第34話 許されざる者

文字数 3,721文字

 松村宗棍が受けたダメージは大きい。そのことは当の宗棍自身が誰よりもわかっていた。最早、長時間戦えるだけの余力は残っていない。一撃にすべてを賭けるしか無いのである。

 一方のチルーも宗棍が一撃を狙ってくることはわかっている。そしてそれにつき合う気は毛頭無いのだ。

(松村宗棍。あたしがあんたを許さないと言ったことを憶えている?あんたはあたしの敵討ちを二度も邪魔してくれた。武樽を真剣勝負の名誉の中で殺さず恥をかかせた。そして大島クルウ先生にも恥をかかせたよね。今こそその報いを受けるときなの。いくよ)

 チルーは両手の手刀で激しい連続攻撃を仕掛けた。それは一撃必殺を狙う松村宗棍とは真逆で、一打ごとの威力は軽くとも、倒れるまで打ち続ける多撃必殺の技なのだ。

 片腕を折られている松村宗棍にとって、この攻撃を凌ぐのは容易な事ではなくなっていた。
 本来なら攻撃に集中したい左腕を、防戦に回さなければならない。

 傍目にも松村宗棍は押されていた。
 苦し紛れのように宗棍は左手で、チルーの左腕を掴んだ。

(自分で自分の腕を封じてどうするつもり?)

 チルーは宗棍の左肩を右手て掴んだ。
 これは武樽が得意とした「熊の手」である。チルーの指先が宗棍の肩の筋肉にずぶずぶと食い込む。

「ぐああっ」

 宗棍が激痛に叫び声を上げる。チルーが熊の手を引き抜くと、宗棍の肩口から血が滴り落ちた。

「これは武樽の分よ、松村宗棍。でも肉千切りはあたしにはまだ無理だったみたい。助かったね。でもその左腕も使い物になるかしら」

 宗棍は両腕をだらりと下げたまま、肩で息をしている。

 その様子を眺めながらチルーは両拳を人差し指の一本拳(コーサー)に握り直した。
 左拳を左脇腹に引き寄せ、右拳をその上に重ねる。

「これは大島クルウ先生とあたしの分。終わらせるよ、松村宗棍」

 チルーの両拳が、楕円軌道を描いて松村宗棍の顔面に飛んだ。
 その時、チルーは自分の誤算に気付いた。
 頭が痛くなるような空気を切る音が耳を(つんざ)く。

 松村宗棍は、右腕を失った時点でこの瞬間に賭けていたのだ。

 チルーの一本拳が松村宗棍のコメカミと顎の急所に食い込むと同時に、左の高速の手刀内打ちがチルーの首筋を捕らえた。

 虎の手の直撃を受けた松村宗棍の身体は空中に跳ね上がり、チルーから向かって右回りに大きく回転して地面に落ちた。
 一方のチルーは朽ち木が倒れるように、真っ直ぐ仰向けに倒れた。

 チルーは暗闇の中に居た。光も音も無い世界だ。

(松村宗棍を殺した。あたしが殺した。あたしは今どこに?あたしも死んだ?ここは地獄?)

 自分が立っているのか寝ているのかもわからない。上も下もわからない。

(ここが地獄なら松村宗棍はどこに?どうして?ひとりにしないで・・)

・・・チルー・・チルー・・

(誰?松村宗棍?)

 チルーは額に何か冷たい物を感じた。

「チルー、気が付いたか?」

 ぼんやりと闇が晴れると、チルーは仰向けになって地面に寝ていた。額に濡れた手ぬぐいが当てられている。
 その顔を心配そうに覗き込んでいるのは父とカミーと大島クルウだ。

 チルーは突然上体を起こした。

「チルー、無理をするでない」

「お父様、松村宗棍はどこに?」

 叫ぶチルーの問いに父は目を閉じて顔をそむけた。代わりに大島クルウが答える。

「虎の手をまともに受けたからのう・・あれではさすがの松村宗棍もひとたまりもないわ」

 チルーが目を横に向けると、そこには見覚えのある琉装の礼服を着た男が仰向けに寝かされていた。
 その傍らでは真壁チャーンと、安里が顔を伏せて座り込んでいる。

「呼吸が無いので、活を入れたがダメじゃった。が、しかし、正当な勝負の結果じゃ。宗棍にも恨みは残るまい」

「先生、あたしが・・・あたしが松村宗棍を殺した?あはは・・本当に殺しちゃったの・・」

 チルーの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
 この喪失感は何なのだ。まるで体の半分を失ったような、いやそれ以上であった。
 こうなることはわかっていたはずなのに、どうしてあんな技を出したのだ?殺意?確かに殺意はあった。
 でも、殺した後どうなるかまでは考えていなかった。いや、考えようともしなかった。

(私は、私の魂の分身を殺した・・なのにどうして私は生きているのか。どうやって生きていけるというのか)



「あのう、すみません!」そのとき、ひとりの男が宗棍の胸に耳を当てながら大声を出した。

「この人まだ死んでません!私、医者です。蘇生させますから皆さん手伝ってください」

(松村宗棍が生きてる?)

 チルーも、大島クルウも、慌てて松村宗棍に駆け寄った。

「呼吸は止まっていますが、心の臓には弱いが鼓動があります。首の下の方をこう持って、鼻をつまんで口から息を吹き込んでください。胸が膨らむまで吹いて口を離す。これを繰り返して」

「あたしがやる!」

 チルーが松村宗棍の口に自分の口を合わせて息を吹き込んだ。今でいうマウス・トゥ・マウスの人口呼吸法である。
 現代ならば、これに合わせて心臓マッサージを行うところだが、心臓マッサージの手技が開発されたのはこの時代よりもずいぶん後のことなのだ。

 なので医者は鍼(はり)を使った。足の裏数か所のツボに鍼を打つ。
 チルーが何回目かの人口呼吸をして口を離したとき、松村宗棍がこほっと咳き込むような息をした。

「おっ、息をふきかえした。意識はあるか?」

 医者が尋ねる。

「松村宗棍、あたしがわかる?」

 チルーがそう言うと、松村宗棍の目が薄っすらと開いた。

「・・・チルー・・?ああ、チルーだ。ここは?・・そうか、掛け試しやってたんだな」

 松村宗棍は自力で数回、大きく呼吸をした。カラテの呼吸法だ。そしてチルーに言った。

「ああ、ずいぶんと意識がはっきりしてきた。チルー、相変わらずきれいだな。でもどうして泣いている」

「泣いてる?泣いてなんかないよ。いいえ、泣いたよ。ほんとうに死んだかと思ったよ。先生?」

「あ、はい」

 突然声を掛けられた医者が返事をした。

「先生、ありがとうございます。先生は名医です。感謝します」

「あ、いえいえ。患者さんの体力が常人じゃなかったからですよ。後は腕に添え木をします。そして鶏鳴散(打撲の薬)を毎朝、鶏の鳴く頃に飲ませれば、ひと月ほどで回復するでしょう」

 医者はそう言いながら、この泣きながら礼を述べている天女のような美少女が、先ほど阿修羅の如し闘いでこの男性を殺しかけていた女武士と同一人物であるのが信じられない思いであった。

「しかしそれにしても全力の虎の手をモロに食らって生還するとは・・そうか、虎の手を食らったとき、わざと派手に吹っ飛んで威力を減殺しておったのじゃな。恐るべしじゃ松村宗棍」

 大島クルウは盛んに感心している。

「チルー、チルー」

 医者に添え木を当てられながら、松村宗棍はチルーを呼んだ。

「なに、松村宗棍」

「ぼろぼろにやられちゃったよ。私の完敗だったな、今日の勝負は」

「嘘つき」

 チルーはふくれ面でそう言った。

「えっ?」

「だって手加減したでしょ。一撃必殺の松村宗棍の手刀をまともに食らって、あたしが怪我も無く生きているのがおかしいじゃない。本気ならあたしが死んで、生き延びたあんたの勝ちだったよ」

(武樽も、マチューさんも、松村宗棍も、琉球の男たちはいつも肝心なところで引いてしまう、心優しき臆病者だ)

「あんたはまた台無しにした。今日のはあたしの最後の掛け試し、最後の祭りだったんだよ。もう一生許さない」

「・・面目ない」

「だからさ・・・」

 チルーはその白く滑らかな頬を真っ赤に染めて言った。

「だからあんたの求婚を受けるよ。手加減は認めないからあんたの勝ちだ。これで嫁取り成立だよ松村宗棍」

「ええっ?本当に」

「えっ?本当にって松村宗棍、まさか求婚は冗談だったとか言うんじゃないよね?」

「違う違う、断じて冗談なんかじゃない。こんな格好で言うことじゃないけど、私の妻になってください」

 チルーは再び涙をぼろぼろこぼした。そして消え入るような声で言った。

「はい・・こちらこそお願いします」

 傍らでそのやり取りを聞いていた大島クルウとカミーとチルーの父が唖然としていた。
 真壁チャーンと安里も、呆れたような表情をしている。
 かろうじて気を取り直した、チルーの父が高らかに宣言した。

「ええ、こほん。お集りの皆様、ご覧のとおり私の娘のチルーは松村親雲上宗棍様のもとに嫁ぐ事に相成りました。従いましてこれにて嫁取り掛け試しは終了でございます」

 それを聞いた見物の群衆が騒然となった。

・・・ええっ!?

・・・ちょっと待て、さっきまで血を流して殺し合いしていたふたりが夫婦になるってことか?

・・・おいおい、いくらなんでもそりゃ嘘だろう?

 嘘ではない。史実なのである。

 本当に与那嶺チルーは松村宗棍の妻になった。
 決闘の果てに結婚というおそらく世界でも類を見ない奇妙な夫婦は、確かに19世紀初頭の琉球で誕生したのである。

 さて、これにてこのお話はお仕舞いです。
 ここで頁を閉じていただいても結構ですが、次回すこしばかり余談を書いて、最終回としたいと思います。
 今しばらくのお付き合いをお願いいたします。
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