第15話  チタニヤでの不思議

文字数 1,956文字

 祐真は、武田製薬工業から委託を受けていた仕事を手早く片付けると、メールで報告をした。
 業務内容は、ローマから60kmほど離れたチタニヤという地方都市に建設中の製薬工場についての確認と若干の変更についての打ち合わせだったが、祐真が海外事業課長として手掛けたものであり、内容は熟知していたのでスムーズに仕事は(はかど)ったのだった。

 建設中の工事現場の管理小屋からメールを打ち終えると、祐真は、一週間分ほどの着替えや諸々の荷物を詰め込んだキャリーバッグを引きながらチタニヤの街に出て、いつも通っていたオープンカフェを訪れイタリアンエスプレッソを注文した。

 チタニヤはイタリア語で田舎町が訛ったものとも言われているが、昔と変わらぬ石造りの建物や道、街の雰囲気、それに道行く人々までもが、まるで中世の時代から時間(とき)が止まっているのではないかと錯覚するほどの静けさと不思議さに満ちている。

 祐真は、初めて訪れた時からこの街が気に入っていた。
 それに街に数少ないカフェの中でもこのカフェのエスプレッソは格別だった。
 祐真は、イタリアに来るのもこの日が最後だろうという思いがあったので、エスプレッソを注文する際も感慨深いものがあった。

 祐真は、日本ではブラックコーヒー一辺倒だが、初めてチタニヤに来たとき、郷に入れば郷に従えでイタリアンエスプレッソを頼んだ。
 最初は、砂糖を入れるコーヒーなんてどうだろうという認識だったのだが、この店のエスプレッソは、一番上層の濃いヘーゼルナッツ色の厚みのあるきめ細かい泡のクレマの味と香り、過剰でもなく浅くもない焙煎の香り、砂糖を入れ、かき混ぜずに飲むエスプレッソの酸味をよい隠し味にしたコクのある味に祐真は一度に虜になってしまった。
 コーヒーを飲んだ後は、カップの底に沈んだコーヒー豆のおいしさを吸ったような砂糖をドルチェ代わりに楽しむのだ。
 祐真は、チタニヤでの最後の至福の時間を心行くまで楽しむつもりだった。

 そのため、祐真は、椅子に座った時に感じた違和感をすっかり忘れていた。

 この店はオープンカフェであるが、店内でも飲食が出来た。
 ところが、祐真が、今回この店に来た時、店は店舗の一部改装を行っており、そのため飲食が可能なのは店の外にあるテーブルだけであった。
 さらに、とある場所に設置された一人用のテーブルだけしか空いていなかったのだ。
 その場所は、いつもは何故か人が無意識に避ける場所だった。
 今まで、その場所にテーブルが設置されることはなかったのだが、他にテーブルを設置する場所がなく、再配置の忙しさと混乱の中で設置されたのだった。

 祐真は、選択の余地がなくその席に座った時、何となく落ち着かなかったのだが、美味いコーヒーを飲むうちすっかり忘れていた。

 (・・ああ、やはり最後にこの店に来てよかったなぁ・・・)

 祐真は、静かに目をつむり椅子の背もたれに身体を預けた・・・・・・・・

 どのくらいの時間が経ったのだろう・・・祐真は周囲の静けさをいぶかしく思いながら目を開けた。

 (?!・・これはどうしたというのだ?!・・・)

 そこは、森の中のようであった。
 祐真は、キャリーバッグを傍にして草むらに座り大きな木の根元に寄りかかっていたのだ。
 祐真が、座っている場所から半径20mほどの円を描いた範囲は草むらなのだが、その向こうには森が広がっているようだった。
 だが、草むらと森との間は半透明のドームのようなもので遮られ、森の様子はよくわからなかった。

 そこへドームの外に男性のような一人の人間が立った。
 ドームの壁が揺らいだように見えたかと思うと、その男性はドームの中に入っており、祐真の許へと静かに歩いてきた。

 (!?、・・ウィリアム・テル??・・・)

 その男性は、14世紀スイスの伝説の英雄ウィリアム・テルを彷彿とさせるような出で立ちだった。
 彼は、ウィリアム・テルとは違ってクロスボーではないが、短弓を持ち、矢筒を背にし、30cmほどのダガーナイフと思われるような物を腰に(はい)していた。
 しかし、服やブーツはいかにも上質と分かる物であり、油断なく祐真に近づいてきたのだった。

 その男性は、祐真と3mほどの場所まで来ると立ち止まった。
 年齢は20才ほどの青年であろうか。髪は黒いが、目は碧眼であった。

 青年は、祐真をしげしげと見た。
 祐真が何か言おうとした時、青年が言葉を発した。

 「▽=~||・_///●〇◇?・・・」

 祐真が、これまで聞いたことがない言葉だった。

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 ※ダガーナイフ:全長10~30cmの諸刃の短剣
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