04-1 苦手なものとその効果について(前編)
文字数 4,085文字
あれ以来、柚月は怒ったままだった。
研究室が近くにあるというだけで、顔を合わせることは合っても、口を聞く必要性はない。なので、特に困るということはないのだけれど、怒っている理由がわからず、ずっとモヤモヤしていた。
すずなに事の一切を話すと、凪沙が悪い、の一点張りで、明らかに事情を知っていそうな雰囲気なのに、何も教えてはくれなかった。自分で考え、答えを出せということなのだろう。
すずなは最後に、柚月に同情する、とも言っていた。それが余計に凪沙を混乱させた。
ちなみに一度、凪沙は柚月に謝りに行っている。理由はわからないけれど、柚月が何もなく怒ったりする人じゃないことはよく知っていた。けれど、「理由もわからないのに謝られても、こっちも困る」と言って、まともに取り合ってはくれなかった。
これは相当ご立腹だということだけがわかり、この日の謝罪は失敗に終わった。
***
「高見先輩、お疲れ様です」
「水沢 くん、お疲れ」
実験の合間に、遅くなってしまったお昼を取ろうと学内の売店に行くと、進生研の修士1年生 の水沢に遭遇した。進生研は柚月が所属している研究室なので、水沢は柚月の直属の後輩にあたる。
聞くと、水沢も実験が押しており、今からお昼ご飯なのだと言う。せっかくなので一緒にランチを、と誘ってみると、快く承諾してくれた。
「そういえば、西宮先輩と何かありました?」
遅い時間のため、席だけの利用が可能となった食堂で、席に着くなり、今一番触れてほしくない話題を持ち出され、凪沙は驚きと気まずさで少し咽せた。心配そうに声をかけてくれる水沢に、大丈夫だという旨とお礼を告げると、手元にあった水を一口飲み込んだ。
「……あったといえば、あったのかもしれない…」
歯切れの悪い回答を返すと、凪沙はどうしてそんなことを聞くのかと訊ねた。
「何というか、最近少し機嫌が悪いことが多い気がして」
表立って不機嫌 が出ているわけではないけれど、端々からそれを感じるのだそうだ。加えて、恥ずかしながら先日の謝罪現場も目撃されていたらしい。
会話は聞こえなかったものの、凪沙にいつもの覇気が感じられなかったため、二人に何かあったのだろうと思ったとのことだった。
「申し訳ない……早めに解決します」
凪沙が謝罪の言葉を口にすると、水沢は笑って「実質的な被害があるわけではないので」と言ってくれた。笑顔を向けてくれることも、詳細は聞かずにいてくれることも、彼の優しさだった。
年下に気を使わせているのも不甲斐なく思うところで、本当に早急な解決を図る他なかった。
思い返してみると、ここ最近の柚月はおかしな点がいくつもあった。今回、水沢に聞いた話だって、いつもなら考えられない。柚月はどちらかといえば落ち着いている方だし、それこそすずなと雰囲気は似ていて、表情が読めず、何を考えているのかわからない人種だ。ちなみにこれは、貶しているわけではないので、ひとまず断っておく。
何より、凪沙とは異なり、感情を表に出すようなタイプではなかった。それが、後輩に心配されるほど露わになっていると言うのは、これはもうただごとではないレベルなのだ。
けれど、解決するためには
————————————————
————————
昼食を終えた二人は、一緒に研究室までの道のりを歩いていた。
凪沙たちの研究室は6階建ての建物の5階にある。二人はエレベーターに乗り込むと、その階のボタンを押した。
エレベーターには凪沙たち以外に他学科の教授が乗っていた。その人が一つ下の階で降りると、中には二人しかいなくなった。
扉が閉まり、再び動き出したかと思えば、電子掲示板が『5』を示したところで動きを止めた。再度扉が開く。
水沢が “開く” ボタンを押し、凪沙に先に出るようにと促した。親切心に甘え、凪沙はエレベーターの扉を押さえながら降りると、水沢が出てくるのを待った。
他に誰もいないので、ゆっくり降りればいいものを、水沢は血相を変え、慌てた様子で外へと飛び出してくる。降りた直後、どういうわけか凪沙の方へと腕を伸ばした。
それは本当に一瞬のことだった。凪沙は何が起きているのか把握する間もなく、水沢に腕を引かれ、その勢いのまま壁に押し付けられた。
衝突音のような音が鼓膜に響く。
水沢に押さえ込まれた衝撃で、凪沙は目を閉じていたため、音だけが現状を把握できる唯一の手段だった。その聴覚ですら情報不足で、何が起きたのかはわからない。
「……大丈夫ですか?」
その声に、凪沙は恐る恐る目を開けた。—————直後、目に激痛が走り、再び目を閉じた。ぎゅっと、強く。そして、反射的に手を目元まで持っていく。
安否を確かめるために、凪沙の顔を覗き込んでいた水沢は、目の前の彼女の目に涙が溢れていることに気づくと、先程の心配そうな声から一変、慌てたように「大丈夫ですか?!」とさらに言葉を重ね、ケガの有無を確認し始めた。けれど凪沙は、あまりの痛みに声が出ない。
「……凪沙?」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、やはり返答する余裕はなく、まして声の主を認識することすらままならなかった。ただ、声の識別は無理でも音を聞き取るだけなら可能で、声の代わりに鈍い音が耳を通り抜ける。
何が起きているのか、目を開けることができない凪沙には知る由もなかったけれど、近くにいた水沢の手が凪沙から離れ、気配が遠のいたことはわかった。けれどすぐ、誰かがそばに近づいてくるのもわかった。水沢だろうか、と思った矢先、抱きしめられているような温かさを感じた。けれど、すぐそばで聞こえてきた声はとても冷たく、相手を突き放す、そんな雰囲気を帯びていた。
「水沢、お前何した?」
「いや…自分はただ、
不穏な空気を漂わせながら、二人は何やら会話をしていた。“会話” かどうかは定かではなかったけれど、凪沙は呑気にも、その間に目の違和感を解決しようと試みることにした。本当に抱きしめられているのか、身動きが取りずらい。それでも何とか腕を解放し、先に移動させていた手とは反対の手も目元に持っていった。
腕の中でゴソゴソと動く凪沙に、その人は目線を水沢から逸らすと、そのまま凪沙の方に落とした。凪沙の名前を呼んでみるものの、集中している彼女から返事はない。
一体彼女は何をしているのだろうかと、二人が凪沙を注視する。自分に視線が集まっているとも知らず、凪沙は涙に濡れる手を前に出した。
「……取れた!」
凪沙の指にはコンタクトレンズが乗せられていた。壁に押し付けられた衝撃で、コンタクトがずれてしまったのだ。涙が出たのもその痛みによるものなのだろう。
片目の視力は落ちたけれど、もう片方の目と、近くにあるものはかろうじて見える
その傍らには倒れ込むような形で座り込んでいる水沢、そしてその横には大きな板が同じように倒れていた。
凪沙は何が起きたのか、必死に頭を回転させた。けれど、凪沙が答えを導き出すよりも前に、パタパタと足音が近づいてきて、次いで「おぉ、すまんすまん。大丈夫だったかぁ」と何とも拍子抜けしてしまうような声が聞こえた。
「この板は先生の試料だったんですね」
板の一番近くにいた水沢が、立ち上がる際に一緒に板も拾い上げ、持ち主であろう准教授に手渡した。聞けば、大きな板はここにあったもの以外に複数枚あり、一度に運ぶのは大変だったため、ここに立てかけていたのだそうだ。研究室の学生に手伝ってもらえばいいものを、と内心思っていたことは、「今全員、出払っていてな」という言葉でかき消された。
准教授は水沢から板を受け取ると、ケガはなかったかどうか、そして改めて謝罪の言葉を口にした。その言葉に水沢が一瞬、凪沙の方を見たけれど、すぐに視線を戻し「大丈夫です」と笑みを浮かべた。
「水沢くん、ごめんね。庇ってくれたんだよね?」
板の運搬の申し出が断られ、最後の一枚を抱えて戻る准教授を見送ると、凪沙は水沢のもとへと駆け寄った。水沢は先ほどよりも柔らかい笑顔を浮かべながら、自分は大丈夫だと告げる。
「それよりも、高見先輩の方こそ大丈夫でしたか? すみません、俺が雑に押したりしたから…」
「全然! 水沢くんのおかげでペシャンコにされずにすんだよ」
軽口を叩くようにヘラヘラとした笑みを見せる。凪沙の様子に安堵したように水沢がため息をつくと、その表情は一変した。眉を下げ、何やら気まずそうに視線が凪沙以外のとこに向く。水沢の視線を追うと、柚月と目線がぶつかった。
柚月は見るからに不機嫌そうで、その目はまるで睨みつけているような、そんな威圧感を含んでいた。その空気に耐えきれず、凪沙は敢えておちゃらけて見せた。
「コンタクトがずれたからとはいえ、泣いているところを見られるなんてお恥ずかしい」
だから心配しないでね、という意味合いを込めたのに、柚月の表情は一向に変わらない。
「……勘違いして悪かったな」
冷たい声色で水沢にそう言うと、柚月はそのまま踵を返した。背を向ける柚月に焦った凪沙が、足を踏み出そうとする柚月の腕を掴む。けれど、柚月は凪沙の方を見ようともせず、凪沙にだけ聞こえるように
「好きでもないやつに心配されても迷惑だったな」
そう言って凪沙の手を払い除け、行ってしまった。先程まで柚月が触れていた温もりも、掴んでいた手の感触もあっという間に消えていく。
凪沙はどうしてこうなってしまったのか、柚月が何に怒っているのか、やっぱりわからなかった。けれど、余計に機嫌を損ねてしまったということだけは理解した。
心配そうな表情で凪沙を見つめる水沢の視線に気づいた凪沙は、せめてもの見栄で「水沢くんは悪くないって誤解解いておくから!」と言うと、「逆効果だと思います」と苦笑されてしまった。
研究室が近くにあるというだけで、顔を合わせることは合っても、口を聞く必要性はない。なので、特に困るということはないのだけれど、怒っている理由がわからず、ずっとモヤモヤしていた。
すずなに事の一切を話すと、凪沙が悪い、の一点張りで、明らかに事情を知っていそうな雰囲気なのに、何も教えてはくれなかった。自分で考え、答えを出せということなのだろう。
すずなは最後に、柚月に同情する、とも言っていた。それが余計に凪沙を混乱させた。
ちなみに一度、凪沙は柚月に謝りに行っている。理由はわからないけれど、柚月が何もなく怒ったりする人じゃないことはよく知っていた。けれど、「理由もわからないのに謝られても、こっちも困る」と言って、まともに取り合ってはくれなかった。
これは相当ご立腹だということだけがわかり、この日の謝罪は失敗に終わった。
***
「高見先輩、お疲れ様です」
「
実験の合間に、遅くなってしまったお昼を取ろうと学内の売店に行くと、進生研の
聞くと、水沢も実験が押しており、今からお昼ご飯なのだと言う。せっかくなので一緒にランチを、と誘ってみると、快く承諾してくれた。
「そういえば、西宮先輩と何かありました?」
遅い時間のため、席だけの利用が可能となった食堂で、席に着くなり、今一番触れてほしくない話題を持ち出され、凪沙は驚きと気まずさで少し咽せた。心配そうに声をかけてくれる水沢に、大丈夫だという旨とお礼を告げると、手元にあった水を一口飲み込んだ。
「……あったといえば、あったのかもしれない…」
歯切れの悪い回答を返すと、凪沙はどうしてそんなことを聞くのかと訊ねた。
「何というか、最近少し機嫌が悪いことが多い気がして」
表立って
会話は聞こえなかったものの、凪沙にいつもの覇気が感じられなかったため、二人に何かあったのだろうと思ったとのことだった。
「申し訳ない……早めに解決します」
凪沙が謝罪の言葉を口にすると、水沢は笑って「実質的な被害があるわけではないので」と言ってくれた。笑顔を向けてくれることも、詳細は聞かずにいてくれることも、彼の優しさだった。
年下に気を使わせているのも不甲斐なく思うところで、本当に早急な解決を図る他なかった。
思い返してみると、ここ最近の柚月はおかしな点がいくつもあった。今回、水沢に聞いた話だって、いつもなら考えられない。柚月はどちらかといえば落ち着いている方だし、それこそすずなと雰囲気は似ていて、表情が読めず、何を考えているのかわからない人種だ。ちなみにこれは、貶しているわけではないので、ひとまず断っておく。
何より、凪沙とは異なり、感情を表に出すようなタイプではなかった。それが、後輩に心配されるほど露わになっていると言うのは、これはもうただごとではないレベルなのだ。
けれど、解決するためには
理由
を見つけ出さなくてはならず、それが最も難題だった。————————————————
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昼食を終えた二人は、一緒に研究室までの道のりを歩いていた。
凪沙たちの研究室は6階建ての建物の5階にある。二人はエレベーターに乗り込むと、その階のボタンを押した。
エレベーターには凪沙たち以外に他学科の教授が乗っていた。その人が一つ下の階で降りると、中には二人しかいなくなった。
扉が閉まり、再び動き出したかと思えば、電子掲示板が『5』を示したところで動きを止めた。再度扉が開く。
水沢が “開く” ボタンを押し、凪沙に先に出るようにと促した。親切心に甘え、凪沙はエレベーターの扉を押さえながら降りると、水沢が出てくるのを待った。
他に誰もいないので、ゆっくり降りればいいものを、水沢は血相を変え、慌てた様子で外へと飛び出してくる。降りた直後、どういうわけか凪沙の方へと腕を伸ばした。
それは本当に一瞬のことだった。凪沙は何が起きているのか把握する間もなく、水沢に腕を引かれ、その勢いのまま壁に押し付けられた。
衝突音のような音が鼓膜に響く。
水沢に押さえ込まれた衝撃で、凪沙は目を閉じていたため、音だけが現状を把握できる唯一の手段だった。その聴覚ですら情報不足で、何が起きたのかはわからない。
「……大丈夫ですか?」
その声に、凪沙は恐る恐る目を開けた。—————直後、目に激痛が走り、再び目を閉じた。ぎゅっと、強く。そして、反射的に手を目元まで持っていく。
安否を確かめるために、凪沙の顔を覗き込んでいた水沢は、目の前の彼女の目に涙が溢れていることに気づくと、先程の心配そうな声から一変、慌てたように「大丈夫ですか?!」とさらに言葉を重ね、ケガの有無を確認し始めた。けれど凪沙は、あまりの痛みに声が出ない。
「……凪沙?」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、やはり返答する余裕はなく、まして声の主を認識することすらままならなかった。ただ、声の識別は無理でも音を聞き取るだけなら可能で、声の代わりに鈍い音が耳を通り抜ける。
何が起きているのか、目を開けることができない凪沙には知る由もなかったけれど、近くにいた水沢の手が凪沙から離れ、気配が遠のいたことはわかった。けれどすぐ、誰かがそばに近づいてくるのもわかった。水沢だろうか、と思った矢先、抱きしめられているような温かさを感じた。けれど、すぐそばで聞こえてきた声はとても冷たく、相手を突き放す、そんな雰囲気を帯びていた。
「水沢、お前何した?」
「いや…自分はただ、
それ
が倒れそうだったので……」不穏な空気を漂わせながら、二人は何やら会話をしていた。“会話” かどうかは定かではなかったけれど、凪沙は呑気にも、その間に目の違和感を解決しようと試みることにした。本当に抱きしめられているのか、身動きが取りずらい。それでも何とか腕を解放し、先に移動させていた手とは反対の手も目元に持っていった。
腕の中でゴソゴソと動く凪沙に、その人は目線を水沢から逸らすと、そのまま凪沙の方に落とした。凪沙の名前を呼んでみるものの、集中している彼女から返事はない。
一体彼女は何をしているのだろうかと、二人が凪沙を注視する。自分に視線が集まっているとも知らず、凪沙は涙に濡れる手を前に出した。
「……取れた!」
凪沙の指にはコンタクトレンズが乗せられていた。壁に押し付けられた衝撃で、コンタクトがずれてしまったのだ。涙が出たのもその痛みによるものなのだろう。
片目の視力は落ちたけれど、もう片方の目と、近くにあるものはかろうじて見える
負傷
の目で辺りを見渡す。目の前には柚月がいて、凪沙を抱え込むように、そして心配そうな表情を浮かべて凪沙の顔を覗き込んでいた。その傍らには倒れ込むような形で座り込んでいる水沢、そしてその横には大きな板が同じように倒れていた。
凪沙は何が起きたのか、必死に頭を回転させた。けれど、凪沙が答えを導き出すよりも前に、パタパタと足音が近づいてきて、次いで「おぉ、すまんすまん。大丈夫だったかぁ」と何とも拍子抜けしてしまうような声が聞こえた。
「この板は先生の試料だったんですね」
板の一番近くにいた水沢が、立ち上がる際に一緒に板も拾い上げ、持ち主であろう准教授に手渡した。聞けば、大きな板はここにあったもの以外に複数枚あり、一度に運ぶのは大変だったため、ここに立てかけていたのだそうだ。研究室の学生に手伝ってもらえばいいものを、と内心思っていたことは、「今全員、出払っていてな」という言葉でかき消された。
准教授は水沢から板を受け取ると、ケガはなかったかどうか、そして改めて謝罪の言葉を口にした。その言葉に水沢が一瞬、凪沙の方を見たけれど、すぐに視線を戻し「大丈夫です」と笑みを浮かべた。
「水沢くん、ごめんね。庇ってくれたんだよね?」
板の運搬の申し出が断られ、最後の一枚を抱えて戻る准教授を見送ると、凪沙は水沢のもとへと駆け寄った。水沢は先ほどよりも柔らかい笑顔を浮かべながら、自分は大丈夫だと告げる。
「それよりも、高見先輩の方こそ大丈夫でしたか? すみません、俺が雑に押したりしたから…」
「全然! 水沢くんのおかげでペシャンコにされずにすんだよ」
軽口を叩くようにヘラヘラとした笑みを見せる。凪沙の様子に安堵したように水沢がため息をつくと、その表情は一変した。眉を下げ、何やら気まずそうに視線が凪沙以外のとこに向く。水沢の視線を追うと、柚月と目線がぶつかった。
柚月は見るからに不機嫌そうで、その目はまるで睨みつけているような、そんな威圧感を含んでいた。その空気に耐えきれず、凪沙は敢えておちゃらけて見せた。
「コンタクトがずれたからとはいえ、泣いているところを見られるなんてお恥ずかしい」
だから心配しないでね、という意味合いを込めたのに、柚月の表情は一向に変わらない。
「……勘違いして悪かったな」
冷たい声色で水沢にそう言うと、柚月はそのまま踵を返した。背を向ける柚月に焦った凪沙が、足を踏み出そうとする柚月の腕を掴む。けれど、柚月は凪沙の方を見ようともせず、凪沙にだけ聞こえるように
「好きでもないやつに心配されても迷惑だったな」
そう言って凪沙の手を払い除け、行ってしまった。先程まで柚月が触れていた温もりも、掴んでいた手の感触もあっという間に消えていく。
凪沙はどうしてこうなってしまったのか、柚月が何に怒っているのか、やっぱりわからなかった。けれど、余計に機嫌を損ねてしまったということだけは理解した。
心配そうな表情で凪沙を見つめる水沢の視線に気づいた凪沙は、せめてもの見栄で「水沢くんは悪くないって誤解解いておくから!」と言うと、「逆効果だと思います」と苦笑されてしまった。