第3話 竹田製薬工業
文字数 1,525文字
用語 MR(医薬情報担当者)製薬会社の営業担当者
MS(医薬品卸販売担当者)医薬品卸販売会社の営業担当者
詳しい説明は、「主な登場人物」の用語解説に載せています。
MSについても、後の話に出てきますので先に載せました。
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祐真は無事、竹田製薬工業に就職した。
会社は、少数精鋭主義と言ってよかった。
不正に塗れた抗争派閥を排除し、新生竹田製薬工業となってまだ9年、人員は慢性的に不足していたが、会社は闇雲に人を採用することは無かったからだ。
そのため、必然的に少数精鋭主義にならざるを得なかったのだ。
祐真は、営業課に配属され、日々忙しく働き、MR認定資格も早々に取得すると、語学にも精力的に取り組んだ。
世界の製薬業は、米・ファイザー、スイス・ロシュ、スイス・ノバルティスと云った多くのメガファーマーと言われる海外の巨大製薬会社が席巻している。
日本の製薬会社は、竹田製薬工業をはじめ、大手の製薬会社でも世界と比較するとその存在感は薄い。
幾つかのM&A(企業の合併買収)もされたが、その主な目的は、外資の攻勢に対抗するためのものであった。
だが、世界では新たな製薬技術の開発など、その発展は目覚ましく、日本の製薬会社でも目を海外に向け、海外に打って出る再編や事業展開の必要性が、ようやく認識され始めた頃だった。
そのため、祐真は、語学にも力を入れ、やがて社内で語学マスターとまで言われるようになった。
勿論、その語学力は、ネイティブには遠く及ばないものの専門分野における会話には問題無いというレベルであった。
だが、彼の努力は、彼の人柄と相まって研究開発部門第一分野統括の高田裕次や人事部長である高田里帆の高い評価を得たのだった。
このため、祐真は二人から目を掛けられ、二人と仕事上の会話をする機会にも恵まれることとなった。
やがて、採用後3年目には、営業課から大幅な改編がなされた海外事業課への転属も決まったのだった。
高田裕次と高田里帆との会話で、祐真が竹田製薬工業に採用された経緯も知ることが出来た。
義叔父の敷島僚介と交際があった研究開発部門取締役兼部門長の近藤康平と云う人物は、名前を表には出さないようにしていたが、高田裕次や高田里帆たちが所属していた武闘派、そしてその前身からリーダーとして、幾多の敵対派閥との闘争を闘い抜いた人物であったことを知らされたのだった。
その近藤康平が、敷島僚介を信頼するに足る人物だと以前から評価していたこと。
祐真には一度会っただけだが、近藤には何か閃くものがあり、いずれ何らかの形で祐真と関わるのではないかと云う予感がしたということ。
その後も、敷島僚介から祐真のことを折に触れ聞くことがあり、その思いが強くなったこと。
また、祐真の人柄も申し分ないと考えるようになったこと。
面接の際には、森山副社長をはじめ第三者の目でしっかり判断してほしいと言われたこと。
これらのことがあり、面接官三人とも祐真との面接が楽しみだったこと。
面接の結果は、近藤の言うとおり納得のいくものであり、即採用が決まったと云う事だった。
さらに、高田夫妻や近藤はもちろん、会社は、採用後の祐真の働きや取り組みを高く評価しており、今後の本格的な海外への事業展開に祐真の力を貸してほしいとまで高田夫妻らに言われたのだった。
祐真の竹田製薬工業での活躍は正に順風満帆であったが、やがて、それが原因で祐真にとっての悲劇を招くことになったのだった。
MS(医薬品卸販売担当者)医薬品卸販売会社の営業担当者
詳しい説明は、「主な登場人物」の用語解説に載せています。
MSについても、後の話に出てきますので先に載せました。
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祐真は無事、竹田製薬工業に就職した。
会社は、少数精鋭主義と言ってよかった。
不正に塗れた抗争派閥を排除し、新生竹田製薬工業となってまだ9年、人員は慢性的に不足していたが、会社は闇雲に人を採用することは無かったからだ。
そのため、必然的に少数精鋭主義にならざるを得なかったのだ。
祐真は、営業課に配属され、日々忙しく働き、MR認定資格も早々に取得すると、語学にも精力的に取り組んだ。
世界の製薬業は、米・ファイザー、スイス・ロシュ、スイス・ノバルティスと云った多くのメガファーマーと言われる海外の巨大製薬会社が席巻している。
日本の製薬会社は、竹田製薬工業をはじめ、大手の製薬会社でも世界と比較するとその存在感は薄い。
幾つかのM&A(企業の合併買収)もされたが、その主な目的は、外資の攻勢に対抗するためのものであった。
だが、世界では新たな製薬技術の開発など、その発展は目覚ましく、日本の製薬会社でも目を海外に向け、海外に打って出る再編や事業展開の必要性が、ようやく認識され始めた頃だった。
そのため、祐真は、語学にも力を入れ、やがて社内で語学マスターとまで言われるようになった。
勿論、その語学力は、ネイティブには遠く及ばないものの専門分野における会話には問題無いというレベルであった。
だが、彼の努力は、彼の人柄と相まって研究開発部門第一分野統括の高田裕次や人事部長である高田里帆の高い評価を得たのだった。
このため、祐真は二人から目を掛けられ、二人と仕事上の会話をする機会にも恵まれることとなった。
やがて、採用後3年目には、営業課から大幅な改編がなされた海外事業課への転属も決まったのだった。
高田裕次と高田里帆との会話で、祐真が竹田製薬工業に採用された経緯も知ることが出来た。
義叔父の敷島僚介と交際があった研究開発部門取締役兼部門長の近藤康平と云う人物は、名前を表には出さないようにしていたが、高田裕次や高田里帆たちが所属していた武闘派、そしてその前身からリーダーとして、幾多の敵対派閥との闘争を闘い抜いた人物であったことを知らされたのだった。
その近藤康平が、敷島僚介を信頼するに足る人物だと以前から評価していたこと。
祐真には一度会っただけだが、近藤には何か閃くものがあり、いずれ何らかの形で祐真と関わるのではないかと云う予感がしたということ。
その後も、敷島僚介から祐真のことを折に触れ聞くことがあり、その思いが強くなったこと。
また、祐真の人柄も申し分ないと考えるようになったこと。
面接の際には、森山副社長をはじめ第三者の目でしっかり判断してほしいと言われたこと。
これらのことがあり、面接官三人とも祐真との面接が楽しみだったこと。
面接の結果は、近藤の言うとおり納得のいくものであり、即採用が決まったと云う事だった。
さらに、高田夫妻や近藤はもちろん、会社は、採用後の祐真の働きや取り組みを高く評価しており、今後の本格的な海外への事業展開に祐真の力を貸してほしいとまで高田夫妻らに言われたのだった。
祐真の竹田製薬工業での活躍は正に順風満帆であったが、やがて、それが原因で祐真にとっての悲劇を招くことになったのだった。