第13話 異なる時

文字数 3,024文字

 標高九百メートルにもなるこの地域は、熱帯に属していながら比較的穏やかな気候で過ごしやすい。中でも、雨季が終わったこの時期には国内外からの観光客の姿も数多く見られる。
 九世紀ごろから栄えた街は寺院や宮殿といった歴史的建造物に加え、二十世紀に入り多くの公園が作られたこともあり、その穏やかな気候と相まって「インドの庭園都市」の別名を与えられたのがバンガロールである。
 一方、宇宙・航空産業を始めとした重工業企業の誘致により経済的な発展も遂げ、世界に誇るIT産業の中心地となった近年では「インドのシリコンバレー」とも呼ばれるようになった。
 その経済を支えるシンボルとも言われていたユーティリティ・ビルを中心とした区域が一瞬にして消えた。
 札幌の〈大空落〉から五日後のことである。


 札幌で起きた不可思議な事象は原因不明の災害としてトップニュースとなり、瞬く間に世界を駆け巡った。各国で地質学者や物理学者から軍事評論家に至るまで、様々な専門家が意見を述べていたが、所詮「アジアの国で起きたこと」の領域を出ず、どこか他人事の感が否めなかった。
 しかし、バンガロールの悲劇が発生してから三日後、今度は南アフリカのダーバンにあるアルバニーホテル一帯が忽然と姿を消したときには、すでに世界中がパニック状態に陥っていた。
「一体、何が起きている!?」
「次はどこだ?」
 ダーバンでの目撃者――と言っても、消失した地から約一キロ離れていたが――の話では、急激に一体が闇に覆われたかと思うと猛烈な風が向かってきて立っていられない状態になり、風が収まった時には街の一部が跡形もなく消えていたそうだ。
 どの地域でも外側に向かっての強風が記録されており、そのことから新型の爆弾が使用されたのではないかとの憶測も出始めている。この風の影響で、境界付近でも多くの負傷者が出ていた。

 ダーバンから六日後に起きたウクライナのオデッサ、カリフォルニア・ホテル一帯が消失した頃には、人工衛星による宇宙からの攻撃実験ではないかとの声が数多く上がり、それが可能な二大国が否定に躍起となっている中で、国連の緊急総会が招集された。
 対策が主題であるにもかかわらず、〈大空落(Falling Sky)〉が発生した地域に地形学上の共通点はなく、原因は不明なままである。ただし、比較的大きな都市部で、かつ高層ビルが中心に位置していることから、山間部などへ避難をする人々が後を絶たず、無許可の国境侵入も新たな国際問題として議題の一つとなっていた。
 異様な雰囲気の中で始まった会議を中断させたのは、カナダ大使の怒鳴り声だった。
「何、ミシサガの市庁舎一帯が消えただと!? 確か、スクエア・ワン・ショッピング・センターが隣接していたじゃないか……」



      *     *     *     *     *



「佐伯さんって、確か昔話とかの研究をしてたんですよね?」
「昔話と言えばそうかもしれないけれど……。上代文学と言って、古事記や日本書紀とかの研究室にいたわよ。それが、どうかしたの?」
 不測の事態に備え、全員が二階以下へ移動した。気温が下がっていることもあり、負傷者や体調不良を訴える人たちを地下へ、その他は一階のホールと二階へ分散させている。当初よりも人数が減っているとはいえ、一人当たりのスペースが狭くなるのは仕方がない。
 他の部署と共用で使用することになった課の事務スペースを、手分けして片付けながら推論の整理をしていく。
「ちょっと気になることがあって、教えてもらえたらなぁって」
「何、突然。私で分かることなら、どうぞ」
 佐伯さんは手を休めず、微笑みながら相手をしてくれた。

「神話とか昔話って、実際に起こったことが基になっているんですか?」
「うーん、そこは微妙な所ね。事実に基づいている可能性は高いけれど、人から人への伝承が主体だから伝える人の主観も入って来るし」
「話を盛ってる、ってことですか」
 俺の返答を聞いて、佐伯さんは声をあげて笑う。
今風(いまふう)に言えば、盛ってるってことになるのかな。古事記とかは為政者の命を受けて編纂(へんさん)されているのだから、これも今風に言うと忖度(そんたく)があって当然だよね」
「確かにそうですね」
「でもね、まったくの作り話じゃなくて、本当にあったことを都合の良いように解釈して書いているのだと思うわ」
 俺も同じように考えていたから、確かめたかったんだ。遥か昔に、実際に起きたかもしれないことを。
「日本列島は神様が何かで海をかき混ぜて作った、みたいな話を記憶してるんですけど」
「イザナギとイザナミによる国生みの話ね。これは古事記にも日本書紀にも書かれているわよ」
「確かアイヌ民話にも似たようなものがあった気が……」
「うーん、あまり詳しくないけれど、アイヌ民話では海の中で何かが燃えて濁ったものが固まって島になった、という話だったと思う」
「こっちは海底火山の爆発をモチーフにしているのかぁ……」
「たぶんそうなんだろうけれど、何だか残念そうな口ぶりね」
「いや、まぁ……」
 何もかもがこちらの思う通りに裏付けしてくれるはずもない。元々突拍子もない推論なのだから、これくらいのことを無視してでも説得力を持たさなくては。

「火山の爆発がどうしたって?」
 最後まで地下への誘導を行っていた佐藤係長が戻ってきた。
「急に加瀬君が神話とかの話に興味を持ったらしくって、北海道の成り立ちを話していたんです」
 相変わらず手を止めずに、佐伯さんは片付けを続けている。
 もう一つ、係長にも意見を聞いてみたいことがあった。
「昔話も、事実が基になっていると思うんですが」
「タイの彼女に桃太郎の話でも教えるのかい?」
 係長の冷やかしを無視して続ける。
「その桃太郎は、難破船に乗っていた外国人を赤鬼・青鬼として出来た話だと言われてますよね」
「それは私も聞いたことがあるぞ。島に漂着した、赤ら顔や青い目で金髪の大男を鬼と呼んだって」
 なぜか得意げな係長の話に、佐伯さんもうなづいている。
「桃太郎の話はその通りだと思うわ。なまはげや天狗も漂着したロシア人だという説もあるし。古事記とかの神話はともかく、口述で伝えられてきた昔話は事実をもとにしているんじゃないかな」
 二人の言葉を聞いて、今度は俺が得意げな顔をしていたかもしれない。

「それじゃ、浦島太郎の話はどうですか?」
「えっ、浦島太郎?」
 一瞬、間があいた佐伯さんと対照的に、係長はすぐ反応してくれた。
「なるほど、浦島太郎か……。あの話は不思議な話だな。もしあの話が事実に基づいて伝えられたとすると――」
「竜宮城という見たこともない、そして時間の流れが異なる場所、つまり異次元の空間へ行ってきたということになりますよね」
 思わず、勢い込んで話してしまう。
「加瀬君。ひょっとして君は……」
 真顔になった係長へ、笑いながらこう答えた。
(浦島太郎)は元の世界へ帰れたじゃないですか」

                  *

 避難が終わったのは四時を過ぎた頃だった。
 以前と同様に日が暮れず明るいままだが、空気が冷え込んでいくのを肌で感じるようになっていた。
 彼らに残されているのは――四十六時間。
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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