第28話 深夜の出来事

文字数 3,037文字

 松村宗棍は最近弟子に取った安里(あざと)と共に首里に在る自宅の庭に穴を掘っていた。

 後には多くの弟子を著名な名人・達人に育て上げ、現代まで続く空手の礎を作った松村宗棍であったが、この頃はまだ積極的に弟子を取っていたわけではない。ただ、安里の天性の敏捷闊達な身のこなしが気に入り、自分の稽古相手として通わせていたに過ぎなかった。

「よーし、深さはこんなものでいいだろう。安里君、柱を持って来てくれたまえ」

 安里は木でできた、六尺ほどの長さの柱を二本用意した。ふたりはその柱を二尺ばかり地面の穴に入れて土で埋める。そしてこの柱に束ねた藁を荒縄でぐるぐると縛り上げた物を取り付けた。

「安里君、これが巻藁(マキワラ)だ。君は技は素早くて結構だが、当て力が足りない。今日から毎日、この巻藁を左右二百回づつ突きたまえ。百日後には牛のごとき巨漢でも、一撃で倒す武力(ぶぢから)が得られるだろう」

「はい、先生」

 空手の代表的な鍛錬具として知られる立て巻藁であるが、一説では松村宗棍が発案者であると言われている。
 彼が習得した示現流剣術の立ち木打ちからヒントを得たらしい。そしてこれこそが彼のカラテの根本思想である『一撃必殺』を可能にするための鍛錬具なのである。

 松村宗棍は、手本を示すように自ら新調した巻藁を突き始めた。
 ガツン、ガツン、と音を立てて拳が巻藁に激突すると、巻藁を括りつけている柱が大きくしなった。

 以前の松村なら、この巻藁に向かって突きを放つときには無念無想の境地に至ることができた。
 しかし、今はどうだ。松村の脳裏にはチルーの面影が浮かんで消えることが無い。
 チルーの姿が与那原から消えて、かれこれもう十日ほどにもなる。

(まったくチルーはどこで何をしているのだ。仮にも私は求婚者なんだから、行き先くらい知らせてくれても良いだろう。ああ腹が立つ。なんで私がお転婆娘の心配をしなきゃいけないんだ)

「先生、先生、血が・・」

 安里の声で我に帰る。巻藁を突く拳が破れて血だらけになっていた。

(ああ、ほんとうにもう。いったいチルーはどこで何をしているのか)


 その頃チルーは、糸満の漁村で漁師マチューの女房(?)として、すっかり村に溶け込んでいた。
 井戸の周りでの水仕事の合間には、村の流行り唄や、この地特有の舞いの手を先輩女房たちに教わったりもした。

「そうそうチルー、そこで手はこう。ああ、チルーはちょっと力強すぎるんだよ。もっとムチミ(餅のように柔らかい動き)になって」

「はい、こうですか?」

「そうそう、なかなか筋がいいよ。チルーは糸満一の器量よしなんだから、糸満一の踊り手にだってなれるさ。祭りの日には若い男衆が放っておかないよ。マチューがヤキモチ焼くだろうねえ。あはは、頑張って」

「はい、頑張ります」

 祭りはもちろん与那原にもあったが、母とは早くに死別し、父は商売に忙しかったため、一度も出かけたことが無かった。

(糸満の大綱引き、行ってみたいなあ。でも・・)

 そこで昨晩の夢を思い出した。大綱引きの日に、家の奥から出てきた祭り装束の男。

(松村宗棍。あの男を倒して決着付けないと、私にはその先の未来なんか無いって夢のお告げね)

 家に戻るとマチューが話しかけてきた。いつになくもじもじした様子である。

「チルー、あのな、実はちょっとこれ」

 なにやら畳んだ青い着物のようなものを、両手で大事そうに持っている。

「ええと、これ。ナビーさんにしつこく言われてな、作ったんだ。お前の祭り装束」

 そう言うと、恐る恐るといった手つきで、それをチルーに手渡した。

 チルーはかなり驚いて、受け取った衣装を両手で広げてみた。それは海のように青い半纏のような衣装で、背中一面に鶴の絵が染め抜かれている。

「きれい・・」

「そ、そうか。よかったら羽織ってみてくれ」

 羽織ってみると、誂えたように着心地がよい。広い七分袖は腕を動かしやすく、身体を旋回させると膝丈の裾が綺麗に広がる。

 そのチルーのあまりの美しい姿に、マチューはただ呆然となっていた。

「すごいです。こんな衣装、一度着てみたかった」

「そうか。気に入ったか?」
 
 チルーは心からの笑顔で応えた。

「うれしい。本当にうれしいです、マチューさん」

 マチューは満足感と安堵の入り雑じった表情だった。

 それからはいつものように晩御飯を一緒に食べて、交代でお風呂に入り就寝する。

 いつもと違っていたのはその後であった。

 夜中にに寝苦しさを感じて目が覚めた。

「マチューさん?」

 マチューがにおおい被さるようにして、チルーの口を手で塞いだ。

(マチューさん?ついに)

 ついにそのときが来たとチルーは思った。そしてそれは、ここ数日チルーも覚悟し始めていた事なのだ。

「チルー、静かに。泥棒だ」

(・・え?)

 マチューはチルーの口から手を離す。

「泥棒ですって?」

 チルーは辺りを見回すが、おかしな様子はない。第一、家に忍び込んでくるのに気づかないチルーではない。

「うちじゃない。隣だ」

 隣と言っても、ここは長屋ではない。一軒隣の家に忍び込む気配をマチューは察知したのか?

「静かに。ウェークを持っていくぞ。おそらく賊は4~5人は居る」

 物音を立てないよう注意しつつ、ウェークを持った二人は隣家の扉の前まで来た。
 マチューが声を潜めて指示を出す。

「俺はここで賊が出て来るのを待つ。チルー、お前は裏口に回って、そっちから逃げ出す奴を捕らえてくれ。賊は百姓手を使うかもしれんから、くれぐれも油断するな」

 チルーは静かに裏口に回って、息を殺して待機する。
 しばらくすると表の方から静寂を破る怒鳴り声が響き、やがて争う音に変わった。マチューが奮戦している様子だ。

 次に屋内を走る足音がこちらに近づいてくる。マチューの攻撃を逃れて、裏口から逃げようとする賊だろう。
 果たして裏木戸を蹴り破り、ふたりの賊が姿を現した。ひとりは大きな山刀を持っている。

「大人しくしなさい」

 そう言ったチルーの姿を見たふたりの賊は顔を見合わせた後、下品な笑顔でチルーを見た。
 立ち塞がったのが若い娘だったので、安心している様子だ。

「どきな、小娘。そのキレイな顔に傷つけるぜ」

 山刀をひらひらと体の前で振り回しながら脅し文句を言う男の股間を、チルーはウェークで跳ね上げるように打った。
 睾丸を潰された賊のひとりは、悶絶して崩れ落ちる。チルーは戦闘になると容赦なく残酷なのだ。

 その様子を見たもうひとりの賊は、素早く飛びのいて間合いを取る。
 ウェークの間合いを完全に外しているあたり、この男はかなり使えると思われる。

 男は懐に手を入れると、二本の木の棒を麻紐で結んだ物を取り出した。馬の口輪を武器化したヌンチャクである。
 男はそのヌンチャクを左右にこねくり回すように動かし続ける。初めて見る武器で、どこから攻撃してくるのかさっぱり掴めない。

「どうしたの?この櫂が怖くて掛かってこれないのかしら。じゃあ素手でやってあげる」

 そう言うとチルーはウェークを目の前にがらんと投げだした。

「ナメやがって小娘が」

 男はヌンチャクをはげしく振り回しながら飛び込んできた。そのタイミングに会わせて、足でウェークを跳ねあげる。
 ウェークに絡んでヌンチャクの動きが止まった瞬間、チルーのテージグン(正拳)が男の顔面にめり込んだ。

 顔の中心部が拳大に陥没した男は、仰向けにひっくり反った。

「見事だチルー」

 マチューの声だ。

「見事な百姓手だった。これ以上もう教えることはないな」
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