第8話  二つの提案

文字数 2,440文字

 夫の祐真からフランスへの赴任の話があって半年が経った頃、カーリー屋崎からある提案がなされた。
 カーリー屋崎の提案は、ヘストンホテルとのいけばな契約を真理に譲るというものだった。

 日本各地には重要文化財と云われる建物や建造物、建造物群またはそれらを含む地域が数多くある。
 近年、それらを生かした町おこしや村おこしが盛んになっているが、カーリー屋崎は、それらの総合的な花の装飾を依頼されることが度々あった。
 彼が、手掛けた花の装飾は、決して、いけばなだけを主張するのではなく、建物などの重要文化財の魅力を十分に引き出し、引き立てるものであった。
 それらは、いずれも反響が大きく、(すこぶ)る高い評価を得たのだった。
 
 最近では、海外の遺跡の装飾も依頼されるようになり、彼も対象ごとに常に挑戦を必要とするこの仕事に生きがいを感じ、いけばなの新境地を切り開きつつあった。
 彼は、この新たな分野に出来るだけ集中し、注力したいと考えていた。
 そのため、多忙すぎる彼は、抱えた多くの仕事を整理する必要に迫られていたのだ。
 だが、今までお世話になった顧客にいい加減な契約打ち切りは出来ない。
 相手も納得する形での整理が必要だった。

 その点、ヘストンホテルのいけばなについては、真理という人材がおり、実績も才能もこれほどの適任者はいないと考えられた。
 彼は、真理が独立して事業を継続することを望んだ。
 真理が承諾するなら、会社の設立や人材の確保に責任をもって協力すると約束した。
 いきなりの独立に不安があるなら、「カーリー フラワーオフィス」内のヘストンホテルいけばな事業を独立採算の事業部制とし、本部長として経験を積んでから完全に独立してもよいと云う全く信じられないような好条件まで提示されたのだった。

 カーリー屋崎にとって、ヘストンホテルのいけばな事業は、彼が成功した原点であり、今では、その規模も大きくなり、事業の継続には相当の人的物的資源と体制を必要とするものだった。
 そのため、決して、おろそかに出来るものではないが、真理はそれを託すに足る人材だと、彼は考えたのだ。

 真理にとってカーリー屋崎の提案は、晴天の霹靂であり、いけばなの仕事はどうしようもないほど好きだが、自分に会社を経営する才能などあるはずがないと、当初この提案を固辞した。
 だが、カーリー屋崎は、自分が本部長になるので、真理は本部長代理として、一度でいいから事業部制にした組織を試しに運用してみないか、責任をもってサポートするからと言われたため、二ヶ月だけの約束で引き受けたのだった。

 真理としては、お世話になったカーリー屋崎にこれ以上断るわけにはいかないが、二ヶ月だけ引き受け、その間に後任者を大急ぎで見つけるつもりだった。
 ところが、二ヶ月はあっという間であった。

 彼女が本部長代理となったヘストンホテル事業部には、ヘストンホテルいけばなスタッフの大半が、今までどおりヘストンホテルで働くことを希望した。
 ヘストンホテルいけばなスタッフの皆が、真理の才能や総監督としての器量や技量を認めており、真理を内心で師匠と仰ぐ者さえ多くいたのだ。

 内勤従事者についても、「カーリー フラワーオフィス」で内勤をしている新進気鋭の若手たちが新規事業部への異動を希望した。
 新規事業部への所属を希望した者の多くが、いけばなスタッフや内勤従事者を問わず、これから新しいいけばなを真理と作っていこうという希望に満ちていた。
 カーリー屋崎が、ヘストンホテルのいけばな事業を切っ掛けにして飛躍したように、彼ら、彼女らは真理の新しい感性で新しいいけばなを作っていこうという思いだったのだ。

 真理には理想的ともいえる環境であった。
 だが、将来の独立を見据えるとなると、すべき仕事は山積みであった。
 正式には本部長代理であるが、実質的には、正に社長と同じであった。
 いけばなの監督だけではない社長の仕事は、毎日雑用の塊ではないかと思うほどあった。
 だが、彼女はスタッフに恵まれ、彼女自身の努力もあって、それらを着実にこなしていくことが出来た。
 気が付けば、約束の二ヶ月は過ぎていた。
 そして、真理は、もはやいけばなから離れることは不可能だと悟った。

 真理が、会社経営という慣れない仕事に奮闘している時、カーリー屋崎が、真理にもう一つの提案をした。

 カーリー屋崎は、あるテレビ番組にレギュラーとして出演していた。
 番組は、今人気絶頂を誇るお笑い芸人コンビ、アップダウンの波間ちゃんがMCを務める「芸能人プレッシャー・アタック」略してプレアタと呼ばれる大人気番組だ。
 カーリー屋崎は、いけばな査定人として人気を博していた。
 ところが、彼はこれを降板し、後任に真理を推薦したのだった。

 真理は、会社のためには、一度は出演した方が良いと判断し、それを受けた。
 もし、失敗してもごめんなさいと謝って、後任には他の人を頼むつもりでカーリー屋崎にその同意をとったうえで出演することにした。

 収録は、12月に行われ、オンエアは正月元旦の特番で放映されるとのことだった。

 ----収録の日----

 収録は、無事に終わった。
 真理は、上りに上がってしまった。
 収録後、もう駄目だと観念して控室で落ち込んでいると、ドアをノックする音がし、歌舞伎役者の梅富こと梅田富三男が部屋に入ってきた。
 真理は、慌てて立ち上がると、

「先生、本日は誠に失礼しました! 先生にあんな物言いをしてしまって本当に申し訳ありません!」

 と、叫ぶように梅富に謝ったのだった。
 ところが、梅富は、

「何を言っているんだい、収録前にあんな風に言えといったのは俺じゃないか。とても良かったよ。視聴者は、ああいった掛け合いを喜ぶもんだよ。今日の視聴率は、きっと高いよ。これからもよろしく頼むね、真理ちゃん!」

 と、上機嫌で応えたのだった。
 真理は、その後、俳句査定人の夏井いつ子と並ぶプレアタの人気査定人となった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み