第10話  送別会

文字数 2,458文字

 祐真の送別会が開かれることになった。
 開催日は、退職の二日前だった。
 猛威を振るった武漢肺炎はようやく下火になっていた。
 だが、それは一時的なもので次の波が来ることは容易に予測が出来ていた。
 送別会をするなら今しかないのだ。
 送別会がなかなか出来なかったのは、武漢肺炎だけでなく祐真の事情もあった。
 祐真から後任者に引き継がなければいけない業務は、多岐にわたり、業務の量も多かったため、引継ぎの準備とやり残した仕事の処理に追われて、なかなか送別会が開催できなかったのだ。
 このままでは送別会も出来ないと、部下たちに半ば強制的に懇願され、祐真はこの日、自分の送別会に出席することになったのだった。

 祐真が課長を務める海外事業課は、社内でも力を入れている大所帯の部署であり、総勢40名だが、4月の人事異動直前のため、出張している者もいなかったので全員が集まった。
 その中に「志塚ゆかり」という女性がいた。
 30才となった祐真とは五つ年下で25才だ。
 すでに結婚しており、旦那さんは、建設会社に勤めていると聞いていた。
 祐真は、志塚という名字が珍しいのもあったが、特に印象が深い部下だった。

 ゆかりは、理知的な美人であったが、一歩引いたような奥ゆかしさがあり、人当たりも良く仕事もよく出来たので、祐真が信頼する部下の一人だった。
 送別会の席順は、祐真が中央に座り、周囲は自由に座るというものだった。
 祐真の隣には、彼女が座った。

 酒が進むと、祐真は、ゆかりの膝が祐真の足に接触しているのに気が付いた。
 少し、ずらして離れたのだが、しばらくすると、今度は、ゆかりの膝がぴたりと祐真に付けられていた。
 ゆかりは、全く頓着した様子がなく同僚と騒ぎながらビールやワインを飲んでいたので、祐真は、もう酔っているのか、そんなに酒が弱かったかな、明日も仕事なのに大丈夫かと、そんな心配をしていた。

 明日が平日ということで一次会は、早めに終わり、半分ほどが、二次会に行くことになったが、祐真は、退職までに整理しておかなくてはいけない仕事があったので、部下たちと別れて帰宅することにした。
 別れ際、祐真は、財布から数万円を出すと、

「今日はありがとう。これは少ないが、参加できない俺からのわびと寸志だ。二次会の軍資金にしてくれ。皆飲みすぎて明日遅刻するなよ」

 と言いながら、幹事役の部下に渡した。
 部下たちは、ワーッと歓声を上げ、祐真との別れを名残惜しそうに二次会へと向かった。

 祐真は、部下たちから渡された記念品と、手に持った花束を困ったような顔で眺めながら歩きだした。
 記念品はいいが、花を持って帰っても家には祐真一人だ。
 すぐに枯らしてしまうだろう。
 退職の日にもささやかなセレモニーと花束が贈られることになっている。
 だが、祐真は、退職の翌日には、ヨーロッパへ発つ予定だ。

 武漢肺炎は、2020年に猛威を振るったが、2021年に入って鎮静化の兆しを見せ始めた。
 だが、アフリカではその衛生状態のため未だに流行が続いていた。
 ヨーロッパの国々は、かつてアフリカ諸国の宗主国であったため、今もその結びつきは強く、交流も盛んである。
 そのため、武漢肺炎はなかなか収まらず、各国は、出入国の規制と緩和を繰り返していた。
 3月に入った頃から流行の兆しがまた見え始め、各国は、出入国を制限し始めていた。
 武田製薬工業は、どうしても現地で確認しなければいけないことがあり、人を派遣する必要があった。
 だが、新規入国は武漢肺炎のため困難な状況になっていた。
 そのため、製薬企業関係者として目的の国の入国許可を、事前に取得済みだった祐真に特別委託という形で確認業務を依頼することになったのだ。
 祐真には、退職しても、対外的にはまだ武田製薬工業の社員として最後の仕事が残っていた。
 
 花をどうしようかと悩みながら歩く祐真の横に、一人の女性がそっと近づいてきた。
 志塚ゆかりだった。

「課長、お花持ちますね。記念品も一緒だと荷物になりますものね」

「あっ、志塚君、ありがとう。助かったよ・・・・そうだ、良かったらこの花もらってくれないかな。実は、退職の翌日にはイタリアへ行かなくてはならないんだ。それが最後の仕事でね。家に持ち帰っても恥ずかしながら誰もいないからね。枯らしてしまうことが確定なんだ」

 と、祐真は頭を掻きながらゆかりに頼んだのだった。
 すると、ゆかりは、

「そういうことならお安い御用ですよ。でも、そのお礼と云っては何ですが、どこか喫茶店でコーヒーでも奢ってくれませんか。少し飲みすぎたみたいで・・・・」

「それこそ、お安い御用だよ。近くに喫茶店があるからそこに行こう。もっとも、その喫茶店も夜になるとお酒を出すんだが、コーヒーだけでも全然大丈夫だから」

 二人は、喫茶店に向かって歩き出した。

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 作品を読んでくださりありがとうございます。
 次回以降は、祐真とゆかりの過去世の悲恋について語る予定です。
 そこで、文体を少し変えたいと思っています。
 情緒的感覚的なものを出来るだけ省くのが、私の好みであり、スタイルですが、12話あたりから、若干変更したいと思っています。
(もっとも、具体的には今より会話文を多くしたり、登場人物の心のうちをもう少し明らかにしようかと思っている程度なのですが。)
 それまでの文体とあまり違和感がないようにしたいとも思っています。
 「人生大逆転!」の方も若干文体を変更するかもしれません。
 また、元々「異世界へ渡る者」は、「人生大逆転!」の外伝でしたので、より理解しやすいように「人生大逆転!」の投稿を急ぎたいと思っています。
 しばらく、「異世界へ渡る者」は、お休みするかもしれませんが、お許しください。
 「人生大逆転!」もどうぞよろしくお願いいたします。
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