第17話 兆し

文字数 4,146文字

【午後零時】
 拠点作りは二人一組で行った。
 穴を掘るというよりも、山の側面を削って座れるぐらいの空間を作る。一時的な休息の場所として使うため、広くする必要はないし、かえってお互いの体温で寒さも凌げる。
 その横穴の上部にペグ代わりのボールペンでカーテンを打ち付けて留め、前面に垂らすようにして入り口を塞ぐと、それだけでも中は意外と暖かい。
 一時間ほどの作業を終えて見回すと、他の組もほとんどが後片付けを始めていた。

【午後一時】
「ここは庁舎からどれくらい離れているんですかね」
 既に拠点づくりが終わっていた係長を見つけて話しかける。
「どうだろう……三時間ほど歩いたから、少なくとも十キロは離れていると思うけれど」
「少し登ってきたし、ビバークする場所を探しながらだったから、それ程ではないかもしれませんよ」
「ここからだと庁舎も見えないしな」
 小さい盆地のような地形なので、周囲には赤い岩山が連なっている。
 茜色の雲に覆われた空は山々に縁取られてしまい、ほんの一部しか見えていない気になってしまう。
「どこか見晴らしの良い場所を探しておきたいですね」
「何とかっていうサインを見逃さないためにか?」
「ええ。ここでただ座っていても仕方ないし」
 もう、こうして行動に移したのだから、仮説が正しいことを祈るしかない。
 それでも、待つだけでは不安に押しつぶされそうになる。
「ที่รัก《ティラ》、サクラ、なにかしますか?」
 荷物の片づけをしていた彼女が、カーテンを開けて出てきた。
「ううん、今は何もすることがないんだ。この後、どうしようか話していたところだよ」
 そこへ副市長からの声が聞こえてきた。
「みなさん、ちょっと集まってください」

 誰しも考えることは似ていて、これから何が起きるか分からないから出来ることをやっておこうという話だった。
 四人一組の班に分かれて、周辺の探索と空の観察を交代で行うことになり、まずは二つの班が探索に出た。

【午後二時】
 見張り場所を定めてきた一班が一時間ほどで戻り、これ以降は一時間交代で観察を行う。ケムトレイルを確認したらすぐに庁舎へ戻れるように、探索する班も拠点から三十分程度の範囲に定めた。
 俺は係長と一緒の班分けになり、早速探索へ出掛けることに。
 係長の相方は、以前の探索時にリーダーをしていた浅野さんだった。その時にサクラとも面識があるので、俺としてもやりやすい。
「いいよな、若いやつは。こんな状況でも前向きに彼女を作ってしまうんだから」
 先頭を歩いていた浅野さんが、笑いながら振り返る。
「いやぁ、そんなつもりはなかったんですが……」
「その割には、始めからちょくちょく一階のホールへ行っていたよね?」
 係長からも突っ込みが入る。
「あれは、彼女たちは言葉も分からないし大丈夫なのか心配で……」
「やっぱり、最初から気があったんじゃないか」
 話の内容が分かっているのか、いないのか、彼女は笑みを浮かべながら後ろを歩いている。

 ちょっと場違いな雰囲気のまま探索を続けたが、やはり湧き水も植物も見つけることは出来なかった。
 戻ってからは休息をとり、三時間後の見張り交代に備えた。

【午後六時】
 この地の岩山は切り立った崖などなく、なだらかな印象だ。
 歩を進めるごとに徐々に視界が開けていく。拠点を出て三十分ほどで山の中腹にある見張り場所へ着き、前の班と交代した。
「ここからも庁舎は見えないんだな」
 空は見渡せるものの、係長の言う通り庁舎は見えず、どちらの方角にあるのかさえ俺には分からない。
「もう庁舎を出て九時間半経つけれど、河本さんたちが出てからどれくらいで転移が起きたんだい?」
 浅野さんは、この先に続いている尾根の方を見ながら訊ねてきた。
「確か十四時間ほど経ってからです」
「そうか……河本さんたち、どうなったんだろう」
 誰も、何も答えず、浅野さん自身も言葉を続けなかった。
 水と食料は、まだわずかだが残っているはずだ。
 俺たちが庁舎ごといなくなったことに気付いているのだろうか。
 もし気付いているなら――どんな思いを抱いているのだろう。
 俺たちが同じように取り残されたとしたら……。
 様々な思いが胸に渦巻く。

「ケムトレイルだっけ。あれが現れてから転移までは?」
 静かな空気に耐えかねたかのように、浅野さんが再び口を開く。
「前回は三時間後に起きました。恐らく、札幌のときも同じくらいだと思います。そうだよね?」
 いきなり話を振られたサクラは意味も分からず、きょとんとしている。
「ほら、前に見せてくれた雲の写真」
「あぁ、はい。サクラ、ふしぎ、おもってphoto(フォト)しました」
「あれも三時間くらい前に、撮ったって、言ってたよね」
 身振りを交えてゆっくり伝える。
「はい、そうです」
「彼女がサインを見ていたなんて、それも何かの縁だったんじゃないか」
 また俺をからかう話になってしまいそうだと思ったけれど――。
「そうか、三時間か。微妙なところだな」
「そうなんだ。微妙な距離なんだよ、ここは」
 二人の係長の言葉で、再び沈黙が訪れた。

【午後十一時】
 見張り場所から戻って休憩をとった。 
 残り少なくなった非常用のビスケットをペットボトルの水で流し込み、座ったままサクラと一緒に仮眠をとる。
 同じ姿勢に疲れを感じたのか、目を覚ますと十一時になっていた。
 庁舎を出て十四時間が経ったことになる。
「そろそろ兆しがあってもいいんだけれど……」
 前回は雲が晴れてからケムトレイルが起きたが、まだ空は茜色の雲が覆ったままだ。
 もっと庁舎から離れる必要があったのだろうか。
 でも、それでは転移には間に合わない。
 俺の気持ちが伝わってしまったのか、不安げに見詰める彼女へ微笑み返した。

【午前五時】
 再度の探索後、二度目の見張りへ向かう時間となった。
 口数も少なく茜色の雲を見ながら登っていき、前の班と交代する。
 次の班との交代までには何も変化が起こらなかった。

【午前七時】
 見張りを終え拠点へ戻ると、重苦しい空気を感じる。
 庁舎を出て既に二十二時間が経っている。
 答えが分からないまま、ただ待つのはつらい。
 俺たちを観察している存在なんて、そんなものはいなかったのか……。

【午前九時】
 丸一日が過ぎた。
 まだ何も兆しはない。
 さすがに、サクラもあまり話さなくなった。
 誰もが不安な思いと微かな希望を胸に、空を見上げている。

【午前十時】
 ビスケットと水の朝食を終え、食料も一食分を残すだけとなった。
 探索の時間だけれど、もう近くには調べる場所もない。
 結局、水を始め、この周囲では何も見つからなかった。
 庁舎では氷の回収が進んでいるだろうか。
「この後、どうしますか?」
 四人で集まり、係長に問いかける。
「下手に動かず、ここで待機していた方がいいんじゃないかな」
「私もそう思う。サインが現れるのを待って、いつでも戻れる用意をしておこう」
 浅野さんも同意して、それぞれの拠点に戻ろうとしたとき――

 ふいに突き上げるような感覚があり、地面が大きく揺れ始めた。
「きゃぁっ!」
 サクラがしゃがみ込む。
「すぐに拠点の中に入って!」誰かの大きな声が聞こえた。
 彼女の腕を取って立たせ、カーテンを開けて中に入る。
 山の側面を抉り取るように掘ってあるので、例え落石があってもここに座っていれば安心だ。
 揺れはまだ続いている。
 彼女は俺の左腕につかまりながら、小さな体を更に小さくしている。
 前回と同じように地震が起きた。これも兆しなのか?
 収束していく揺れと彼女の温もりを感じながら、この後のことを考えていた。

【午前十一時】
 地震から一時間が経ち、厚く覆っていた雲が心なしか薄くなってきたように見える。
 見張り場所でも怪我人はなく、被害はなかった。
 あの地震が吉兆だったのか、単なる偶然なのか。
 もうすぐ答えが分かる。

【午後零時】
 撤収の時間となった。
 しかし、まだケムトレイルは現れない。
 雲はすっかり晴れている。
 今、動くのか。はっきりとサインが現れるまで待つのか。
 今の状況は仮説の通りに進んでいると感じるけれど、ここで俺たちが動いてせっかくの流れをふいにしたくない。間に合わなくなるリスクがあっても、このまま待ちたい。
「みなさん、集まってください!」
 方針を伝える副市長の声が聞こえた。
「もう撤収予定の時間になりましたが、ここでケムトレイルが現れるのを待つことにします。確認次第すぐに出発が出来るよう、準備を整えて待機してください」
 よしっ! 思わずこぶしを握り締める。
 サクラと一緒に荷物を整理して、空を見た。
 必ずサインは現れると、ここにいる誰もが信じている。

 見張りに行く班の他には動き回る人もなく、張りつめた空気のまま静かに待つ時間が流れている。
 あと十五分ほどで一時になろうかという頃、呼び笛の音が聞こえた気がした。
「サインが現れたぞーっ!」
 やはり、あれは合図の音だった。
 荷物を背負って外へ出ると、支度を終えたメンバーが次々に集まっている。
 茜色の空には、二筋の白い線が現れていた。
「すぐに庁舎へ向けて出発します! 後発班の皆さん、よろしくお願いします」
 副市長の掛け声とともに先発班が早足で動き出す。
 俺の班を含めた二班は、見張り部隊の帰りを待って出発することになっていた。
「あ、来ました!」
 遅れること十五分ほどで、俺たちも拠点を後にした。
 ここまでも駆け下りてきている見張り部隊には疲れも見えるため、はやる気持ちを抑えながら下山していく。

 還れるかは分からないけれど、転移が起きるのは間違いないだろう。
 あとは間に合うかどうか……。
 
                  *

 当初、目安としていた百二十時間が過ぎた。
 彼らにとって、もう後がない時間との戦いが始まる。
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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