった。
 
                  *

 彼らに残されているのは――二十六時間。
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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