第6話 探索

文字数 3,072文字

 先に食事へ行っていた係長たちが戻ってきたので、交代して地下食堂へ向かう。
 既に九時になろうとしていたが、途中でサクラさんたちの所へ寄ってみた。
「おはようございます、サクラさん」
สวัสดีค่ะ(サワディーカー) おはよございます」
 今朝はポニーテールにしていて、小柄な彼女に似合っている。
「朝食は食べましたか?」
「ハイ、なんですか?」
 ジェスチャーを交えて「ごはん、食べましたか?」と聞き直す。
「たべてないです。おなかへった……でも、だいじょうぶ」
 やっぱり、連絡がうまくいっていないようだ。
 指で床を指しながら話す。
「この下で食べることが出来ます。みんなで一緒に行きましょう」

 今朝のメニューは牛肉入り野菜炒めにパックの保存用ご飯、そして何と豆腐の味噌汁までついてきた。予想以上のごちそうだ。
「サクラさんは辛いのが好きですか?」
「ハイ。からいの、すきです」
 カウンターへ行って七味唐辛子の小瓶をもらってくると、先を争うようにみんなで振り掛けていた。味噌汁にまで掛けていたのにはちょっと引いたけれど。
「おいしいです。ขอบคุณ ค่ะ(クァップン カー)(ありがとう)」
 微笑みの国というキャッチコピーを知っていたけれど、彼女たちはいつも微笑んでいる。こんな状況なのに苛立ちを表立って見せたり、他人に当たり散らすこともない。親族同士、女性ばかりということもあるのかもしれないが、ああいう心持は見習わなければいけない。

 食事が終わると、スマホの写真を見て何か話をしていた。どうやら北海道観光で撮ったものらしい。一緒に見せてもらうと、札幌だけでなく小樽運河の写真もある。
 定番スポットの羊ケ丘展望台やテレビ塔、時計台の写真が――
「あっ! これ……」
 思わず、声をあげてしまった。
「あなた、どうしました?」
 サクラさんが怪訝そうな声で尋ねる。
「いやぁ、この写真に珍しいものが映っていて……」
 時計台の背景となっている青空には、直線状の雲が交差して映り込んでいた。

 ケムトレイルだ。
 大学で「超常現象研究会」に所属していた俺は、特にこのケムトレイル――化学物質を含んだ飛行機雲、と言われている――がなぜか好きだった。細菌やウイルスをばら撒いている国家規模の陰謀などという都市伝説もあるが、場合によっては数時間も直線状を保つこの雲に、不思議な魅力を感じていたのだ。他に雲がないときほど目撃例は多いけれど、このように複数の線が交わっているものは珍しい。
「これ、とても珍しい雲なんですよ」
「サクラ、おぼえてます。ふしぎ、おもってphoto(フォト)しました」
 この話をきっかけに、観光名所の話でみんな盛り上がった。雪を見たことがないので本当は冬に来たかったけれど、費用が高いからこの時期になったこと、それでも思っていた以上に寒くて驚いたこと、魚介類が美味しくてお寿司が大好きになったことなどを話してくれた。
 こんな風に北海道を楽しんでくれていたのに……自分も巻き込まれた立場だが、何か申し訳ない気持ちになってしまう。

「いけねっ! もうこんな時間だ」
 状況も忘れてすっかりくつろいでいたら、十時半になろうとしていた。急いで支度をしなければ。
「ごめんなさい、このあと用事があるので戻ります。みなさんは、ゆっくり休んでください」
「あなた、なにしますか?」
「んー……」
 言っていいのか、一瞬迷ってからサクラさんに向かって宣言するように伝えた。
 壁の向こうを指さして「外へ行きます」と。

                  *

 前日から、危機管理室では夜を徹して――外が明るいままなので、時間の感覚が鈍っていたのかもしれない――田町と光岡が今後の対策を協議していた。
 炊き出し用のカセットコンロ使用、紙薪づくり、雨水貯留槽や竪配管の活用を決め、議題は最大の懸案へと移っていく。
「やはり、避けては通れないのでは?」
 光岡は疲れた様子も見せずにいた。
「私たちの置かれている状況を、より把握するためにも必要なことであるのは確かなのですが……」
 田町は天井を見上げ、ため息をついてから続ける。
「ここから見える範囲では、植物らしきものは見えません。それには理由があると思うんです。何か危険生物がいるのか、細菌や放射能の影響なのか……外部の調査にはリスクが大きい」
「しかし、私たちには時間がありません! たとえリスクがあったとしても、調査の結果、何も得られなかったとしても、わずかな可能性があるならやるべきです」
 珍しく、二人の意見が平行線をたどっている中、扉をノックする音が響いた。
「失礼します、戸籍住民課の佐藤です。何か伝達事項があればと思いまして……。それとご報告しておきたいことが――」

                  *

 今朝、係長が言っていたメインイベントがこれ、周辺の探索だった。

「加瀬君が外に出て荒地の欠片を取ってきた話をしたら、副市長もゴーサインを出したんだよ」
「放射能汚染の可能性が低くなったからですかね?」
「いや、自分が決断しなくても勝手に出て行く者がいると分かったからじゃないかなぁ」
 あ、ニコニコしていると思ったのは勘違いで、俺をからかうためにニヤニヤしてたのか。
「何時に出発するんですか?」
「十一時に出発だそうだ。一班は十人、四班に分けて庁舎を中心に四方向に向かう。遅れないように準備をしておけよ」
「えっ、私が参加してもいいんですか?」
 話を聞きながら、出来れば俺も――と思っていたら、先手を打たれた。
「もう申し出は済ませてある。居残りさせたら、またその辺をうろうろするだろ」
 まいったな、係長はお見通しだ。

 探索の目安は休憩を含んで五時間。ただただ真っ直ぐ歩いて、引き返してくる。片道を二時間程度歩くとして約十キロメートル先まで行き、動植物の存在や水源があるか否かの確認が目的だ。
 川や池が見つかるとは思えないけれど……希望は捨てない。それが、俺にとって

だから。
 帰るための目印として、一定時間ごとにテント用のペグを打ち込んで白いスズランテープを結ぶことにした。さらに後発の別班がペグを回収しながら、折り畳みリヤカーで運んだカラーコーンと交換していく。ペグもカラーコーンも役所には相当数の保管がある。この赤い大地に青いコーンはかなり目立つだろう。

 準備を終え市民ホールへ降りると、サクラさんが待っていた。見送りに来てくれたのかぁ、と体温が少し上がった気がしたら、いきなり「サクラも、いきます」と。
「えっ!?」
「サクラも、いきます。あなたも、いくでしょ?」
 なぜか、自分が行くのも当然といった表情だ。
「いや、でも……外は何があるか分からないし、危ないから――」
「サクラ、タイで、おこめ、つくってました。トラクター(クボタ)も、できます」
 どうやら、自分は活発な女性だと言いたいらしい。さらに、床に向けて指をさす。
「あなた、ここ、かえるでしょう? サクラも、かえる。だいじょうぶ」
 確かに。
 ここへ必ず戻ってくるつもりだ。
「仕方ないなぁ……」
 微笑むサクラさんを残し、班リーダーの元へ向かった。

                  *

 二日目、十一時。加瀬大地の班は十一名で外部探索へ出発した。
 彼らに残されているのは――九十九時間。
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登場人物紹介

加瀬 大地:大卒一年目の札幌市役所市民部・戸籍住民課職員。

     大学では化学を専攻し、超常現象研究会に所属。

     「俺は……どこにいるんだ?」

佐藤 係長:加瀬の上司。見かけによらず熱い一面がある。

     「そうかもしれない。それでも、いま出来ることを各々がやらなきゃ……」

佐伯さん:加瀬の先輩。真面目な性格が故に、精神的に脆い面も。

     「でしょ? なんで私がこんな目に合わなくちゃ、な・ら・な・いん、だっ!」

サクラ:タイ人。東京のレストランで働いていたが、親戚と一緒に札幌へ旅行に来て……。

    「ที่รักもおなじでしょう? だれもわからないね……だれもわるくない」

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