第1話 剛力美少女・チルーのこと

文字数 2,137文字

 これからお話するのは、日本では幕末期にあたる19世紀初頭、琉球王国(現在の沖縄県)に実在した、類稀(たぐいまれ)なる美少女・与那嶺(ヨナミネ)チルーの物語である。

 その男なら誰でもひと目で虜になってしまう魅力的な容姿は、平民の娘でありながら士族や王族の男たちからの求婚が殺到したことからも、どれほどのものであったかが想像できるであろう。

 しかし彼女の伝説が今日まで残っているのは、ただ超絶美少女だったからではない。
 当時の琉球王国において、無双の強さを持つ武術の使い手だったからである。

 現代の格闘ゲームやファンタジー、アクション映画などの世界ではよく、男の武術家や格闘家がまるで歯が立たない女子武術家が登場する。彼女たちは皆美しい顔だちで、スタイルもよく、それでいて襲い来る男たちを簡単になぎ倒せるほど強い。

 しかし、それらはあくまでもファンタジーであり架空のお話なのだ。
 現実の武術・格闘技の世界において、仮に女子格闘技の世界チャンピオンが男子のジュニアチャンピオンや、日本ランカークラスと本気で戦ったとしたら、あっという間に勝負がついてしまうだろう。もちろん男子の圧勝である。
 それほどに、持って生まれた男女の筋力の差は大きいのだ。

 つまりゲームや映画のような美少女武術家は現実には存在し得ないのである。

 少なくとも現代においては。

 しかし、長い人類の歴史においては、屈強の男を凌ぐ信じられないほど高い戦闘力を持つ美しき女闘士が存在したという記録が、ごく稀にではあるが残っている。

 この物語の主人公である与那嶺チルーはその稀な女性のひとりかもしれない。
 彼女の名前は不思議なことに日本ではあまり知られていないが、海外の空手愛好家や武道家、武道研究者の間では史上初の女性空手家(※)、そして史上最強の女性武術家として広く知られている。

 チルーは現在の那覇市にある与那原(ヨナバル)の村で、芭蕉布やミンサー織りといった、高価な織物を扱うそれなりに裕福な商人の家に生まれた。母親は三歳下の妹・カミーを産み落とすとすぐに亡くなってしまったため、チルーは三歳にして赤子を背負いながら家事をしていた。
 もちろん使用人を雇えないような家ではない。チルーは好んでそのようにしていたのである。

 妹のカミーは姉とは違い、少々身体が虚弱であったため、チルーはカミーが5歳になるころまでいつもおぶって歩いていた。そのため足腰が自然に鍛えられたのか、チルーが8歳になるころにはカミーを背負ったままで村の家屋の塀をひらりと飛び越えるほどになっていた。また、このころには腕力も恐ろしく強くなり、大人の男衆の力比べに混じって、誰も持ちあげることのできなかった力石を軽々と持ちあげて見せたことがある。もちろん、カミーを背負ったままでだ。

 10歳になるころには手組(てぐみ)(琉球固有のレスリングの一種。沖縄相撲の原型)において、大の男でもチルーに敵う者は居なくなっていた。

「やはり男手ひとつで育てたせいであろうか、チルーはまるで男のように育ってしまった。このままではチルーには嫁の貰い手がおらんようになってしまう」

 これがチルーの父親の悩みの種であった。出入りの御用聞きにまで愚痴をいうほどに。

「旦那さん、心配は要りませんよ。チルーちゃんもカミーちゃんも近隣の村々でも噂されるほどの器量よしじゃありませんか。嫁の貰い手など履いて捨てるほど現れますよ」

 確かに御用聞きの男の言う通り、チルーとカミーの姉妹は誰もが目を奪われるほどに美しい顔立ちをしていた。
 
 そもそも琉球の娘には美形が多いが、その中にあっても群を抜く美しさだった。
 現在でも芸能界には沖縄出身のアイドルや女優は多数居る。読者諸氏はその中から適当に好みの顔だちを当てはめてご想像いだだきたい。つまりアイドルや女優級に美しかったのである。

「カミーについては心配しておらんのだ。あれは姉と違って大人しいからな。しかしチルーは、手組に興じるは、男衆と喧嘩はするはで手が付けられん。なんとか早く嫁に出して落ち着かせたいものだ」

 チルーが15歳になるころには父親は多額の持参金を用意して、チルーを嫁に出そうと試みた。
 しかし、求められるのはまだ12歳になったばかりのカミーのほうばかりで、チルーをうちの嫁にというような縁談はまったく来なかった。チルーもチルーである。

「お父様、私がお嫁に行くのなら、私より強い男でなければ話になりません。どこかに手組で私を負かすような殿方が居れば、喜んで嫁がせていただきます」

 チルーの言葉を聞いた父親は深くため息をついて、持参金を倍額に増やそうかと思案した。

 そんなチルーの運命が大きく変わったのは、彼女が15歳になった年の初夏のことであった。


※脚注
空手は沖縄発祥の拳法であるが、この時代にはまだ空手という名称はもちろん、この拳法を差す定まった名称は存在しなかった。修行者それぞれが技とか武術を意味する「手(ティー)」、中国(唐)より伝来した武術なので「唐手(トーデ)」、また手で突くという意味の「テージグン」、「テーグワー(手小)」あるいは「組合術」などと称していたのである。「空手」という名称が正式に採用されるようになったのは、実に昭和11年のことである。
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