第6話  鶴(チルー)の拳

文字数 1,645文字

「まず最初に儂からトーデを習うのであれば、我々は師弟の契りを結ぶことになる。これ以降は、お前を雇い主のお嬢さんとは見なさんぞ。あくまでも儂の弟子として扱う。それで構わんかね」

「はい、おじさん」

「これこれ、おじさんではない。儂はお前の先生じゃ」

 厳しいことを言うつもりでも、大島クルウの口調と表情はまるでかわいい孫に接するようであった。

「あ、はい。ごめんなさい、先生」

「うむ。儂は生涯只一人の弟子であるお前に、儂のトーデの全伝を授けるつもりじゃ。修行は厳しいが着いてこれるかね」

 チルーはにっこりと微笑んだ。

「もちろんですわ、おじ・・・先生」

「稽古は毎日朝夕欠かさず行う。日照りの日も嵐の日もじゃ」

「はい、先生」

「トーデの術の要諦は口伝(くでん)である。決して第三者に・・それがたとえ父親でも妹でも口外してはならんぞ」

「はい、先生」

 よしよし・・と大島クルウはここで一息置いてから話をつづけた。

「トーデの修行には体(たい)と用(よう)のふたつの稽古が必要じゃ。つまり素質あるものでもまず体力を練るのに三年、技を練るのに三年、合わせて六年の継続的修行を経て初めて奥義を得ることができる。しかしお前の場合、体の稽古は不要じゃろう。用の稽古を三年努めれば必ず奥義に達するじゃろう」

 三年・・・チルーにはとても長い年月のように思えた。

(でも幸い私はまだ若い。あの泊の武樽よりも強くなるのなら、三年くらいの修行に耐えて見せる)

「うん、弟子入りの条件はまあだいたいこんな所じゃ。では早速稽古に入るがいいかね」

 まさか今日すぐに稽古をつけてもらえるとはチルーも思っていなかったが、それは望むところであった。

「はい、先生。お願いします」

「儂のトーデは若い頃に福州(現在の中国福建省)で修行した白鶴拳という拳法じゃ。すなわちチルー(鶴)の拳、改めて思えばお前に伝えるにふさわしい拳法じゃな」

 自分と同じ名前のチルーの拳法。それはとても偶然とは思えなかった。

「白鶴拳には多くの種類があるが、最初に教えるのはセイサン(十三手)という拳法じゃ。これは子供をおぶった女が戦う拳法であるという言い伝えがある。幼少の頃より妹をおぶっていたお前なら、呑み込みが早いじゃろう」

 大島クルウもやはり、この不思議な符合に何か運命的なものを感じていた。

 このようにして与那嶺チルーは大島クルウの弟子となってトーデの修行を開始することになったのだが、その修行内容については今日詳らかではない。

 それは世界の空手史研究者を大いに悩ませている問題でもあるのだが、明治期以前の唐手 (カラテあるいはトーデ)には、当時物の文献が皆無に近いからである。

 なにしろ大正11年に書かれた史上初の唐手の技術書である富名腰(船越)義珍著『琉球拳法唐手』においてすでに、「唐手には文献が無いから昔の事はわからない」と書かれているほどだ。

 たとえば今日、空手の歴史としてよく知られている「度重なる禁武政策により武器を取り上げられた琉球の民が素手の武術である空手を密かに発達させた」といった話や「首里城を守護するための琉球固有の必殺の拳法・手(ティー)に、中国より伝来した拳法が融合したものが空手である」などと言った話は、歴史と呼ぶにはほあまりにも証拠が無い。多分に階級闘争史観のような政治思想や、あるいは「こうであったらいいな」という願望が生み出した神話のようなものである。

 このような状況ゆえに、本作のように古い唐手の姿を少しでも再現しようと試みるには、わずかばかりの文献・資料と、細かく散らばった口碑伝承の欠片を拾い集め、そこから想像力を働かせるより他に無いのである。

 さて歴史的に実在が確認されている琉球最初の唐手家は以前にも記したトーデ佐久川だ。
 その佐久川と彼の弟子が、今後の与那嶺チルーの運命に大きく関わってくる。それはいかにして?
 またチルーの師である大島クルウとは、そもそも何者であるのか?
 
 それらの謎が明かされるのは、もう少し先の事となりそうだ。

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