10-2 事件と犯人の信憑性について(後編)
文字数 2,909文字
そこまでの話を聞いた柚月は、沈んだ気持ちがさらに深く下降していた。自分には全く身に覚えのないことなのだけれど、自分の意思とは関係なく、それは事実として突きつけられる。
一つ不安要素があるだけで、新たに生じる障害が何倍にも膨れ上がる。余計に嫌われてしまったのではないかと、弱気になっていた。
続きを聞くのは怖かった。話は、その時間ちょうど院生室にいて、凪沙がUSBを探しにきて、それが見つかるまでの一部始終を見ていたという後輩から聞いていた。どこまで詳細に再現されているのかはわからないけれど、大まかなところは正確だろう。
ここでも、一緒に聞いていたラボメンバーは、いまだにニヤニヤしている。何も楽しいことがない柚月は、その表情さえ腹立たしい気持ちでいっぱいだった。けれど、それは完全に八つ当たりなので、心に押し込める。
聞きたくない気持ちの方が強いけれど、話している方の後輩はどうやら最後まで話さなければ気が済まない様子で、事件の真相を語り続ける。
すずなが凪沙にした説明はこうだ。——————と言っても、正確には笹山の言い分ということなのだろう。
凪沙のUSBを盗んだ犯人は柚月で、凪沙の研究テーマを利用することが目的だったのではないかとのことだった。さらに以前、柚月の奇怪な行動を目撃していたとのこと。凪沙のUSB粉出騒動を耳にして、もしやと思い、ここまで来たと言うのだ。
すずなは凪沙ならどうするだろうかと、そこまで話し終わると、口を閉ざした。言葉通り、柚月を疑うだろうか——————
すると突然、今まで説明してくれていた後輩が立ち上がり、
『西宮はそんなことしない! そんなことしても何のメリットもないし、それに……西宮はそんなことしなくたって十分すごいの! 私なんか目じゃないの。 西宮のことバカにするのもいい加減にして!』
と、裏声でそう言った。柚月は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
しばらく経って、それが凪沙のマネのつもりかもしれないと気づくと、じわじわと笑いが込み上げる。誰かが吹き出すように笑うと、柚月も耐えきれなくなって笑い出した。
これで全てがしっくりきた。目の前の彼らの笑みも、すずなの言葉も、笹山のあの表情も——————全てのピースが合わさった。
一頻り笑った後、涙目を擦る。
「もう本当なんなの……俺の好きな人、カッコ良すぎるでしょ」
そう言うと、柚月は徐ろに立ち上がり、そのまま研究室を出て行った。残された者たちは、各々顔を見合わせていた。
「何あれ」
「西宮先輩もデレたりするんですね」
「人の子だったってことだ」
なんて、本人不在をいいことに、好き勝手に言っていた。
***
「すずな、色々ありがとね」
「次から気をつけるように」
結局、犯人は笹山本人だった。凪沙がラボの前にUSB入りの袋を置いて、教授のところに行っている隙に取り出したとのことだった。それに関しては、凪沙にも落ち度があるので、散々すずなからお叱りを受けた。用事があるからと、一度解散し、その用事を終えた後、こうして再度集合してからも、すずなのお説教は終わらなかった。
笹山のこの行動の理由は、柚月に対する妬みなのか、凪沙に対する好意なのかはわからない。けれど、すずなからあれだけこてんぱんに言われたら、もう二度とこんなことはしないだろう。
凪沙も、ものが無事に戻ってきたので、事を荒立てるつもりはないと言った。
「でも、何か安心した」
「ん? 何が?」
「凪沙が柚月のこと信じてくれて」
その言葉に、すずなの方に視線を送ると、すずなは凪沙ではなく前の方を見ていた。その視線の先を追う。そこには、走ってきたのか、息を切らせた柚月の姿があった。
凪沙が驚いていると、柚月はそれを気にする様子もなく、距離を縮める。
「信じてくれてありがとう」
柚月の言葉に、凪沙は再び驚く。すずなからのお説教を受けたあとなので、柚月のその言葉は、おそらく今日あった出来事のことだろう、と勝手に関連付ける。けれど、どうしてそれを知っているのだろうかと、不思議に思った。柚月がなぜ知っているのかも、柚月が凪沙にお礼を言う理由もはっきりしたことはわからない中、凪沙はさも当たり前かのように返す。
「信じるも何も……疑う要素ひとつもないでしょ」
「はぁ……」
柚月はため息をつくと、さらに一歩凪沙の方に歩みを寄せ、自分の額を凪沙の肩に乗せた。
「そういうとこなんだよなぁ」
凪沙はすずなも見ている状態でのこの状況に羞恥を感じ、顔が熱くなった。
そんな凪沙の様子を見て、すずなはクスッと笑う。
「バトンタッチ」
はい、と言って二人の肩を叩くと、すずなは足早にどこかへ行ってしまった。
取り残された二人は、しばらく黙っていた。その沈黙は柚月が破り、少し話せるかと訊ねると、凪沙は頷いた。
「なんか、久しぶりに凪沙の顔見た気がする」
「……ごめんなさい」
その謝罪は、柚月のことを避けていたと自白しているようなものだった。別に責めているわけではなく、ただ久しぶりの安心感に浸っていただけなので、謝る必要はなかった。
「俺の方こそごめん。許嫁とか、あれはもう無効だから。気にしなくていいから」
「……」
凪沙は不服そうな、拗ねたような表情を浮かべていた。それがなぜだかわからなくて、柚月は理由を訊ねる。凪沙は少し迷っているようで、何かを考えていた。そして不意に顔を上げた。
「本当はすごくモヤモヤしてた。というかずっと気になってた。この際だから全部言うけど、綺麗な人いっぱいいるのに、どうして自分なんだろうって思ってる。もしかしてそういう趣味なのかな、とか。でも、前に付き合ってた人もみんな綺麗だったし、その、許嫁さんも美人だし……やっぱりなんでって」
早口にそこまで言うと、今まで散々言葉を発していた口を、柚月の手で抑えられる。柚月は少し怒っているように見えた。
「これ以上、俺の好きな人の悪口言わないでくれる?」
「……」
「凪沙が思ってること口にしてくれるのは嬉しいけど、さっきの発言はいただけない。俺は凪沙が好きだよ。何度も言ってるけど、まだ信じられない? 凪沙が自分に自信がないのも知ってるつもりだし、自信がなくてもいいんだよ。凪沙が自信が欲しいって言うなら、それも応援する。でも自信がなくても、俺はそんな凪沙が好きだから。それだけは変わらない。ただ、凪沙がさっき言ったような理由で俺から離れるのは許さない」
「………ない?」
口元を覆っていた手を除けると、凪沙は何かを口にした。けれど、それは柚月の耳には届かず、すぐに聞き返す。
「西宮からは、離れていかない?」
そんなこと断言できるはずないのに、と凪沙は少し可笑しくなって自嘲した。先程の発言を訂正しようと口を開こうとしたのだけれど、それは柚月に抱きしめられたことで遮られる。
不安そうに呟く凪沙が、何だか弱々しく、小さく見えた。
実際、抱きしめると自分の体にすっぽりと収まってしまう。こんなに小さくて、すぐに折れてしまいそうな凪沙を自分の手で守ることができたら——————これ以上に幸せなことはないのだろうと、柚月は思った。
一つ不安要素があるだけで、新たに生じる障害が何倍にも膨れ上がる。余計に嫌われてしまったのではないかと、弱気になっていた。
続きを聞くのは怖かった。話は、その時間ちょうど院生室にいて、凪沙がUSBを探しにきて、それが見つかるまでの一部始終を見ていたという後輩から聞いていた。どこまで詳細に再現されているのかはわからないけれど、大まかなところは正確だろう。
ここでも、一緒に聞いていたラボメンバーは、いまだにニヤニヤしている。何も楽しいことがない柚月は、その表情さえ腹立たしい気持ちでいっぱいだった。けれど、それは完全に八つ当たりなので、心に押し込める。
聞きたくない気持ちの方が強いけれど、話している方の後輩はどうやら最後まで話さなければ気が済まない様子で、事件の真相を語り続ける。
すずなが凪沙にした説明はこうだ。——————と言っても、正確には笹山の言い分ということなのだろう。
凪沙のUSBを盗んだ犯人は柚月で、凪沙の研究テーマを利用することが目的だったのではないかとのことだった。さらに以前、柚月の奇怪な行動を目撃していたとのこと。凪沙のUSB粉出騒動を耳にして、もしやと思い、ここまで来たと言うのだ。
すずなは凪沙ならどうするだろうかと、そこまで話し終わると、口を閉ざした。言葉通り、柚月を疑うだろうか——————
すると突然、今まで説明してくれていた後輩が立ち上がり、
『西宮はそんなことしない! そんなことしても何のメリットもないし、それに……西宮はそんなことしなくたって十分すごいの! 私なんか目じゃないの。 西宮のことバカにするのもいい加減にして!』
と、裏声でそう言った。柚月は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
しばらく経って、それが凪沙のマネのつもりかもしれないと気づくと、じわじわと笑いが込み上げる。誰かが吹き出すように笑うと、柚月も耐えきれなくなって笑い出した。
これで全てがしっくりきた。目の前の彼らの笑みも、すずなの言葉も、笹山のあの表情も——————全てのピースが合わさった。
一頻り笑った後、涙目を擦る。
「もう本当なんなの……俺の好きな人、カッコ良すぎるでしょ」
そう言うと、柚月は徐ろに立ち上がり、そのまま研究室を出て行った。残された者たちは、各々顔を見合わせていた。
「何あれ」
「西宮先輩もデレたりするんですね」
「人の子だったってことだ」
なんて、本人不在をいいことに、好き勝手に言っていた。
***
「すずな、色々ありがとね」
「次から気をつけるように」
結局、犯人は笹山本人だった。凪沙がラボの前にUSB入りの袋を置いて、教授のところに行っている隙に取り出したとのことだった。それに関しては、凪沙にも落ち度があるので、散々すずなからお叱りを受けた。用事があるからと、一度解散し、その用事を終えた後、こうして再度集合してからも、すずなのお説教は終わらなかった。
笹山のこの行動の理由は、柚月に対する妬みなのか、凪沙に対する好意なのかはわからない。けれど、すずなからあれだけこてんぱんに言われたら、もう二度とこんなことはしないだろう。
凪沙も、ものが無事に戻ってきたので、事を荒立てるつもりはないと言った。
「でも、何か安心した」
「ん? 何が?」
「凪沙が柚月のこと信じてくれて」
その言葉に、すずなの方に視線を送ると、すずなは凪沙ではなく前の方を見ていた。その視線の先を追う。そこには、走ってきたのか、息を切らせた柚月の姿があった。
凪沙が驚いていると、柚月はそれを気にする様子もなく、距離を縮める。
「信じてくれてありがとう」
柚月の言葉に、凪沙は再び驚く。すずなからのお説教を受けたあとなので、柚月のその言葉は、おそらく今日あった出来事のことだろう、と勝手に関連付ける。けれど、どうしてそれを知っているのだろうかと、不思議に思った。柚月がなぜ知っているのかも、柚月が凪沙にお礼を言う理由もはっきりしたことはわからない中、凪沙はさも当たり前かのように返す。
「信じるも何も……疑う要素ひとつもないでしょ」
「はぁ……」
柚月はため息をつくと、さらに一歩凪沙の方に歩みを寄せ、自分の額を凪沙の肩に乗せた。
「そういうとこなんだよなぁ」
凪沙はすずなも見ている状態でのこの状況に羞恥を感じ、顔が熱くなった。
そんな凪沙の様子を見て、すずなはクスッと笑う。
「バトンタッチ」
はい、と言って二人の肩を叩くと、すずなは足早にどこかへ行ってしまった。
取り残された二人は、しばらく黙っていた。その沈黙は柚月が破り、少し話せるかと訊ねると、凪沙は頷いた。
「なんか、久しぶりに凪沙の顔見た気がする」
「……ごめんなさい」
その謝罪は、柚月のことを避けていたと自白しているようなものだった。別に責めているわけではなく、ただ久しぶりの安心感に浸っていただけなので、謝る必要はなかった。
「俺の方こそごめん。許嫁とか、あれはもう無効だから。気にしなくていいから」
「……」
凪沙は不服そうな、拗ねたような表情を浮かべていた。それがなぜだかわからなくて、柚月は理由を訊ねる。凪沙は少し迷っているようで、何かを考えていた。そして不意に顔を上げた。
「本当はすごくモヤモヤしてた。というかずっと気になってた。この際だから全部言うけど、綺麗な人いっぱいいるのに、どうして自分なんだろうって思ってる。もしかしてそういう趣味なのかな、とか。でも、前に付き合ってた人もみんな綺麗だったし、その、許嫁さんも美人だし……やっぱりなんでって」
早口にそこまで言うと、今まで散々言葉を発していた口を、柚月の手で抑えられる。柚月は少し怒っているように見えた。
「これ以上、俺の好きな人の悪口言わないでくれる?」
「……」
「凪沙が思ってること口にしてくれるのは嬉しいけど、さっきの発言はいただけない。俺は凪沙が好きだよ。何度も言ってるけど、まだ信じられない? 凪沙が自分に自信がないのも知ってるつもりだし、自信がなくてもいいんだよ。凪沙が自信が欲しいって言うなら、それも応援する。でも自信がなくても、俺はそんな凪沙が好きだから。それだけは変わらない。ただ、凪沙がさっき言ったような理由で俺から離れるのは許さない」
「………ない?」
口元を覆っていた手を除けると、凪沙は何かを口にした。けれど、それは柚月の耳には届かず、すぐに聞き返す。
「西宮からは、離れていかない?」
そんなこと断言できるはずないのに、と凪沙は少し可笑しくなって自嘲した。先程の発言を訂正しようと口を開こうとしたのだけれど、それは柚月に抱きしめられたことで遮られる。
不安そうに呟く凪沙が、何だか弱々しく、小さく見えた。
実際、抱きしめると自分の体にすっぽりと収まってしまう。こんなに小さくて、すぐに折れてしまいそうな凪沙を自分の手で守ることができたら——————これ以上に幸せなことはないのだろうと、柚月は思った。