第5話 入門試験

文字数 1,618文字

「なに?トーデを習いたいと」

 芭蕉園の小屋を訪れたチルーの申し出に、大島クルウは少し驚いたように尋ねた。

「はい、泊の悪党兄弟との一件で、私は自分の無力を悟ったのです」

「いや、しかしのう・・チルーちゃんはすでに与那原では男でも敵う者がない強さじゃろう。女がそれ以上強くなってどうするんじゃね」

 大島クルウはチルーの父親より、チルーの剛力ゆえの縁遠さの悩みを何度も聞かされていたのであった。

「それにトーデは危険な剛術じゃ。ゆえに琉球では女にトーデを習わせた例は無いのだ」

「本唐(中国)では女のトーデの達人の話がいくつもあると聞いています」

「むう・・・」

 食い下がるチルーに、大島クルウは非常に困惑していた。
 そしてしばらく考え込んだ末に、大島クルウはひとつの提案をした。

「よしわかった。ではまず試験を受けてもらおう。トーデを身に付けるには、特別な素養が必要じゃ。いいかね」

 チルーの顔がぱっと明るくなった。

「はい、ぜひ受けさせていただきます。何をすれば良いのですか」

「まず両手をこちらに差し出してごらん」

 言われた通りにチルーが両手を差し出すと、大島クルウはその両手首を上から握った。

「儂が握ったこの手を、チルーちゃんが振りほどくことが出来たら合格じゃ。やってごらん」

(それだけのこと?)

 チルーにとって、それはあまりに簡単な試験に思えた。
 いかにトーデの達人とはいえ、大島クルウは痩せこけた老人である。
 しかもチルーの両手首を握る手には、ほとんど握力が感じられないのだ。

「では、いきますよ」

 チルーは声を掛けてから、自分の両腕に力を込めて振りほどこうとした。

(・・・あれ?)

 しかし、どうしたわけかチルーの両腕は、まるで巨岩に埋め込まれたかのようにビクとも動かなかった。
 驚いたチルーは大島クルウの顔を見たが、平然としていて特に力を入れている様子もない。
 そこでチルーは腕をねじ上げようとしたり、引き抜こうとしたり様々な方法を試みた。
 しかしやはり、その腕はビクとも動かすことが出来なかったのである。

「どうしたね?やはり女にトーデは無理なようじゃのう」

 実はこの時、大島クルウはただ軽く手首を握っているように見せかけて『八加二帰八握力法(パイカジャキヨパイ)』というトーデの秘術を密かに用いていたのである。この握力法で握られれば、いかに力のある者でも振りほどくことは出来ない。要するに大島クルウは、チルーの望みを諦めさせようとしていたのだ。

(うーん、どうしよう・・そうだ、よし)

 どうやっても腕を動かすことが出来ないことを悟ったチルーは、自らの腕に力を込めて固定したまま一度深く腰を落とし、そして立ち上がった。

「ん・・なんじゃ・・」

 大島クルウはチルーの力を少々侮っていたことを知った。自分の両足が床に着いていないのだ。
 つまりチルーは両手首を掴ませたまま、大島クルウを身体ごと持ちあげたのである。

 与那嶺チルーには、かなり晩年になっても五斗俵(約75kg)を左手で目の高さまで吊り上げて、もう片方の手に持った箒でその下を掃除していた、という逸話が今日も沖縄に残っている。ならば若き日のチルーにとっては、痩せた老人を両手で持ちあげることなど容易かったであろう。

「えいっ」という声とともに、チルーは大島クルウを床に叩きつけようとした。
 怪力で床に叩きつけられては、無事では済まない。
 大島クルウは、空中でくるりと身を翻して足から床に着地した。

「おじさん、両手が離れましたよ」

 チルーが花がこぼれるような笑顔で言った。

「うむむ・・・しまった・・・」

 身の危険を感じて、思わず手を離してしまったのである。

「おじさん、わたし合格しましたよね」

 思惑と異なる結果であるが、約束したのは事実である。

「うむ。合格じゃ」

「やったー!」

 チルーは両手を挙げて喜ぶ。
 そのチルーに、大島クルウは厳しい口調で言った。

「トーデを教えるのにあたっては条件がいくつかある。よく聞きなさい」
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