08-1 その気持ちの答えについて(前編)

文字数 3,579文字

 お試しのようなものだけれど、付き合うことになったとすずなに報告した。ここ数日で何度目かの呼び出しにも応対してくれたすずなは凪沙の報告を受け、驚くとか、喜ぶとかそんな素振りは一切見せず、いつも通りの言わば無反応を決め込んだ状態で話を聞いていた。その反応からも、やはり諸々の事情を知っていたようだ。あの病院の一件もやはりすずなの策略だった。
 簡単に終えた報告の後、すずなが口を開いた。凪沙の報告内容よりも、ずっと気になっていたことがあったのか、そこで初めて凪沙の方に前のめりになる。

「機嫌悪い?」

 柚月との交際報告を受けての最初の言葉が「機嫌悪い?」だったことに、凪沙は目を丸くする。話を聞いていただろうか、と疑いたい気持ちになった。けれど、すずなから訊ねられたことに思い当たる節はあった。いや、むしろすずなの言葉が火種となり、凪沙は柚月とのやりとりを思い出し、苛立ちが再燃した。
 それは、あの幸せそうな一幕の後に起きた。








 『付き合ってること、みんなに話していい?』

 『え、やだ』

 即答された言葉は、柚月の予期するものではなかったらしく、柚月は不服そうな顔を全面に広げた。どうして話してはいけないのかと、凪沙を問いただす。反対に、凪沙はどうして自ら広める必要があるのかと対抗する。それに対する柚月の言い分としては、『隠しておく必要もないし、何なら言いふらしたい!』とのことだった。
 凪沙としては、早々に愛想を尽かされ、別れることになるかもしれない危うい関係をわざわざ周知させる必要はないと考えていた。付き合っているという報告のすぐ後に、別れたと知らせるのも面倒だ。
 もう一つネガティブな考えを晒すと、これまでの関係性もあるし、バカにされそうで嫌だという気持ちも強かった。そうやって周りの目を気にしてばかりいる自分自身はすごく嫌いだけれど、それをすぐどうこうできるものでもなく、柚月との衝突に引き下がることもできなかった。








「それで、早速ケンカした、と」

「ケンカってほどじゃあ……」

 言い訳紛いなことを口にする凪沙ではあったけれど、今回のことに関しては自分に非があることを理解しているようだった。その証拠に、足元に視線を落とし、深いため息を吐いている。後悔の色がそこかしこに色づいていた。
 変なところでネガティブに入る凪沙は、一度負の連鎖に陥るとなかなか浮上しなくなる。今までの柚月への失言を含め、凪沙が柚月のことを好きになる前に、柚月に嫌われてしまうのではないか。おおよそ、そんなことを考えているのだろうとすずなは察していた。いっそ、この姿を柚月に見せてやりたいとさえ思う。
 柚月に対して、ここまで悩めるのだから、もう十分柚月のことが好きなのではないかと思う。けれど、自分自身の気持ちも、柚月(相手)の気持ちも、凪沙には伝わっていない。二人ともあんなにも分かりやすいと言うのに。

「好きっていう気持ちを伝えるのに、効果的な方法って何だろうね」

「?」

 言葉ではなく、行動でも信じられないとしたら————どのように伝えるのだろう。どうすれば伝わるのだろう。想いは目に見えないから、気持ちというものはとても不確かだから、不安になるのかもしれない。

「それいいね。確かに、好きっていう気持ちを証明する方法があれば……まずは仮説を立てて————なんて、科学的に証明しようだなんて、そんな非科学的な」

 すずなの独り言に対して、思考を拡張するように呟く凪沙に、すずなは笑いを禁じ得ない。いかにも、凪沙らしい思考経路だ。けれど、どうしたら柚月の気持ちを信じてもらえるのか、どうすれば凪沙が信じられるのか————その答えには興味があった。そんな方法があるのであれば、いくらでも探し出すのに、と思ったのは内緒だ。







 ***







 秘密、というのはそのこと自体を隠しておくことでメリットもあるけれど、それが公にでないことでデメリットも生じる。それは一人だけの秘密であれば、当該者だけの損得で話は終わるわけだけれど、それが二人の秘密となると必ずしも利害が一致するとは言えない。
 自分はすずなに話している手前、フェアーでないことは重々承知していた。それでも、凪沙としては他に報告すべき人も、これと言って思い浮かばなかった。決して、友人と呼べる人がすずなだけしかいないというわけではなく、大学院に入ってから、学部生の時ほど人との関わりが少なくなっていることが起因していた。限られた人としか関わることがなくなっていた。もちろん全ての大学院生に当てはまるわけではないだろうけれど、少なくとも凪沙はそうだった。
 自分が狭い世界で生きていることは理解していたけれど、それでも研究漬けの生活を送っていると、学部時代の友人とも段々と疎遠になっていった。何より、周りの多くはすでに働いている歳になり、その彼らから向けられる『学生は楽でいいよね』という言葉が耐えられずにいた。その言葉をみんなが告げるわけではないけれど、いつ向けられるかわからない

を避けるように、凪沙は

と関わらなくなっていった。

 柚月とは研究室も近かったし、見かけることも多く、よく実験していることも知っていた。単純ではあるけれど、そんな柚月の日常から、その点については凪沙と同じようなものだと思っていた。
 大変失礼な話ではあるけれど、凪沙(自分)の価値観に当てはめ、柚月の言う “みんな” とは誰なのだろうかと考えに耽る。



「ねぇ、来栖は付き合ってること、周知させたい人?」

「高見先輩がその手の話題振ってくるの珍しいですね」と前置き、来栖は実験ノートからペンを離した。作業をしていたところに声をかけ、申し訳ないと思う凪沙の気持ちは、目を輝やかせながら考え込む来栖の表情で薄らいだ。

「その辺は相手の人に合わせられますけどぉ」

「けど?」

「周知させてた方がいいこともありますよね」

 来栖は凪沙を一瞥する。何か言いたげな目をしていた。その目にも、言葉にも思い当たる節がなく、凪沙は首を傾げた。

「例えば」と来栖はクスッと笑いを漏らしてから続ける。「相手の人がものすごーーーーくモテる人とかだと、周りに報せておいて損はないじゃないですかぁ」

 凪沙はどうして? と顔で訴える。それに対し、「本当にわからないですかぁ?」と眉を下げたまま笑みを浮かべ、いつもと変わらない口調で説明を始めた。

「彼女がいるって周知しておくのと、おかないのでは、告白される回数って変わるんです! よほど自分に自信があるとかでない限り、相手がいる人に想いを伝えたりはしないものなんですよぉ」

「もちろん例外もありますけど」と付け加える。来栖の言葉を、凪沙はいまだにぽかんとした表情で聞いていた。本人は気づいていないけれど、若干口も開いている。
 来栖の言葉を否定するわけではないけれど、彼女がいると公言することにどこまで効力があるのか、正直疑わしい気持ちの方が強かった。
 ここで頭に浮かんできたのは柚月だ。凪沙の知る限り、柚月に告白している人たちはみんな美人で、例え凪沙という彼女がいると言ったところで、目もくれないのではないかと思うのだった。それは幾度となく思い浮かんだ考えで、どんなに人から否定されても根強く残った。一度考え始めると、再びネガティブループに陥りそうだった。

「西宮先輩もぉ、本命の彼女作れば告白減ると思うんですよねぇ」

 突然柚月の名前が出てきたことに内心ドキリとしながらも、動揺を悟られないように「西宮のその手の話って最近聞かなくなったけど、今もまだ告白されてたりするの?」と、探るような言葉が自然と出る。何とも姑息だと思いながらも、安心したい気持ちが先行した。

「何言ってるんですかぁ! 減るどころか、めちゃくちゃ増えてますよぉ!」

 ここでも現実は甘くなく、放心状態の凪沙に気づかない来栖は、口を閉じることをやめない。
 何でも、いまだに告白の相手は学内に留まらないとのこと。情報通の彼女が言うのだから本当なのだろう。けれど、ラボに籠もっているような人間にいつそんなタイミングが訪れるのか、凪沙は不思議だった。

「さっきも見ましたよぉ。西宮先輩が女の子と歩いて行くの。あれは絶対に呼び出しですぅ」

「明らか告白なのに、呼び出しの時点で無下にしないのが、さすがの西宮先輩ですよねぇ」と語る来栖の言葉は凪沙の耳には届いていなかった。心ここにあらずといった様子で「ごめん、用事思い出した」とだけ告げると、研究室を出た。頭で考えるよりも先に体が動いていた。来栖が声をかけていたようだけれど、もちろん聞こえてはいない。
 どこに向かえばいいのかもわからないのに、ただがむしゃらに走っていた。自分のこの行動がいかに間抜けで、無意味なものか。それは痛いほどわかっていた。それでも、足を止めることはできなかった。
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登場人物紹介

*高見 凪沙(たかみ なぎさ)

修士2年(M2)

保全生態研(保生研)所属

負けん気が強く、時々口調が荒くなる

柚月を天敵だと思っている

*西宮 柚月(にしみや ゆづき)

修士2年(M2)

進化生物研(進生研)所属

頭が良く、面倒見もいい

凪沙をいつも揶揄っているが、気持ちを伝えてからは溺愛が過ぎる

*新野 すずな(にいの すずな)

修士2年(M2)

木質構造研(木構研)所属

凪沙の友人

凪沙と柚月とは学部時代からの仲

クールで、凪沙とは性格が真逆

凪沙に対しては少し冷たい一面も

*三上 大輔(みかみ だいすけ)

博士課程1年(D1)

木質構造研(木構研)所属

すずなと研究室が同じ先輩

凪沙とも仲がいい

フランクな性格だが、浮ついた噂が後を立たない

✳︎来栖 愛里紗(くるす ありさ)

修士1年(M1)

保全生態研(保生研)所属

凪沙の直属の後輩

もったりとした喋り方が特徴

可愛いもの好き

でも虫なども平気で触れる

酒豪

✳︎水沢 修平(みずさわ しゅうへい)

修士1年(M1)

進化生物研(進生研)所属

柚月の直属の後輩

凪沙とも仲が良い

穏やかな性格で頭もいい

凪沙と仲がいいことで、柚月から少し羨ましがられている部分もある

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