第32話 必殺技コミュニケーション

文字数 2,392文字

 広場の中央に二人が着くと、見物人たちから大きな歓声が巻き起こった。

「今日は本当に人が多いね」
 辺りを見回してチルーが言う。

「そうだね。ああ真壁親方が来ている。兄弟子なんだよ。なんだかやりにくいなあ」
 松村宗棍が少し眉をひそめる、

「真壁チャーンね。前にお会いしたことがある。安里君も居るよ。兄弟子と弟子が見ているから、恥ずかしい試合はできないね」

 そう言いながらチルーは群衆の中にマチューの姿を探していた。

(やっぱり来てないか。この衣装で闘うところを見せたかったのにな)

「なんか君への声援が多いな」

 ・・・チルーがんばれ、そんな優男の嫁になんかなるなよ!

 ・・・宗棍を足腰立たなくなるまで叩きのめしてやれ!

 そんな男たちの声援が確かに多い。

「あんたへの黄色い声援もあるよ。ほらあそこの女子集団とか」

 ・・・宗棍様、勝たないで!

 ・・・宗棍様、そんな子を嫁取りしちゃだめ!

「結局みんな私が負けることを望んでいるみたいだけど」

「でもあんた意外とモテるんだね」

「どうだかね。じゃあそろそろやろうか」

「そうね、やろう」

 二人はお互い右手の拳を握り、手の甲を相手に向けて構えた。そしてお互いの手首を合わせる。

 掛け試しに審判などによる試合開始の合図はない。相撲のようにお互いの呼吸を合わせるか、声を掛け合ってスタートする。

 禁じ手などはない。金的攻撃や目突きですら正当な攻撃なのだ。
 勝負はどちらかが戦闘不能になるか、降参するまで続けられる。

 ここまでやれば当然だが死者がでることも珍しくはない。一説によると琉球ではハブに噛まれての死者より掛け試しの死者の方が多かったというほどだ。

 それほど熾烈な闘いを前にして、ふたりの男女の表情は、まるでこれから楽しくダンスでも踊るかのようであった。
 目が合うと、ふたりの顔には笑みすら浮かんだほどだ。

 しかし次の瞬間、先に仕掛けたのは松村宗棍の方であった。
 引っ掛けたチルーの右手を左手で制して、右裏拳を顔面に飛ばす。
 チルーはその宗棍の右拳を左掌で受け止めると、そのまま掴み取り引き込む。バランスを崩した宗棍の目に、チルーの右貫手が飛ぶ。宗棍はチルーの胸を左掌で突飛ばして、その貫手を外した。
 この間、わずか一秒にも満たない攻防である。

 ・・・なんだったんだ今のは?

 ・・・速すぎて見えなかった。

 見物人たちがざわついていた。

 ふたりは少し間合いを取って見合った。

「やっぱり凄いな、松村宗棍。いままでの相手とは桁違い」

 そう言ってチルーが楽しそうに微笑んだ。

「君こそ凄いよ。今の裏拳を外されたのも初めてだけど、さらに返し技を仕掛けてくるなんて驚きだよ」

「ありがとう。じゃあこれなんかどう?」

 言うと同時にチルーは宗棍の右膝を、右足底で内側から蹴飛ばす。宗棍は右足を外にずらしてかわすが、チルーの右足はそのままがら空きになった宗棍の股間に蹴り込まれた。

 その金的蹴りを宗棍は、正拳で突き下ろすように迎撃した。チルーの右の脛に激痛が走る。

(しまった、先に攻撃を貰っちゃった)

 チルーは慌てて飛び退いて間合いを取ろうとしたが、右足の激痛で踏ん張りが利かず、地面を転がってしまった。

 このダメージは軽くない。チルーは迂闊に仕掛けたことを後悔した。相手は松村宗棍なのだ。
 しかしそれでも、この程度の痛みがなんであろうか。チルーの祭りはまだ始まったばかりなのである。
 チルーは特殊な呼吸法で痛みを軽減しつつ立ち上がった。

 その瞬間を逃さず、松村宗棍の蹴りと突きの連続技がチルーを襲う。

(すごい!速い、強い。もう最高)

 チルーも決して防戦一方には回らない。ひとつひとつの攻撃に対して、必ず反撃の手を入れている。
 このように高度に凄まじい攻防を展開しながらも、ふたりの心を満たしているのは敵意でも殺意でも憎しみでもなかった。この感覚を当人たちも説明することはできないかもしれないが、これはお互いに相手を殺し得る攻撃を交感するという、究極のコミュニケーションなのだ。世界中のどれほど愛し合っている男女であっても、この瞬間のふたりほどにお互いを理解することは難しいであろう。

(楽しそうだね、松村宗棍。君子人の武術なんて言ってたけど、それが本当のあんただよ)

 触れれば致命傷の攻撃を、情け容赦なくチルーに叩き込もうとしている松村宗棍の口元には笑みがある。

(あたしも楽しいよ。とっても優しい気持ちであんたを殺せそうなほど)

 ふたりの攻防が突然、申し合わせたように止んだ。そして同時に構えを解いた。

「うふふふ・・・」

「あははは・・・」

 急に戦いを止めて笑い合うふたりに、見物人たちは意味が分からず唖然としていたが、当のふたりの意識の中にはもはや見物人も立会人も存在しなかった。

「ああ楽しかった。本当にあんたって最高だよ、松村宗棍」

「君も素敵だったよチルー。右の脛は痛まないかい?ひびを入れたはずだけど」

「戦っているうちに痛みが止まった。そっちこそ今の攻防で左脇腹を痛めたでしょ?」

「うん、アバラにひび入ったかな。このくらいはどうという事ないさ。それにしても、こんなに楽しい戦いは生まれて初めてだ」

「あたしも。もしかしてあたしたちって、すごく相性が良いのかもしれないね」

「今ごろ気づいたのかい?私は君を初めて見たときからそう感じていたさ」

「武太の鼻を折って耳を千切ろうとしていたとき?うふふ・・よく言うよ。あんたのそういう所が嫌い」

「あはは・・」

 笑い合うふたりは、またも申し合わせたかのようにお互い右手の拳を上げた。
 そしてその手首を触れ合わせる。

「いつまでも楽しく闘いたいところだけど、そういうわけにもいかないよね」

 チルーが言った。

「残念だけど、お祭りもいつかは終わらせなきゃ」

 宗棍が応える。

「じゃあ本気だすよ」

「どうぞ、全力でね」

 そう言うとふたりの顔から笑みが消えた。
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