第2話 絶望
文字数 2,342文字
「……どうなってんだ……」
ここは――札幌の街は、一体……。
毎朝、大通駅から庁舎までに通り抜けて来ていた大通公園は。
窓からも見えるはずのテレビ塔は、観光客で賑わっていた時計台は――何もないじゃないか!
まるで、ここだけ切り取られたかのように、市役所庁舎だけが赤茶色の荒れ地にぽつんと置かれている。
何がどうなっているのか訳も分からず、目に映る映像も受け入れられず、屋上に一人立ちつくしていると、ふいに笑いが込み上げてきた。
「ふ……は……はは、そうか……なんだ、夢か……夢だったのか……」
言葉に出してみたものの、何かが右頬を伝わり流れていく。
さっきまで心臓マッサージをしていた両手の感触、脳裏に焼き付く小泉さんのむごたらしい姿。それは、今この時が夢なんかじゃないことを、これ以上ないほどにはっきりと教えていた。
「どうなってんだよ……」
いきなり肩を叩かれて我に返り、振り向くと佐藤係長が立っていた。
「大丈夫か、加瀬君……。何回も声を掛けたんだぞ」
いつものような落ち着いた声を聴き、少し冷静になれた気がした。
「佐伯さんに聞いたら、ここじゃないかと言うから」
「すいません。すぐに戻ります」
「ああ、そうしてくれ。これからどうするのか、会議で決まり次第、対応しなければならない」
「会議、ですか?」
「そう……会議だよ」
自嘲的な笑みを浮かべて、係長が続ける。
「今、副市長と各局長が会議を行っている。市長は公務で外出中だったらしく、残っているもので今後の方針と対策を決めるそうだ。
こんな時でも、まずは会議。そして、話し合って決めた通り、我々は行動する。そんな手間を掛けず、どう考えたって非常事態なんだから、副市長が指示すればいいじゃないか!
責任を負うってことが出来ないもんかね。何だか公務員ていう仕事が馬鹿らしくなって、辞めたくなったよ」
そう言いながら階段へと向かっていく途中、俯き加減につぶやいた言葉は加瀬の耳には届かなかった。
「……もし戻れることが出来たなら……考えてみるかな」
*
「――ちょっと待ってくれっ! そんな荒唐無稽な話、私は絶対に認めないぞ!」
怒声と共に、何人かで話していた会計局長の河本が立ち上がった。
庁舎十四階の会議室に集められた面々は、各々が言いたいことを口にし、始めから会議の体をなしていない。
「みなさん落ち着いてください。今、確認できる事実から推測できることを申し上げているだけです」
椅子に座ったまま、静かながらはっきりとした声で副市長の田町が話を続ける。他の二人の副市長も、市長と同様に外出していた。この状況で在所していたのが、危機管理室担当の自分だったことは偶然ではないのかもしれない。
様々な場合をシミュレーションしてきたが、こんなことは想定していなかった。それでも自分が先頭に立ち、対応するしかない。この会議が始まるまでに、田町は腹をくくっていた。
「今お話しした通り、電気が止まり自家発電に切り替わっています。水も遮断されていることを確認しました。恐らくガスも止まっているでしょう。電話やインターネットなどの有線も使えない。それだけならば未曽有の災害ということも考えられます。しかし、ここには電波さえ届いていないのです」
「いや、こちらの機器が損傷した可能性もあるのでは?」
立ち上がったまま問い質す河本へ視線だけを向けて、さらに言葉を続ける。
「みなさんの携帯だって圏外になっているのは、もうご存知でしょう? 携帯どころか災害用の衛星電話も通じないし、ワンセグテレビやラジオも受信できない……こんな状況が考えられますか?!」
「……東京を中心に核攻撃を受け、通信網も壊滅的な被害を受けたとか――」
誰かが口を挟んだのを遮るように、田町がゆっくりとそして強い口調で言った。
「本当にそんなことが起きたと思ってるんですか?」
*
札幌の〈大空落〉に対し、政府は直ちに災害対策本部を設置し、状況の把握に努めた。北海道が行ったドローンによる調査では、操作限界距離六百メートルまでの間に「消えた街」に関する一切の痕跡を認めなかったため、地表面から千メートルの確認を目標として様々な方法が検討された結果、熱気球による調査が採用された。
熱気球は、操作する者を含めて数名しか乗ることが出来ない。救助が目的ではなく、何が起きているかを知るためのこの方法は、世論の反発を招くこともなく粛々と、そして迅速に準備が進められ、発生後二日目に実施の運びとなる。
本来、上昇を目的とした熱気球が下降のために使用される――しかも、その先に待っているものが何なのかも分からずに。気球が穴の中へ姿を消してから一時間半後、同乗している調査員から連絡が入った。
「……何も……ありません……。街の形跡も、土砂も、何も……。穴は……まだ、続いています」
*
「本当にそんなことが起きたと思ってるんですか?」
その一言で会議室のざわめきは次第に収まり、入れ替わるように重い沈黙が満ちていく。
「庁舎の廻りもご覧になったでしょう。この廻りには何もない。
何もないんです。
見渡す限り、赤茶色の土が見えるだけで……。
建物が壊れたのであれば、あるはずの瓦礫さえも残されていないし、道もない。
避難する人もいなければ、怪我をした人すら倒れていない」
誰もが心の奥では思いながらも、口にすることを意識して避けていた言葉。
それが、田町の口から発せられようとしていた。
「ここは我々が知っている世界ではありません」
ここは――札幌の街は、一体……。
毎朝、大通駅から庁舎までに通り抜けて来ていた大通公園は。
窓からも見えるはずのテレビ塔は、観光客で賑わっていた時計台は――何もないじゃないか!
まるで、ここだけ切り取られたかのように、市役所庁舎だけが赤茶色の荒れ地にぽつんと置かれている。
何がどうなっているのか訳も分からず、目に映る映像も受け入れられず、屋上に一人立ちつくしていると、ふいに笑いが込み上げてきた。
「ふ……は……はは、そうか……なんだ、夢か……夢だったのか……」
言葉に出してみたものの、何かが右頬を伝わり流れていく。
さっきまで心臓マッサージをしていた両手の感触、脳裏に焼き付く小泉さんのむごたらしい姿。それは、今この時が夢なんかじゃないことを、これ以上ないほどにはっきりと教えていた。
「どうなってんだよ……」
いきなり肩を叩かれて我に返り、振り向くと佐藤係長が立っていた。
「大丈夫か、加瀬君……。何回も声を掛けたんだぞ」
いつものような落ち着いた声を聴き、少し冷静になれた気がした。
「佐伯さんに聞いたら、ここじゃないかと言うから」
「すいません。すぐに戻ります」
「ああ、そうしてくれ。これからどうするのか、会議で決まり次第、対応しなければならない」
「会議、ですか?」
「そう……会議だよ」
自嘲的な笑みを浮かべて、係長が続ける。
「今、副市長と各局長が会議を行っている。市長は公務で外出中だったらしく、残っているもので今後の方針と対策を決めるそうだ。
こんな時でも、まずは会議。そして、話し合って決めた通り、我々は行動する。そんな手間を掛けず、どう考えたって非常事態なんだから、副市長が指示すればいいじゃないか!
責任を負うってことが出来ないもんかね。何だか公務員ていう仕事が馬鹿らしくなって、辞めたくなったよ」
そう言いながら階段へと向かっていく途中、俯き加減につぶやいた言葉は加瀬の耳には届かなかった。
「……もし戻れることが出来たなら……考えてみるかな」
*
「――ちょっと待ってくれっ! そんな荒唐無稽な話、私は絶対に認めないぞ!」
怒声と共に、何人かで話していた会計局長の河本が立ち上がった。
庁舎十四階の会議室に集められた面々は、各々が言いたいことを口にし、始めから会議の体をなしていない。
「みなさん落ち着いてください。今、確認できる事実から推測できることを申し上げているだけです」
椅子に座ったまま、静かながらはっきりとした声で副市長の田町が話を続ける。他の二人の副市長も、市長と同様に外出していた。この状況で在所していたのが、危機管理室担当の自分だったことは偶然ではないのかもしれない。
様々な場合をシミュレーションしてきたが、こんなことは想定していなかった。それでも自分が先頭に立ち、対応するしかない。この会議が始まるまでに、田町は腹をくくっていた。
「今お話しした通り、電気が止まり自家発電に切り替わっています。水も遮断されていることを確認しました。恐らくガスも止まっているでしょう。電話やインターネットなどの有線も使えない。それだけならば未曽有の災害ということも考えられます。しかし、ここには電波さえ届いていないのです」
「いや、こちらの機器が損傷した可能性もあるのでは?」
立ち上がったまま問い質す河本へ視線だけを向けて、さらに言葉を続ける。
「みなさんの携帯だって圏外になっているのは、もうご存知でしょう? 携帯どころか災害用の衛星電話も通じないし、ワンセグテレビやラジオも受信できない……こんな状況が考えられますか?!」
「……東京を中心に核攻撃を受け、通信網も壊滅的な被害を受けたとか――」
誰かが口を挟んだのを遮るように、田町がゆっくりとそして強い口調で言った。
「本当にそんなことが起きたと思ってるんですか?」
*
札幌の〈大空落〉に対し、政府は直ちに災害対策本部を設置し、状況の把握に努めた。北海道が行ったドローンによる調査では、操作限界距離六百メートルまでの間に「消えた街」に関する一切の痕跡を認めなかったため、地表面から千メートルの確認を目標として様々な方法が検討された結果、熱気球による調査が採用された。
熱気球は、操作する者を含めて数名しか乗ることが出来ない。救助が目的ではなく、何が起きているかを知るためのこの方法は、世論の反発を招くこともなく粛々と、そして迅速に準備が進められ、発生後二日目に実施の運びとなる。
本来、上昇を目的とした熱気球が下降のために使用される――しかも、その先に待っているものが何なのかも分からずに。気球が穴の中へ姿を消してから一時間半後、同乗している調査員から連絡が入った。
「……何も……ありません……。街の形跡も、土砂も、何も……。穴は……まだ、続いています」
*
「本当にそんなことが起きたと思ってるんですか?」
その一言で会議室のざわめきは次第に収まり、入れ替わるように重い沈黙が満ちていく。
「庁舎の廻りもご覧になったでしょう。この廻りには何もない。
何もないんです。
見渡す限り、赤茶色の土が見えるだけで……。
建物が壊れたのであれば、あるはずの瓦礫さえも残されていないし、道もない。
避難する人もいなければ、怪我をした人すら倒れていない」
誰もが心の奥では思いながらも、口にすることを意識して避けていた言葉。
それが、田町の口から発せられようとしていた。
「ここは我々が知っている世界ではありません」