11-1 お祝いの方法について(前編)
文字数 2,530文字
凪沙は珍しく雑誌を広げていた。それは凪沙が購入したものではなく、すずなから預かったのだと後輩が渡してくれたものだった。何でも、朝早くに研究室まで持ってきたとのこと。
すずなの意図はわからず、『読むこと』とだけメモ書きが添付されていた。仕方がないので、実験の合間にこうして眺めているのだった。研究室で雑誌を読んでいても、決して咎められたりはしないけれど、少し心苦しかったので、同じフロアにあるセミナー室に移動していた。セミナー室は、大学院生が週に一回報告会を行う際などに使用している。それ以外は、誰でも使用することができて、お昼ご飯をここで食べている学生もいた。
すずなから渡された雑誌は、普通のファッション誌だった。ページを捲っても、捲っても、特別目につくところもない。おかしなところも見当たらない。なぜそんなものを探しているのかというと、すずなが何の意味もなく雑誌を渡してくるわけがないと思ったからだ。それは凪沙の完全なる偏見なのだけれど、それでも探さずにはいられない。
結局何かを見つけることはできず、すぐに集中力が切れて、普通に雑誌を楽しんでいた。自分ではこういう雑誌を買わなくなっていたので、すごく久しぶりに世間に触れるような気がした。元々流行りに疎い方で、服装も流行り重視というよりは、自分に合うと思うものを選びがちだった。
それでもモデルの人が身につけている服を見ると、可愛いと思うものはたくさんあった。それを自分が着たいか、着られるかは別として。何より、機能性と必要性を考えると、動きやすい服を身につけていた方が便利で楽だった。
もしかして、すずなが言いたかったことは『おしゃれをしろ』ということだったのではないだろうか。—————とふと思ったけれど、すぐに棄却する。その発想が、ふわふわしたもののように感じて、自嘲した。もし、すずなが付き合っている人に可愛い自分を見せるためにおしゃれをしろと言ってきているのだとしたら、なおさらおかしい話だと思った。誰と付き合ってもそんなこと言ってこなかったのに、どうしてこのタイミングで、と思いながら考えることを放棄した。
一通り見終わってから、まだ時間があることを確認し、退屈しのぎで適当に開いたページを机に置く。
「買うの?」
突然目の前に大輔の顔が現れ、凪沙は思わず体を後ろに引いた。座っているので、反ったような体勢となり、ちょっとだけ体がつりそうだった。
大輔は悪戯っぽい笑みを浮かべると、いつもの軽口で謝罪の言葉を述べる。そして、開いたページを指差すと、再び同じ言葉を繰り返した。凪沙は視線を落とし、そのページを確認すると、指輪の広告が載っていた。
「買いませんよ」
「指輪とか、いわゆる光物? って欲しがるじゃん」
「じゃあ、買ってください」
「いや、何で俺に言うんだよ」
凪沙の返答が想定外だったのか、大輔は驚いたような表情を浮かべていた。それに対し、凪沙が含み笑いを作ると、何かを察したのか、同じような顔をした。
「あれ? この前、買ってくれるって言ってたじゃないですか」
「指輪は
「約束ですよ?」
表情と言葉が一致しない会話が終わると、二人は顔を見合わせて笑った。
アホなことをしているな、と凪沙の笑いが落ち着いてきた頃、大輔が不意に視線を上げた。何だろうかと思い、大輔の目線の先—————扉の方へと視線を向けると、学生が一人、おどおどとした様子で立っていた。見覚えのある顔だった。
誰だっただろうかと考えていると、大輔が『もう時間か』と立ち上がる。そこで、木構研に新しく入ってきた卒論生だということを思い出した。どうやら、大輔を探しに行くようにと仰せつかったらしい。大輔は凪沙に一言声をかけると、迎えにきた後輩とセミナー室を後にした。
大輔を見送っていると、入れ違いで柚月が入ってきた。凪沙は『お疲れ』と声をかける。柚月はそれに返答すると、先程まで大輔が座っていた席に腰を下ろした。心なしか、機嫌が悪いような気がする。若干だけれど、空気が重くなった。何かを話した方がいいかと思うけれど、何を話せばいいのかわからない。
「欲しいの?」
「え?」
柚月が口を開き、沈黙は破られたのだけれど、何のことを言っているのかわからず、凪沙はきょとんとした。答えを求めて柚月の方を見つめていると、柚月は視線を下に動かし、その視線で訴えかける。それは先程無造作に開かれた広告のページを指しているようだった。
「これ?」
凪沙が訊ねると、柚月は微かに頷いたように見えた。その答えに、凪沙は首を振る。凪沙の返答が気に入らなかったのか、柚月はさらに眉間にシワを寄せた。
「……俺からのじゃ、いらない?」
「え!? 違うよ! 西宮からのが欲しくないとかじゃなくて、もらっても多分つけないから」
凪沙は普段からそういったものを身につける習慣がなく、ネックレスやブレスレットの類もどちらかというと苦手な方だった。何より、実験する際には外さなければならないので、手間が増えて面倒だというのが本音だ。
見る分には可愛いと思うので、もはやそれだけで十分で、これまでに付き合った人からも身につけるものをもらったことはなかった。
「じゃあなんで、三上先輩にはあぁいうこと言うんだよ」
「あれは冗談じゃん。先輩だって、冗談ってわかってるから合わせてくれてるだけでしょ」
というか、聞いていたのか。そう思いながらも、柚月が強い口調で言うものだから、凪沙も自然と声が大きくなる。あんな誰が聞いても、軽口でふざけているような会話で怒られるとは思っていなかった。
一向に納得できないといった表情を浮かべる柚月に、凪沙はどうしたらこの場を切り抜けられるか、どうしたら理解してもらえるのか頭を捻っていた。
そこへ天の助けなのか、柚月が所属している研究室の助教の先生が申し訳なさそうに間に入った。ボスである教授が呼んでいるとの言伝だった。柚月は不服そうな顔をしていたけれど、教授の用事では行かないわけにもいかず、渋々席を立った。
助教の先生が凪沙に『ごめんね』と謝ってくれたけれど、凪沙にとっては救世主なので、感謝の気持ちでいっぱいだった。
すずなの意図はわからず、『読むこと』とだけメモ書きが添付されていた。仕方がないので、実験の合間にこうして眺めているのだった。研究室で雑誌を読んでいても、決して咎められたりはしないけれど、少し心苦しかったので、同じフロアにあるセミナー室に移動していた。セミナー室は、大学院生が週に一回報告会を行う際などに使用している。それ以外は、誰でも使用することができて、お昼ご飯をここで食べている学生もいた。
すずなから渡された雑誌は、普通のファッション誌だった。ページを捲っても、捲っても、特別目につくところもない。おかしなところも見当たらない。なぜそんなものを探しているのかというと、すずなが何の意味もなく雑誌を渡してくるわけがないと思ったからだ。それは凪沙の完全なる偏見なのだけれど、それでも探さずにはいられない。
結局何かを見つけることはできず、すぐに集中力が切れて、普通に雑誌を楽しんでいた。自分ではこういう雑誌を買わなくなっていたので、すごく久しぶりに世間に触れるような気がした。元々流行りに疎い方で、服装も流行り重視というよりは、自分に合うと思うものを選びがちだった。
それでもモデルの人が身につけている服を見ると、可愛いと思うものはたくさんあった。それを自分が着たいか、着られるかは別として。何より、機能性と必要性を考えると、動きやすい服を身につけていた方が便利で楽だった。
もしかして、すずなが言いたかったことは『おしゃれをしろ』ということだったのではないだろうか。—————とふと思ったけれど、すぐに棄却する。その発想が、ふわふわしたもののように感じて、自嘲した。もし、すずなが付き合っている人に可愛い自分を見せるためにおしゃれをしろと言ってきているのだとしたら、なおさらおかしい話だと思った。誰と付き合ってもそんなこと言ってこなかったのに、どうしてこのタイミングで、と思いながら考えることを放棄した。
一通り見終わってから、まだ時間があることを確認し、退屈しのぎで適当に開いたページを机に置く。
「買うの?」
突然目の前に大輔の顔が現れ、凪沙は思わず体を後ろに引いた。座っているので、反ったような体勢となり、ちょっとだけ体がつりそうだった。
大輔は悪戯っぽい笑みを浮かべると、いつもの軽口で謝罪の言葉を述べる。そして、開いたページを指差すと、再び同じ言葉を繰り返した。凪沙は視線を落とし、そのページを確認すると、指輪の広告が載っていた。
「買いませんよ」
「指輪とか、いわゆる光物? って欲しがるじゃん」
「じゃあ、買ってください」
「いや、何で俺に言うんだよ」
凪沙の返答が想定外だったのか、大輔は驚いたような表情を浮かべていた。それに対し、凪沙が含み笑いを作ると、何かを察したのか、同じような顔をした。
「あれ? この前、買ってくれるって言ってたじゃないですか」
「指輪は
その時
まで待てって言っただろ」「約束ですよ?」
表情と言葉が一致しない会話が終わると、二人は顔を見合わせて笑った。
アホなことをしているな、と凪沙の笑いが落ち着いてきた頃、大輔が不意に視線を上げた。何だろうかと思い、大輔の目線の先—————扉の方へと視線を向けると、学生が一人、おどおどとした様子で立っていた。見覚えのある顔だった。
誰だっただろうかと考えていると、大輔が『もう時間か』と立ち上がる。そこで、木構研に新しく入ってきた卒論生だということを思い出した。どうやら、大輔を探しに行くようにと仰せつかったらしい。大輔は凪沙に一言声をかけると、迎えにきた後輩とセミナー室を後にした。
大輔を見送っていると、入れ違いで柚月が入ってきた。凪沙は『お疲れ』と声をかける。柚月はそれに返答すると、先程まで大輔が座っていた席に腰を下ろした。心なしか、機嫌が悪いような気がする。若干だけれど、空気が重くなった。何かを話した方がいいかと思うけれど、何を話せばいいのかわからない。
「欲しいの?」
「え?」
柚月が口を開き、沈黙は破られたのだけれど、何のことを言っているのかわからず、凪沙はきょとんとした。答えを求めて柚月の方を見つめていると、柚月は視線を下に動かし、その視線で訴えかける。それは先程無造作に開かれた広告のページを指しているようだった。
「これ?」
凪沙が訊ねると、柚月は微かに頷いたように見えた。その答えに、凪沙は首を振る。凪沙の返答が気に入らなかったのか、柚月はさらに眉間にシワを寄せた。
「……俺からのじゃ、いらない?」
「え!? 違うよ! 西宮からのが欲しくないとかじゃなくて、もらっても多分つけないから」
凪沙は普段からそういったものを身につける習慣がなく、ネックレスやブレスレットの類もどちらかというと苦手な方だった。何より、実験する際には外さなければならないので、手間が増えて面倒だというのが本音だ。
見る分には可愛いと思うので、もはやそれだけで十分で、これまでに付き合った人からも身につけるものをもらったことはなかった。
「じゃあなんで、三上先輩にはあぁいうこと言うんだよ」
「あれは冗談じゃん。先輩だって、冗談ってわかってるから合わせてくれてるだけでしょ」
というか、聞いていたのか。そう思いながらも、柚月が強い口調で言うものだから、凪沙も自然と声が大きくなる。あんな誰が聞いても、軽口でふざけているような会話で怒られるとは思っていなかった。
一向に納得できないといった表情を浮かべる柚月に、凪沙はどうしたらこの場を切り抜けられるか、どうしたら理解してもらえるのか頭を捻っていた。
そこへ天の助けなのか、柚月が所属している研究室の助教の先生が申し訳なさそうに間に入った。ボスである教授が呼んでいるとの言伝だった。柚月は不服そうな顔をしていたけれど、教授の用事では行かないわけにもいかず、渋々席を立った。
助教の先生が凪沙に『ごめんね』と謝ってくれたけれど、凪沙にとっては救世主なので、感謝の気持ちでいっぱいだった。