第29話 言わなかった言葉

文字数 2,396文字

 賊に入られた隣家の住人は縄で縛られていたが、怪我もなく無事であった。
 マチューとチルーは賊を縛り上げて納屋に放り込む。

「奴らは明日にでも役人に引き渡そう。まあこれで二度と糸満マギーの村を襲おうとは思うまい」

 隣家の住人が盛んに礼を述べるのを適当に切り上げて、ふたりは家に戻った。

「なんだか眠気が吹っ飛んじまった。酒でも飲まねえか」

「そうですね。用意します」

 チルーが酒の用意をすると、マチューがそれをぐい呑みふたつに注いで、ひとつをチルーに手渡す。

「いただきます」

 今夜はチルーも酒で高ぶった神経をなだめたい気分だった。

「チルー、さっきの戦いは見事だったよ。武器を捨てたときは、おかしな武士の意地かと思ったが、まさかウェークをああいう風に使うとはな。自由な発想がまさに百姓手だった。よく短期間でここまで極めたものだ」

「ありがとうございます。それもマチューさんのご指導のおかげです」

「なに、俺は大したこと教えてねえさ。お前が自分で学んだんだ。賊のおかげで図らずも実戦訓練も終えることができた。さて、ここでお前に尋ねたい事がある」

 そう言うとマチューは、酒をひと息に飲み干した。空になったぐい呑みに、チルーが酒を注ぐ。

「尋ねたいことですか?」

「そうだ。お前はどうして松村宗棍と闘いたいんだ?」

(どうして?)

 それは以前、大島クルウにも尋ねられた事だ。

「うーん。私も考えてみたのですが、大した理由は無いんです。ただあの男、私に求婚しておいて他の求婚者が現れても平気な顔してるし、いつも気取った事ばかり言ってるし、戦わずして勝つみたいな姑息なことばかり考えているのもズルいし、にやけた顔も仕草もなにもかも見ていて腹が立つんです」

 マチューはチルーの話を聞きながら目を閉じて小さなため息をついた。チルーはそれに気づかず話し続ける。

「あいつは子供のころから姑息で年寄り臭かったから、タンメー(祖父)ってあだ名付けられていたんですよ。嫌な子供だったんでしょうね。でも師匠のトーデ佐久川からはかわいがられていたみたいで、一緒に北京に修行に行ったりもしたんですって。北京で亡くなった佐久川の遺骨を琉球に持って帰って来たのもあいつです。示現流の免許皆伝とかで、剣の腕も達つらしいです。あいつは強いことは強いですよ。本当は強いんだから最初から本気だせばいいのに、戦いでは絶対に相手に手加減するんですよ。まったく自惚れが強い嫌味な男ですよね」

「チルー、お前がそんなに饒舌になるのを初めて見たな」

「えっ?」

「まあいいチルー、すまんが台所に行って何かツマミになるものを探してきてくれないか」

「あ、はい。すぐに」

 チルーがあわてて立ち上がろうとした瞬間のことであった。
 マチューがチルーの足首を両手で掴み仰向けにひっくり返した。
 チルーの着物の裾が大きくめくれ上がり、白い太腿があらわになる。その膝を割るようにしてマチューの身体がのしかかってきた。

 チルーの目の前にマチューの日に焼けた武骨な顔があった。マチューは潮の香りがした。

「チルー・・最初に言ったはずだ。俺に隙を見せたら遠慮なく犯すからな。覚悟はいいか」

 その言葉を聞いたチルーは静かに目を閉じた。
 チルーの着物の胸元に、マチューの手がゆっくりと侵入する。

「・・いや・・」

 チルーが小さな声で言った。マチューの手が止まり、チルーの顔を覗き込む。
 そのとき、チルーの小さな愛らしい唇から霧状のものがマチューの顔に吹き付けられた。
 それはマチューの目にひどく沁みた。

 上体を起こしたマチューをチルーは両手で崩し体勢を入れ替える。
 今度はマチューに馬乗りになったチルーが、素早い突きをマチューの鼻先一寸で止めた。
 しばらくの時間、室内にはふたりの激しい息遣いだけが響いていた。
 やがて、マチューが口を開いた。

「俺を警戒して頬に酒を蓄えていたのか。見事だったぞ」

 マチューがそう言うと、チルーはマチューの身体から離れて床に座った。
 チルーはマチューに少しふくれ面を見せながら言った。

「知ってたくせに」

「・・・」

「さっきの本気じゃなかったでしょう。マチューさんも松村宗棍と一緒です。結局は手加減するんだから」

 マチューも床に身を起こした。

「ふふふ・・意外な共通点だったかな。これは俺の弱点だ。しかしチルー、修行は完成だ。お前は明日の朝ここを発て。そして松村宗棍を倒せ。お前は手加減するんじゃないぞ」

「はい」

 そして翌朝。マチューは漁に出ずにチルーを見送った。
 チルーは来た時と同じ、赤い異装である。

「そうだチルー。これを持って行ってくれ。俺が持っていても仕方ないからな」

 それはチルーの青い祭り装束の入った風呂敷包みだった。

「本当に色々とありがとうございました」

「うん、それでは達者でな。大島クルウにもよろしく伝えておいてくれ」

「あの、マチューさん・・・」

「なんだ」

 チルーは、この数日ずっと考えていたことを初めて言葉にした。

「私が松村宗棍を倒したら、そのときはまたここに戻ってきてもいいですか?」

「だめだ」

 マチューがきっぱりとそう言ったので、チルーは衝撃を受けた。チルーは少なくともマチューが自分に好意を持ってくれていると思っていたからだ。

「チルー、二度とここへは戻って来てはならん。お前はただ一心に松村宗棍を倒せばいい。そのときお前が本当になすべきことがわかるはずだ。さあ、行け。振り向かず行け」

 チルーは何か憑き物が落ちたようにさっぱりした顔をして、マチューに深々と頭を下げた。
 そして、元来た道を歩き始めた。その後ろ姿をマチューはいつまでも見ていた。チルーは一度も振り返らなかった。

 チルーの姿が見えなくなった時、マチューは口の中で言葉をつぶやいた。
 それはマチューが言わなかった言葉、永遠に葬り去った言葉であった。

「戻ってきてくれ、チルー。俺のところへ・・・」
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