第12話 縁談

文字数 2,938文字

 夜遅くに与那嶺チルーが家に戻ると、父親が待ち構えていた。

「チルー、話がある。いや、お前の夜歩きについての小言ではない」

 チルーの夜歩き癖は沖縄では今日まで語り継がれているほど有名で、街灯などが無い時代にチルーは平気で夜道をひとり歩きしていた。夜歩きしはじめた15~16歳ごろにはひどく心配して時には説教したりもしていた父だが、18歳にもなるころにはすっかり諦めていた。普通の娘ならとても危険な事ではあるが、このころのチルーの武力の強さならば万一のこともあるまいというのもある。

「実は喜べ、お前に縁談が来ているのだ。それも三人もの武士からだ」

(縁談?また面倒な事を・・・)
 男嫌いのチルーには、とても喜ぶ気にはなれない話である。

 縁談にちなんで、ここで少し琉球王国の身分制度について説明しようと思う。
 琉球の身分は大きく分けると王族、武士(士族)、百姓(平民)という三つの階級があり、それぞれがさらに細かい位階に分けられる。百姓という身分は農民のみを差すのではなく、王族と士族を除く商人や工業従事者、漁師、その他すべての平民を差す。王族と士族は家系図を持つが、百姓にそれは無い。

 与那嶺の家は商家であるので百姓の身分である。
 しかし、チルーの父親は地頭代という村長のような役職を与えられていたので、本来ならば中級武士の位階である『親雲上』を名乗ることを許されていた。そのためチルーの父親は、できることならふたりの娘を百姓の家ではなく由緒正しい家系図を持つ、武士の家に嫁がせたいと考えていたのである。

「お前をぜひ嫁にと求めているのは、長浜親雲上、金城親雲上、照屋親雲上の三方だ。お前も知っておろうが、彼らはいずれ劣らぬ名家の武士で、しかもトーデの達人として琉球中に鳴り響いておる剛の者ばかりだ。自分より強い男でなければ嫁に行かぬと言っておったお前にとっても、彼らなら不足ではあるまい」

 以前は多額の持参金を付けても縁談の来なかったチルーに、なぜこのような身分の高い者たちからの縁談が来るようになったのかというと、チルーの類稀なる美貌と共に、そのトーデの強さが広く知られるようになったからである。
 チルーの評判を聞いた若い武士のうちトーデの腕前に自信ある者たちは、嫁に行くなら自分より強い男にというチルーの条件にプライドが大いに刺激された。彼らはそれぞれが自分こそは最強の武術家であると自負していたからである。つまり若い武士の間ではチルーを妻に娶る者こそは、琉球最強の武士であると考えられていたのだ。

 かつてはチルーの剛力に頭を痛めていた父にとっても、これは願ってもない展開であった。
 なぜならば、トーデは上流階級の武術であり、トーデの達人といわれるものはすべからく身分が高いからである。
 しかし父の思惑に反してチルーは素っ気なくこう言った。

「いいえお父様。いくらトーデの達人と評判の殿方でも、実際に手を合わせてみなければ腕前はわかりません」

「なんとチルー、求婚者とトーデの腕を戦わせたいというのか」

「はい、お父様。まず私と掛け試しをしていただきます。私を打ち負かすような強いお方であれば、チルーも喜んでお嫁に行きたく思います」

「掛け試し・・・うーむ。前代未聞な条件だが、確かにそれならば白黒はっきりするかもしれんな。いいだろう、それぞれの先方に掛け合ってみよう」

 トーデの達人として名のある武士ならば、お転婆娘のチルーを大人しくさせることが出来るだろう、というのが父の腹積もりであった。

「お願いいたします。ところでカミーはどうですか」

「もう休んでいるが相変わらずだ。姉は夜歩きするが妹は日中ですら外に出たがらない。困ったものだ」

 妹のカミーの男性恐怖症は今も続いている。三年前、あの武樽、武太の兄弟より受けたトラウマのせいである。
 あの日のトラウマはカミーだけではなくチルーにもある。あの日以来、チルーにとって男とは嫌悪の対象でしかない。カミーのように恐怖に怯えることはなくなったが、憎悪の感情は激しい。

(縁談なんて冗談じゃない。男なんて欲望を暴力で満たすことしか考えていないケダモノだ。どうして一緒に暮らせるものか。私やカミーに近づこうとする男は、誰であろうと私の拳で打ちのめしてやる)

 チルーの男嫌いの感情は、実は父親に対しても向いている。
 母の死後、後添えを取らなかった癖に外に何人も女を囲っていることをチルーは知っていた。
 男とはつまりそういうものである。そんな父が、自分やカミーを身分の高い男に、まるで貢物のように差し出そうとしている事に密かに腹を立てていた。

 翌朝。
 まだ外が暗いうちに起床したチルーは、すぐに稽古用の服を着た。

「おねえちゃん、今からお稽古?」

 声のする方を見ると、寝巻のままのカミーが布団から上体を起こしていた。
 十五歳になったカミーはしかし、まるで成長を拒むかのように幼く見えた。

「カミー、起こしちゃった?ごめんね」

「ううん、いいの。でも本当におねえちゃんはすごいね。これでもう三年、本当に日照りの日も嵐の日も一日も休まずにお稽古に通っている。私はおねえちゃんの強さがうらやましい」

「強くなんかないよ。私はまだ大島クルウ先生には及ばない。でも、あと少しで追いつけると思う。じゃあ行くね」

 考えてみればチルーが嫌悪感を抱かない男はひとり、大島クルウだけである。
 大島クルウはトーデの師であり、ある意味父親以上に父のような存在であった。
 その父であり師である大島クルウを乗り越えるのが、チルーの目下の課題なのだ。

 芭蕉園の小屋の中と、人目に付きにくい芭蕉の森の中が大島クルウとチルーの稽古場である。

 トーデ(唐手=カラテ)の稽古は人目に触れぬよう、密かに行うのが明治期ごろまでの習わしであった。
 大島クルウに限らず唐手は一対一で個人教授するのが普通であり、現在も残る空手の形も、当時は師から弟子へ密かに伝授された秘伝だったのである。

 稽古後には粥を炊き、師匠の朝食を用意した。
 配膳を終えると、チルーは大島クルウに言った。

「先生、私は今から、泊に出向こうと思っています」

 大島クルウは鋭い目でチルーの顔を見た。

「泊とな?さてはいよいよ復讐を始めようという事か」

「はい先生。あの憎いならず者兄弟は、泊の宗久親雲上の倅です」

「宗久?名家じゃな。もしもお前がその家の倅を殺めるようなことがあれば、ただでは済まんぞ」

「もとより覚悟しています」

「復讐は何も生まんぞ。あの兄弟もあれ以降は大人しくしているようじゃ。忘れるわけにはいかんか」

(忘れる・・?先生はやはり男だからそんなことを言うのだ。女はあのような出来事を一生忘れることはない)

 それにカミーはもう一生、男と話すどころか姿を直視する事すらできないかもしれないのだ。こんな目に合わせたあの兄弟を赦すことなどできるわけがない。

「こればかりは先生のお言葉でも従うわけにはまいりません」

「そうか」と、大島クルウはため息交じりに言った。

「くれぐれも無茶をするではないぞ。助けが必要な場合は儂を呼べ。いいな」

「はい、先生」

 そうは言ったが、チルーはこの復讐だけは何者の手も借りず、一人で成し遂げるつもりであった。
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