11-2 お祝いの方法について(後編)
文字数 4,403文字
実験が終わり、スマホを確認すると、柚月からメッセージが届いていた。中を開くと、週末一緒にご飯を食べに行かないか、とのお誘いだった。機嫌は直ったのだろうか、と思いながらも、凪沙は了解とだけ返す。するとすぐに返事が返ってきて、『食べたいものがあれば教えて』とあったので、何でもいいのかと訊ねると、何でもいいとのことだった。それならばと、凪沙は柚月の手料理が食べたいと返した。
何でも器用にこなす柚月は、料理も得意なのだ。何かの機会に、料理を持ち寄ってパーティをしようということになり、その時に一度、柚月の手料理を食べたことがあった。カタカナのよくわからない名前を言っていたけれど、思い出せないどころか、最初から頭に入ってこなかった。それでも、とても美味しかったということだけは記憶に残っていた。
凪沙の返答が予想外だったのか、柚月は食い下がる。『イタリアンでもフレンチのコースでも、何でもいいんだよ? ご馳走するから』と。コース料理だなんて、そんな贅沢をする理由が何かあるのだろうかと思いながら、凪沙は何でもいいなら柚月が作ってくれたものが食べたいと言い張った。
最終的には、凪沙がそう言うならと渋々ではあったけれど了承してくれた。
***
週末は思っていたよりもすぐにやってきた。
インターホンを鳴らすと、どうぞとオートロックが解除された。
柚月の家に訪れるのは、三度目だ。一回目は、学部生の時にすずなたちと一緒に来た時だ。どうして柚月の家に行くことになったのかについては、正直その当時も今も理由はわからなかったけれど、まぁ何というか、その場のノリみたいなものだったのだろう。二回目は、酔っ払って、凪沙が記憶をなくした時だ。二回目はあってないようなものなので、実質今回が二回目のようなもの。この前も慌てて帰ったので、家の場所は曖昧だった。駅まで迎えにきてくれると言ってくれたのだけれど、聞けばそんなにわかりにくい道でもなかったので、柚月の申し出は丁重にお断りした。
部屋の前まで着くと、タイミングよくドアが開いた。出迎えてくれた柚月はメガネをかけていた。普段はコンタクトなのだろうか。知り合ってから数年経つけれど、メガネをかけているところを見るのは初めてだった。
柚月のギャップに見入っていると、美味しそうな香りが鼻をくすめる。どんな料理を作ってくれているのかは未知だったけれど、ハーブのような匂いがしていた。
もうすぐ出来上がるから座ってて、と言うと柚月はキッチンの方へと姿を消した。手伝えることはないかと声をかけると、大丈夫とだけ返ってきた。
凪沙は靴を脱いで部屋に上がると、うろ覚えの記憶を頼りに、ダイニングへと向かう。柚月は1LDKのマンションで暮らしていた。どうして学生の一人暮らしで、そんなところに住めるのか凪沙には謎だったけれど、本人には聞けずにいた。
部屋の扉を開くと、凪沙は一瞬動きが止まる。凪沙が入った部屋は、おそらくダイニングで間違いないのだけれど、そのレイアウトが以前来た時とは全くと言っていいほど違っていた。部屋の真ん中には前に部屋にあったテーブルとは違うものが設置されていて、椅子まで新しくなっているような気がする。テーブルにはテーブルクロスまでかけられていた。さらにその上にはワインを冷やしておくためのガラスの容器があり、各席の前にはナプキンが乗せられたお皿とナイフ、フォーク一式が揃えられている。一体、何事かと思うくらいのセットだ。
凪沙が入り口で立ち往生していると、不思議そうな顔をした柚月が近づいてきた。
「えーと……状況が飲み込めないんだけど?」
「いいから、早く座って」
柚月は椅子を引いて、座るように促した。凪沙はよくわからないまま、とりあえずそこに腰を下ろす。すると、柚月は凪沙の前に一枚の紙を差し出した。何だろうと思ってその紙に目をやると、料理の名前が書いてある。その用紙の一番上には、 “本日のメニュー” と書いてあって、よくよく見てみると、前菜から始まって、スープ、魚料理、肉料理とフルコースを思わせるラインナップだった。
「今日が何の日かわかんない?」
「……今日って、何かあるんだっけ?」
柚月は困ったような笑みを浮かべながら、前菜を運んできた。盛り付けまで完璧な料理が目の前に運ばれる。それでも凪沙はまだ状況をつかめていない。顎を手に置いて悩む仕草をしている凪沙に、お皿の上のナプキンを取るように柚月が指示する。凪沙は言われるがまま、それを膝の上に置いた。
柚月は説明もなく、料理を運び続けた。本当にどれも美味しかった。手料理が食べたいと言ったのは凪沙だけれど、こんなに豪華なものを作ってもらえると思っていなくて、何だか申し訳ない気持ちになった。
メニュー表に書かれていた料理の全てを運び終えると、もう一つ残っていると言って柚月は席を立った。もう十分過ぎるほどのおもてなしを受けたのに、あとは何があるというのだろうか。
柚月を待っている間、凪沙は最近よく思うことを頭に思い浮かべていた。それは、柚月は付き合った人には尽くすタイプなのかな? ということだった。何とも意外なことではあったけれど、そう思うところはたくさんあった。自分も何か柚月に返せたらいいのにと思うけれど、何がいいのか正直わからない。本人に聞くのが一番早いかな。聞いたら教えてくれるだろうか。
なんてことを考えていると、大きなお皿を持った柚月が戻ってきた。
「誕生日おめでとう、凪沙」
柚月は、イチゴが乗ったショートケーキを手にしていた。ケーキの真ん中にはチョコレートプレートが飾られていた。そこに書かれていたメッセージと、先程の柚月の言葉から、凪沙は自分の誕生日を思い出した。今の今まで忘れていたことにも気づく。
ご丁寧にローソクまで添えられているケーキを凪沙の目の前に置くと、柚月はそれを吹き消すようにと言った。少し恥ずかしさを感じながらも、凪沙はそれを一息に消していく。
「びっくりした! 完全に忘れてたよ」
自分が忘れていたこともそうだけれど、柚月が誕生日を知っていて、覚えていてくれたことにも驚きを隠せない。しかも、聞くところによると、このケーキも手作りらしい。本当にこの人間は完璧すぎる。できないことなどないのではないかと思うくらいだ。
柚月がケーキを切り分けてくれた。お皿に乗せられたケーキを見て、凪沙はまた驚いた。一見すると、生クリームがたっぷりの白いショートケーキなのに、中のスポンジ生地はチョコレートなのだ。
目を丸くさせ、柚月を見ると、『チョコ好きでしょ』と笑っていた。凪沙は何とも形容し難い照れくささと、恥ずかしさで柚月の顔が見られなくなって、目の前のケーキに逃げた。一口、ケーキを口に運ぶと、甘すぎない柔らかさが口の中で溶けた。スポンジの間に挟まっているクリームはチョコでできていて、凪沙の好きなナッツまで入っているようだった。
料理もそうだけれど、どれだけ手間をかけて作ってくれたのだろうかと、やはり申し訳なさが勝る。それでも、ただ単純にその好意は嬉しかった。ものにつられるわけではないけれど、ここまでしてもらって、惹かれない人間がいるのだろうか。
ちらっと柚月の方に視線を向けると、柚月も凪沙を見ていたようで視線がぶつかった。目が合うと、柚月は口に合うかどうか訊ね、凪沙は頷くことで返した。
「柚月は意外と尽くすタイプなんだね」
「初めてだよ」
「?」
「喜んでほしいって思うのも、何かをしたいと思うのも凪沙が初めて。でも、せっかく誕生日なんだから、ちゃんとお店でいいもの食べた方が良かったんじゃないの?」
あれなら、また別日にお店予約するけど、という柚月の言葉を遮る。
「それなら尚更、西宮の手料理の方が嬉しい! ありがとね」
片付けくらいはさせてほしいと申し出て、席を立とうとすると、柚月の手によって遮られた。念を押すと、そうではないのだと柚月は言った。
「実は、もう一つあって……」
柚月は徐ろに何かを取り出し、凪沙の前に置いた。それは小さなジュエリーボックスのようなものだった。この前の話があった後のこの箱に、まさかと思い、凪沙は勢いよく柚月を見る。柚月は少し困ったように笑うと、開けるように促した。
凪沙は戸惑いながらも、箱に手をかける。恐る恐る箱を開けると、中に入っていたのはピアスだった。小ぶりのもので、星のような、花のようなデザインの中にダイヤモンドが埋め込まれたものだった。
そういうものに疎い凪沙でも、このブランドは知っているし、これが数万以上するだろうことも知っていた。そして何より、凪沙の耳に穴が開いているということを、柚月が知っているということが驚きだった。凪沙は普段小さく目立たないものしかつけていないので、不思議でしょうがなかった。
「気に入らなかった?」
箱を手にしたまま反応がない凪沙を見て、柚月が声をかける。その声に我に返った凪沙は、慌てて弁解する。
「すごく可愛いよ! デザインもすごく好みだし、本当に可愛いんだけど……」
「?」
「私がもらっていいのかな?」
「そんなに高いものじゃないし、凪沙に似合うと思って選んだから、凪沙がいらないって言うなら捨てることになるけど」
「それはダメ!」
じゃあもらって、と柚月は優しく笑った。柚月は『ピアスってのも譲歩したんだから』とよくわからないことを言っていた。
全くもって腑に落ちないけれど、自分のわがままで手料理まで作らせ、挙句、こんな高価なものをもらってもいいのか、といまだにぐるぐるしていた。柚月は高いものじゃないと言っていたけれど。それでも、ここで凪沙が不満そうにしていると、よからぬ誤解を生じさせてしまう。それだけは避けたかった。
「……つけてみてもいい?」
凪沙がそう言うと、柚月は嬉しそうに自分がつけると言った。それはとても恥ずかしいので、断ったのだけれど、柚月の主張の方が強かった。
柚月は箱からピアスを取り出すと、凪沙の耳にそれを当てる。慎重に、傷つけないように耳にピアスを入れていく。両耳につけ終わると、柚月は凪沙の前に鏡を差し出した。実際につけてみると、小さいのにとても存在感があって、可愛いデザインの中に華やかさもあった。
ふと、柚月の慣れた手つきに疑問が生じたけれど、すぐに一蹴した。
「私も何かお礼したい! ……同じくらいのものは返せないかもだけど、」
「いいよ。やりたくてやっただけだし。喜んでもらえればそれで」
柚月はそう言ってくれたけれど、それでは凪沙の気が済まない。何か欲しいものはないかと聞くと、特にないとの答えが返ってくる。
とりあえずこの場はそれまでとして、考えておいてもらうことになった。
本当は、柚月には一つ欲しいものがあった。
けれど、それはまだ凪沙には言えずにいた。
何でも器用にこなす柚月は、料理も得意なのだ。何かの機会に、料理を持ち寄ってパーティをしようということになり、その時に一度、柚月の手料理を食べたことがあった。カタカナのよくわからない名前を言っていたけれど、思い出せないどころか、最初から頭に入ってこなかった。それでも、とても美味しかったということだけは記憶に残っていた。
凪沙の返答が予想外だったのか、柚月は食い下がる。『イタリアンでもフレンチのコースでも、何でもいいんだよ? ご馳走するから』と。コース料理だなんて、そんな贅沢をする理由が何かあるのだろうかと思いながら、凪沙は何でもいいなら柚月が作ってくれたものが食べたいと言い張った。
最終的には、凪沙がそう言うならと渋々ではあったけれど了承してくれた。
***
週末は思っていたよりもすぐにやってきた。
インターホンを鳴らすと、どうぞとオートロックが解除された。
柚月の家に訪れるのは、三度目だ。一回目は、学部生の時にすずなたちと一緒に来た時だ。どうして柚月の家に行くことになったのかについては、正直その当時も今も理由はわからなかったけれど、まぁ何というか、その場のノリみたいなものだったのだろう。二回目は、酔っ払って、凪沙が記憶をなくした時だ。二回目はあってないようなものなので、実質今回が二回目のようなもの。この前も慌てて帰ったので、家の場所は曖昧だった。駅まで迎えにきてくれると言ってくれたのだけれど、聞けばそんなにわかりにくい道でもなかったので、柚月の申し出は丁重にお断りした。
部屋の前まで着くと、タイミングよくドアが開いた。出迎えてくれた柚月はメガネをかけていた。普段はコンタクトなのだろうか。知り合ってから数年経つけれど、メガネをかけているところを見るのは初めてだった。
柚月のギャップに見入っていると、美味しそうな香りが鼻をくすめる。どんな料理を作ってくれているのかは未知だったけれど、ハーブのような匂いがしていた。
もうすぐ出来上がるから座ってて、と言うと柚月はキッチンの方へと姿を消した。手伝えることはないかと声をかけると、大丈夫とだけ返ってきた。
凪沙は靴を脱いで部屋に上がると、うろ覚えの記憶を頼りに、ダイニングへと向かう。柚月は1LDKのマンションで暮らしていた。どうして学生の一人暮らしで、そんなところに住めるのか凪沙には謎だったけれど、本人には聞けずにいた。
部屋の扉を開くと、凪沙は一瞬動きが止まる。凪沙が入った部屋は、おそらくダイニングで間違いないのだけれど、そのレイアウトが以前来た時とは全くと言っていいほど違っていた。部屋の真ん中には前に部屋にあったテーブルとは違うものが設置されていて、椅子まで新しくなっているような気がする。テーブルにはテーブルクロスまでかけられていた。さらにその上にはワインを冷やしておくためのガラスの容器があり、各席の前にはナプキンが乗せられたお皿とナイフ、フォーク一式が揃えられている。一体、何事かと思うくらいのセットだ。
凪沙が入り口で立ち往生していると、不思議そうな顔をした柚月が近づいてきた。
「えーと……状況が飲み込めないんだけど?」
「いいから、早く座って」
柚月は椅子を引いて、座るように促した。凪沙はよくわからないまま、とりあえずそこに腰を下ろす。すると、柚月は凪沙の前に一枚の紙を差し出した。何だろうと思ってその紙に目をやると、料理の名前が書いてある。その用紙の一番上には、 “本日のメニュー” と書いてあって、よくよく見てみると、前菜から始まって、スープ、魚料理、肉料理とフルコースを思わせるラインナップだった。
「今日が何の日かわかんない?」
「……今日って、何かあるんだっけ?」
柚月は困ったような笑みを浮かべながら、前菜を運んできた。盛り付けまで完璧な料理が目の前に運ばれる。それでも凪沙はまだ状況をつかめていない。顎を手に置いて悩む仕草をしている凪沙に、お皿の上のナプキンを取るように柚月が指示する。凪沙は言われるがまま、それを膝の上に置いた。
柚月は説明もなく、料理を運び続けた。本当にどれも美味しかった。手料理が食べたいと言ったのは凪沙だけれど、こんなに豪華なものを作ってもらえると思っていなくて、何だか申し訳ない気持ちになった。
メニュー表に書かれていた料理の全てを運び終えると、もう一つ残っていると言って柚月は席を立った。もう十分過ぎるほどのおもてなしを受けたのに、あとは何があるというのだろうか。
柚月を待っている間、凪沙は最近よく思うことを頭に思い浮かべていた。それは、柚月は付き合った人には尽くすタイプなのかな? ということだった。何とも意外なことではあったけれど、そう思うところはたくさんあった。自分も何か柚月に返せたらいいのにと思うけれど、何がいいのか正直わからない。本人に聞くのが一番早いかな。聞いたら教えてくれるだろうか。
なんてことを考えていると、大きなお皿を持った柚月が戻ってきた。
「誕生日おめでとう、凪沙」
柚月は、イチゴが乗ったショートケーキを手にしていた。ケーキの真ん中にはチョコレートプレートが飾られていた。そこに書かれていたメッセージと、先程の柚月の言葉から、凪沙は自分の誕生日を思い出した。今の今まで忘れていたことにも気づく。
ご丁寧にローソクまで添えられているケーキを凪沙の目の前に置くと、柚月はそれを吹き消すようにと言った。少し恥ずかしさを感じながらも、凪沙はそれを一息に消していく。
「びっくりした! 完全に忘れてたよ」
自分が忘れていたこともそうだけれど、柚月が誕生日を知っていて、覚えていてくれたことにも驚きを隠せない。しかも、聞くところによると、このケーキも手作りらしい。本当にこの人間は完璧すぎる。できないことなどないのではないかと思うくらいだ。
柚月がケーキを切り分けてくれた。お皿に乗せられたケーキを見て、凪沙はまた驚いた。一見すると、生クリームがたっぷりの白いショートケーキなのに、中のスポンジ生地はチョコレートなのだ。
目を丸くさせ、柚月を見ると、『チョコ好きでしょ』と笑っていた。凪沙は何とも形容し難い照れくささと、恥ずかしさで柚月の顔が見られなくなって、目の前のケーキに逃げた。一口、ケーキを口に運ぶと、甘すぎない柔らかさが口の中で溶けた。スポンジの間に挟まっているクリームはチョコでできていて、凪沙の好きなナッツまで入っているようだった。
料理もそうだけれど、どれだけ手間をかけて作ってくれたのだろうかと、やはり申し訳なさが勝る。それでも、ただ単純にその好意は嬉しかった。ものにつられるわけではないけれど、ここまでしてもらって、惹かれない人間がいるのだろうか。
ちらっと柚月の方に視線を向けると、柚月も凪沙を見ていたようで視線がぶつかった。目が合うと、柚月は口に合うかどうか訊ね、凪沙は頷くことで返した。
「柚月は意外と尽くすタイプなんだね」
「初めてだよ」
「?」
「喜んでほしいって思うのも、何かをしたいと思うのも凪沙が初めて。でも、せっかく誕生日なんだから、ちゃんとお店でいいもの食べた方が良かったんじゃないの?」
あれなら、また別日にお店予約するけど、という柚月の言葉を遮る。
「それなら尚更、西宮の手料理の方が嬉しい! ありがとね」
片付けくらいはさせてほしいと申し出て、席を立とうとすると、柚月の手によって遮られた。念を押すと、そうではないのだと柚月は言った。
「実は、もう一つあって……」
柚月は徐ろに何かを取り出し、凪沙の前に置いた。それは小さなジュエリーボックスのようなものだった。この前の話があった後のこの箱に、まさかと思い、凪沙は勢いよく柚月を見る。柚月は少し困ったように笑うと、開けるように促した。
凪沙は戸惑いながらも、箱に手をかける。恐る恐る箱を開けると、中に入っていたのはピアスだった。小ぶりのもので、星のような、花のようなデザインの中にダイヤモンドが埋め込まれたものだった。
そういうものに疎い凪沙でも、このブランドは知っているし、これが数万以上するだろうことも知っていた。そして何より、凪沙の耳に穴が開いているということを、柚月が知っているということが驚きだった。凪沙は普段小さく目立たないものしかつけていないので、不思議でしょうがなかった。
「気に入らなかった?」
箱を手にしたまま反応がない凪沙を見て、柚月が声をかける。その声に我に返った凪沙は、慌てて弁解する。
「すごく可愛いよ! デザインもすごく好みだし、本当に可愛いんだけど……」
「?」
「私がもらっていいのかな?」
「そんなに高いものじゃないし、凪沙に似合うと思って選んだから、凪沙がいらないって言うなら捨てることになるけど」
「それはダメ!」
じゃあもらって、と柚月は優しく笑った。柚月は『ピアスってのも譲歩したんだから』とよくわからないことを言っていた。
全くもって腑に落ちないけれど、自分のわがままで手料理まで作らせ、挙句、こんな高価なものをもらってもいいのか、といまだにぐるぐるしていた。柚月は高いものじゃないと言っていたけれど。それでも、ここで凪沙が不満そうにしていると、よからぬ誤解を生じさせてしまう。それだけは避けたかった。
「……つけてみてもいい?」
凪沙がそう言うと、柚月は嬉しそうに自分がつけると言った。それはとても恥ずかしいので、断ったのだけれど、柚月の主張の方が強かった。
柚月は箱からピアスを取り出すと、凪沙の耳にそれを当てる。慎重に、傷つけないように耳にピアスを入れていく。両耳につけ終わると、柚月は凪沙の前に鏡を差し出した。実際につけてみると、小さいのにとても存在感があって、可愛いデザインの中に華やかさもあった。
ふと、柚月の慣れた手つきに疑問が生じたけれど、すぐに一蹴した。
「私も何かお礼したい! ……同じくらいのものは返せないかもだけど、」
「いいよ。やりたくてやっただけだし。喜んでもらえればそれで」
柚月はそう言ってくれたけれど、それでは凪沙の気が済まない。何か欲しいものはないかと聞くと、特にないとの答えが返ってくる。
とりあえずこの場はそれまでとして、考えておいてもらうことになった。
本当は、柚月には一つ欲しいものがあった。
けれど、それはまだ凪沙には言えずにいた。