第31話 チルーの祭り

文字数 2,065文字

 その日、ウガンジュの広場には、いつもにも増して大勢の見物人が集まっていた。
 あの具志堅親方と二人の家来を殺した悪鬼のごとく凶暴で強かった武樽を、それぞれ打ち負かしたふたりが遂に対決するのである。これを見逃すわけにはいかないといったところであろう。

 沖縄空手史を調べるとすぐに気づくことなのだが、名人・達人と呼ばれる武術家が、未熟な挑戦者や暴漢などを一方的に打ち負かした話はそこそこあるのだが、互角の腕前を持つ武術家どうしがしのぎを削るような闘いをしたという例は、驚くほど少ない。

 つまりこの与那嶺チルーと松村宗棍の対決のように、まさに琉球最強を決する頂上対決というのは、歴史的にも稀有な出来事だったのだ。

「お父様、試合前にお話したいことがあります」

 チルーは改まって言った。

「なんだね」

「今日の試合に、勝っても負けても、掛け試しはこれを最後にいたします」

「ふむ。では今日の試合に勝った場合、お前の縁談はどうするのだ」

「それももう終わりです。私は生涯夫を持ちません」

「なに?チルーそれはいかん。儂はお前に幸せになってもらいたいのだ」

「身分の高い家に嫁に行くことが必ずしも幸せとは限らないと思います」

「しかし・・」

 このことについてこれ以上父と話し合うつもりはない。父も言い出したら聞かない娘であることは知っているであろう。

(あたしは漁師の女房にもなれなかった女なんだから、お嫁に行くなんて無理)

「チルー、調子はどうじゃ」

 気まずいムードを察した大島クルウが空気を換えようと声を掛けてきた。

「はい、いつでも闘える準備は出来ています」

「ふむ、そうか。糸満での修行の成果か、いい顔しとるよ。精一杯がんばれ」

 大島クルウの激励の言葉も、妹のカミーにとっては不服そうである。

「おねえちゃん、どうしても松村様と闘わなければいけないの」

 カミーがこのような人の多いところに出てくるのは、以前ではあり得なかった。
 松村宗棍が家に訪ねて来るようになってから、明らかにカミーは変わったのだ。もちろん良い意味でである。
 その点に関しては松村宗棍に感謝もしている。

「私、おねえちゃんと松村様はお似合いだと思うよ。もう闘わなくてもいいんじゃないかしら」

 しかし、それとこれは別の話なのだ。

「カミー、松村宗棍はね、あたしの心に刺さった(とげ)みたいな存在なの。抜かないといつまでもしくしくと痛むんだよ。だから今日あの男を倒す。わかって」

「おねえちゃん、それは刺なんかじゃない。きっともっと大切なもの」

 カミーはそれが何であるかをチルーに説明したかった。しかしカミーにも言葉で説明できるほど理解できていたわけではないのだ。

「わかってる。きっとカミーの言うのが正しい。でもどっちにしても今日ですべてが終わりよ。結局、松村宗棍もあたしも、拳でしか本当の言葉を語りあえない。そういう風に生まれついてるんだろうね」

・・・松村宗棍が来たぞ!

 見物人の人混みが割れて道が出来た。その道を松村宗棍が颯爽と歩いて広場に入って来た。
 士族の身分にふさわしい琉装(ウチナースガイ)の礼服に身を包んでいる。
 広場に入ってすぐに、チルーとその父のもとに行き、深々と頭を下げる。
 そして顔を上げると、爽やかな笑顔でこう言った。

「本日は絶好の嫁取り日よりですね。チルーさんをお嫁にいただきに参りました」

「松村様、本当にそうなってくれたらいいのですが・・」

 チルーの父はつい本音が出てしまった。
 しかし当のチルーは、そんな言葉はどこ吹く風である。
 口元に笑みを浮かべて、上目遣いで松村宗棍の顔を下から覗き込むようにして言った。

「松村宗棍、覚悟は出来てる?中途半端な気持ちならこのままお帰りなさい。やるなら殺す気でやるのよ。あたしはそうするから」

「チルー、なかなか機嫌が良さそうだな」

「そうね、かなり機嫌はいいよ。うふふ・・今ならあんたをあまり苦しめずに殺せそう。ああ、礼服を着て来てくれてありがとう。よくわかってるね、今日はあたしの門出の日だから」

「君のその服もよく似合っているよ」

 チルーは珍しく紅型(びんがた)の鮮やかな花模様の着物を着ていた。機能重視なデザインはいつものごとくではあったが。

「ありがとう。そうだ、今日はこれだけじゃないんだよ、見て」

 チルーは手に持った風呂敷包みを開くと、中から海のように青い衣装を取り出した。
 それを大きく翻すようにして羽織ると、背中一面に大きな鶴の絵模様があった。

 見物客からもどよめきが起こるほど、その衣装を着たチルーの姿は神々しいばかりの美しさであった。
 松村宗棍も思わず息を飲んだ。

「チルー・・とても綺麗だ」

「ありがとう。これは祭り装束よ。そうね、今日は私の晴れの日、私のお祭りなの」

「お祭りか。今日、君は三度も私にありがとうを言ったよ。私も礼を言おう、この素晴らしい機会を与えてくれてありがとう」

「どういたしまして。じゃあ、日が暮れないうちにそろそろ始めましょうか」

「そうしよう」

 二人はまるでデート中のカップルのように仲良く並んで広場の中央に歩いて行った。
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