第14話 目指すべき場所
文字数 2,327文字
七階にあった危機管理室は新たに地下の会議室へ設けられた。限られたスペースを大勢で使わざるを得ないため、各局長も危機管理室に詰めている。
岩山に氷らしきものが見えることは、すでに彼らの中で共有されていた。
避難が一段落したとの報告を受けて、リーダーである田町はあらためて局長たちへ相談を持ち掛ける。
「もう時間は遅いけれど、あれが何なのか確かめておきたいですね」
「雪か氷か、ってことですか?」
環境局長からの問いかけに、首を横に振りながら田町が答えた。
「ずっと考えていたのですが、岩塩という可能性もあるのかもしれないと。氷なら氷で、少しでも早く貴重な水として確保したいじゃないですか」
その言葉に総務局長の光岡が反応する。
「しかし、今から出発ではリスクが高いのでは? このまま明るいままだと思いますが、あそこまでのルートも分からないし、何よりもここの寒さがどれ程になるのか……」
あの日から、すっかり田町の右腕となっていた彼が異を唱えたことに、若干の驚きを含んだ空気が流れた。
「仰る通りです。でも、私たちに時間がないのも確かだ。ここはリスクを踏まえたうえで、一刻も早く確認するべきではないでしょうか。万が一、氷ではなかったら早急に対策を考えなくてはならない」
「せめて、出発を明朝まで待ってはどうですか? まだ私たちはこの地のことを何も分かっていません」
「分からないのは今に始まったことではないでしょう。分からないからこそ、すぐにでも調査に行くことが必要です」
「しかし――」
二人の応酬に割って入ったのは、まちづくり政策局長の森だった。
「お二人とも、ここに残っている者たちを考えてのことだというのは、よう分ります」
そのおっとりした口調が、緊迫しかけた場を一瞬で落ち着かせた。誰しもの頭の中には、河本の一件が浮かんでいる。
「リスクをできるだけ抑える知恵を出し合ってはどうでしょう?当局 の建設課には防寒ジャンパーと安全靴が二十人分ほど揃っています。それを使ってください」
森に続いて、様々な声が上がった。
「もし氷なら、割って持ち帰る必要がありますよね。土木課には工具が残っているはずです」
「大判のごみ袋を防寒着として使う例を見たことがあります。環境課に配布用のが数百枚ストックされているのでみんなに配りましょう」
「古い新聞紙でも防寒には役立ちます。確か駐車場脇の倉庫にリサイクル用のが保管されていたかと」
「それなら……人数を絞って六~七人の三班編成にして、一時間おきに出発させてはどうでしょうか。先発隊が危険と判断した時点で引き返すようにすれば、リスクも減らせるし、何かあった場合は後続隊でフォローすることも出来ます。ルートが確保できて、あれが氷だと分かった場合は、明朝から人数を増やして回収作業を本格化させましょう」
光岡からの具体的な提案に、皆 が笑顔を浮かべてうなづく。
「人選も含めて、実施計画はお任せしてもいいですか?」
田町も笑顔で頭を下げた。
*
「第一班が帰って来ました! やはり氷でしたよ! これで水が確保できそうですね」
息せき切って部屋に入ってきたのは確か総務局長だったはずだ。上の役職の方は、まだ顔と名前が一致しない。
「そうですか! それはよかった。これで少しは時間を稼げるでしょう」
田町副市長は安堵したような、満足そうな笑顔を見せた。
時計の針は十時半を回ろうとしている。
「ちょうどいいところへ来ましたね。光岡さんもそこへ座って、彼らの話を一緒に聞きませんか」
思い出した。
総務局長の光岡さんだ。
係長は当然、知ってたんだろうな。
事情が呑み込めていない光岡さんが席に着いたのを見て、田町さんがこちらへ向き直った。
「加瀬さん、でしたね。それじゃ、話を聞かせてください。私たちが帰れるかもしれない、という話を」
まず、係長と佐伯さんに俺が考えた推論を話してみた。
そんな馬鹿な話なんて、と佐伯さんは笑いながら受け流したけれど、今まで起きてきたことと照らし合わせて説明すると徐々に考えが変わってきたようだ。
係長は始めから真剣に聞いてくれた。
話し終わるとすぐに「副市長へ話してみよう」と言い、今、一緒に危機管理 室にいる。
眼の前にいるトップ二人は、聞く耳を持ってくれるのだろうか。
「この一連の不可思議な現象は、神が起こしていると考えています」
我々が思いもつかない存在を神と呼ぶなら、まさしく日本書紀などに書かれているのと同じように神が起こしたことだと考えるしかない。
例えるなら、子どもの頃に蟻の巣を見つけて悪戯したことと同じなのだ。
巣穴の廻りにバケツで水を流したり、シャベルで掘り返したり。
きっと蟻たちは突然の洪水や地割れを目の当たりにして、一体何が起きたのか分からなかったはずだ。
あの時、蟻たちにとって私は神と言える存在だった。
今は私たちが見えざる高次の力により翻弄されている、そう考えれば辻褄が合う。
いきなり市庁舎が引き抜かれたかのように上昇したと思ったら、見知らぬ地に突き立てられる。そんなこと、現在の科学では説明なんかできない。
「では、私たちは見えない存在に弄ばれている、ということですか?」
半ば呆れたような、困惑したような、複雑な表情を浮かべながら光岡さんが問いかけてきた。
「いいえ。実験と観察です」
*
加瀬が話し始めて三十分が過ぎていた。
彼らに残されているのは――三十九時間。
岩山に氷らしきものが見えることは、すでに彼らの中で共有されていた。
避難が一段落したとの報告を受けて、リーダーである田町はあらためて局長たちへ相談を持ち掛ける。
「もう時間は遅いけれど、あれが何なのか確かめておきたいですね」
「雪か氷か、ってことですか?」
環境局長からの問いかけに、首を横に振りながら田町が答えた。
「ずっと考えていたのですが、岩塩という可能性もあるのかもしれないと。氷なら氷で、少しでも早く貴重な水として確保したいじゃないですか」
その言葉に総務局長の光岡が反応する。
「しかし、今から出発ではリスクが高いのでは? このまま明るいままだと思いますが、あそこまでのルートも分からないし、何よりもここの寒さがどれ程になるのか……」
あの日から、すっかり田町の右腕となっていた彼が異を唱えたことに、若干の驚きを含んだ空気が流れた。
「仰る通りです。でも、私たちに時間がないのも確かだ。ここはリスクを踏まえたうえで、一刻も早く確認するべきではないでしょうか。万が一、氷ではなかったら早急に対策を考えなくてはならない」
「せめて、出発を明朝まで待ってはどうですか? まだ私たちはこの地のことを何も分かっていません」
「分からないのは今に始まったことではないでしょう。分からないからこそ、すぐにでも調査に行くことが必要です」
「しかし――」
二人の応酬に割って入ったのは、まちづくり政策局長の森だった。
「お二人とも、ここに残っている者たちを考えてのことだというのは、よう分ります」
そのおっとりした口調が、緊迫しかけた場を一瞬で落ち着かせた。誰しもの頭の中には、河本の一件が浮かんでいる。
「リスクをできるだけ抑える知恵を出し合ってはどうでしょう?
森に続いて、様々な声が上がった。
「もし氷なら、割って持ち帰る必要がありますよね。土木課には工具が残っているはずです」
「大判のごみ袋を防寒着として使う例を見たことがあります。環境課に配布用のが数百枚ストックされているのでみんなに配りましょう」
「古い新聞紙でも防寒には役立ちます。確か駐車場脇の倉庫にリサイクル用のが保管されていたかと」
「それなら……人数を絞って六~七人の三班編成にして、一時間おきに出発させてはどうでしょうか。先発隊が危険と判断した時点で引き返すようにすれば、リスクも減らせるし、何かあった場合は後続隊でフォローすることも出来ます。ルートが確保できて、あれが氷だと分かった場合は、明朝から人数を増やして回収作業を本格化させましょう」
光岡からの具体的な提案に、
「人選も含めて、実施計画はお任せしてもいいですか?」
田町も笑顔で頭を下げた。
*
「第一班が帰って来ました! やはり氷でしたよ! これで水が確保できそうですね」
息せき切って部屋に入ってきたのは確か総務局長だったはずだ。上の役職の方は、まだ顔と名前が一致しない。
「そうですか! それはよかった。これで少しは時間を稼げるでしょう」
田町副市長は安堵したような、満足そうな笑顔を見せた。
時計の針は十時半を回ろうとしている。
「ちょうどいいところへ来ましたね。光岡さんもそこへ座って、彼らの話を一緒に聞きませんか」
思い出した。
総務局長の光岡さんだ。
係長は当然、知ってたんだろうな。
事情が呑み込めていない光岡さんが席に着いたのを見て、田町さんがこちらへ向き直った。
「加瀬さん、でしたね。それじゃ、話を聞かせてください。私たちが帰れるかもしれない、という話を」
まず、係長と佐伯さんに俺が考えた推論を話してみた。
そんな馬鹿な話なんて、と佐伯さんは笑いながら受け流したけれど、今まで起きてきたことと照らし合わせて説明すると徐々に考えが変わってきたようだ。
係長は始めから真剣に聞いてくれた。
話し終わるとすぐに「副市長へ話してみよう」と言い、今、一緒に危
眼の前にいるトップ二人は、聞く耳を持ってくれるのだろうか。
「この一連の不可思議な現象は、神が起こしていると考えています」
我々が思いもつかない存在を神と呼ぶなら、まさしく日本書紀などに書かれているのと同じように神が起こしたことだと考えるしかない。
例えるなら、子どもの頃に蟻の巣を見つけて悪戯したことと同じなのだ。
巣穴の廻りにバケツで水を流したり、シャベルで掘り返したり。
きっと蟻たちは突然の洪水や地割れを目の当たりにして、一体何が起きたのか分からなかったはずだ。
あの時、蟻たちにとって私は神と言える存在だった。
今は私たちが見えざる高次の力により翻弄されている、そう考えれば辻褄が合う。
いきなり市庁舎が引き抜かれたかのように上昇したと思ったら、見知らぬ地に突き立てられる。そんなこと、現在の科学では説明なんかできない。
「では、私たちは見えない存在に弄ばれている、ということですか?」
半ば呆れたような、困惑したような、複雑な表情を浮かべながら光岡さんが問いかけてきた。
「いいえ。実験と観察です」
*
加瀬が話し始めて三十分が過ぎていた。
彼らに残されているのは――三十九時間。