第13話  無言の告白と夢

文字数 5,324文字

 祐真とゆかりは、喫茶店を出て、駅へと向かった。
 喫茶店に入った時は、そう寒くは感じなかったのだが、外気は一瞬身震いするほど冷えていた。

 「3月も終わりだというのに、夜はまだ寒いね」
 「そうですね・・・」

 ゆかりは、そう言いながらそっと祐真に近づき、肩を寄せ合うように歩いた。
 喫茶店から駅までは、真っすぐな道が500mほど続いている。
 二人が、その中間ほどまで来た時、ゆかりは立ち止った。
 そこから右へ折れる道があるのだが、その道のワンブロック先からさらに右へ曲がると、ホテル街になっている。
 ゆかりは、うつむいたまま手を強く握り、祐真の袖を掴んで、その場を動こうとしなかった。
 祐真も木石ではない。それが何を意味しているのかは分かったが、決して拒否するような仕草ではなく、自然にゆっくりとゆかりの手をほどいた。
 ゆかりは特に抗うこともなく、二人は何事もなかったように黙って駅へ向かい、そこで別れたのだった。
 ゆかりは、終始うつむいたままだった。


 自宅に帰ったゆかりは、自分自身に対する嫌悪感と恥ずかしさに(さいな)まれていた。
 祐真に自分の離婚のことを話した時、別れた夫のことは、すでに何とも思っていないことに気が付いた。
 しかし、それだからすぐに別の男性に惹かれるということにも忌避感があるし、ふしだらではないだろうか。
 きっと、離婚した祐真もそうだろうと思う。
 祐真が拒否することは十分あり得ると思っていたのに、それでも、立ち止まって祐真の袖を掴んでしまった。
 (どうしてあんなことをしてしまったの・・なんて馬鹿なことを・・)
 ゆかりは、同じ思いを何度も繰り返した。

 別れ際、ゆかりはうつむいていた顔を上げ、祐真に、
 「イタリアから帰ったら一度でいいので会ってくれませんか・・電話だけでもいいので・・」
 とまで言ってしまった。
 (私は、どうしてあんなことを言ったのだろう・・明日からどんな顔をしたらいいの? 課長は、私をどんな目で見るんだろう・・・ああ、もう・・・・)
 ゆかりは、まんじりともせず朝を迎えた。

 翌朝、出勤して自分の席についても、ゆかりは祐真と目が合わないようにした。
 だが、祐真のことが気になっている自分がいつもいた。
 祐真と会えるのは明日までかもしれないと思うと、胸が締め付けられるような思いに(とら)われるのだった。

 ゆかりは、祐真が退職する最後の日まで祐真と話すことが出来なかった。
 祐真は、業務引継ぎの仕上げを済ますと、その後は、社内のお世話になった人たちへの挨拶回りで席にいることが少なかった。
 他の部署からも、何人もの人が最後の挨拶に祐真を訪ねてきた。
 最後の日、課内の簡素なセレモニーの後、若い女子社員から花束を受け取ると、祐真は、いつもの終業後と変わらない様子で、フロアのエレベーターに乗って去って行ったのだった。
 それを見送った後、ゆかりの胸には、ぽっかりと穴が開いたようだった。

 その日は、定時に退社し、そのまま自宅へと帰った。
 マンションの自室のソファーに座り、ただ窓の外を眺めていた。
 明るかった日差しは夕陽に染まり、やがて夜の闇に閉ざされた。
 ゆかりは、何もする気になれずソファーで横になると、初めて涙が頬を流れていることに気が付いた。
 ゆかりは、いつの間にか眠っていた。

 
 -----繰り返される歴史 1-----

 2021年夏、そこは、見上げると夏の青い空が広がる病院の中庭だった。
 看護師のゆかりは、夫の祐真と弁当を広げていた。

 二人は5年前、ゆかりが看護専門学校を卒業してすぐに結婚していた。
 ゆかりが、看護専門学校時代に実習でこの病院に来ていた時、武田製薬工業のMRとして営業に来た祐真と知り合ったのが切っ掛けだった。
 二人は、相思相愛となり、婚約をすると、ゆかりの卒業を待って結婚したのだった。
 ゆかりが、20才、祐真は25才だった。
 祐真は、28才で海外事業課長となり、2年後にはフランスへ赴任した。

 ゆかりも同行する予定だったが、武漢肺炎がフランスで猛威を振るっており、家族の渡航が制限されたため、渡航の許可が3ヶ月以上も遅れたのだった。
 ようやく許可が下り、ゆかりも数日後にはフランスへの機上の人となる予定だ。
 夫の祐真は、ゆかりを迎えるために一時帰国し、ゆかりと一緒にフランスへ向かう予定だが、ゆかりの勤める病院は、武田製薬工業に近いため、祐真は時間を作っては病院へやって来て、しばらくゆかりと過ごすのを常にしていた。

 祐真は、まるで昭和の猛烈社員のような仕事人間であったが、ある時ゆかりに頼まれてスーパーに食材を買いに行ったことがあるのだが、その時何か思うことがあったのか、それ以来家事にも協力的であった。
 ゆかりと祐真は、深く愛し合い幸せな結婚生活である。
 二人の目下の願いは子どもを授かることであった。
 二人は弁当を食べながら、東京オリンピックの開会式が日本で見られないのが残念だねなどと話していた。
 
 その時、けたたましいサイレンが鳴り響きしばらく続いた。
 病院の中から医師や看護師、事務職員までもが飛び出してくると、外にいる人たちに早く中へ入るようにと叫ぶように呼びかけた。
 彼らのあまりの真剣さに、これは何かの訓練ではないと、二人は急いで病院の中へと走った。
 病院の中は、まるで蜂の巣を突いたようであった。
 
 人々は、病院内のテレビの画面を食い入るように視ていた。
 アナウンサーが、切羽詰まったような声で、北鮮から夥しい数のミサイルが日本に向けて発射され、北鮮軍が南鮮に侵攻を開始した、中国も台湾、沖縄に侵攻している、そればかりかロシアまで北海道に侵攻を開始したという信じられないようなニュースを伝えていた。

 ゆかりと祐真は、他の医療従事者とともに重症患者などを地下へ搬送するため奔走した。
 15分ほど経過した時、東京方面にいくつもの閃光が走り、きのこ雲が現れた。
 病院にいた人々は、皆が信じられないものを見たという顔で呆然とした。
 その時、全てが光に覆われた。
 光が収まった時、病院はその形を成していなかった。
 今まで、そこにいたゆかりと祐真を含む全ての命が、一瞬にして失われたのだった。
 ゆかりは、自分が死んだ光景がはっきりと見えていた。

 そこへ、祐真の親友で東京メディシンのMS(医薬品卸販売担当者)である山科拓馬が突然姿を現した。
 すると、拓馬の周りにある瓦礫がまるで落ち葉のように吹き飛ばされていった。
 彼は、狂乱したように、
 「祐真‼、ゆかりさん‼」と何度も叫んだ。
 その時、目の前が暗転して、ゆかりの意識は闇に沈んだ。

 
 -----繰り返される歴史 2-----

 2021年夏、ゆかりは、看護師として野戦病院にいた。
 北鮮、中国、ロシアの侵攻が開始されてまだ一日も経っていないが、ゆかりが勤める病院は、野戦病院と化して多くの負傷者を受け入れていた。
 東京オリンピックの前に、こんなことになるなんて誰も予想していなかった。
 だが、政府は何らかの情報を掴んでいたのだろう、十分ではなかったが、ある程度の準備はしていたようだ。
 現在、対馬、沖縄、北海道で自衛隊と侵攻軍との激しい戦闘が繰り広げられている。
 各地にミサイルも着弾していた。
 ゆかりたちが住む笠間小美市(かさまおみし)にも一発のミサイルが着弾した。
 それは、核弾頭を搭載したものではなかったが、それでも建物だけでなく、多くの人命が失われ、多数の負傷者を出した。

 ゆかりは、先にフランスに赴任していた夫の祐真が一時帰国し、数日後、二人でフランスに渡る予定だったが、それどころではなくなっていた。
 戦争による日本人の犠牲者は、開戦初期で既に五十万人に上ると予想されている。

 先ほどからサイレンがけたたましく鳴り、敵機の襲来を知らせていた。
 ゆかりは、新たに運ばれてきた負傷者を抱えるように急いで病棟へ入ろうとしていた。
 そこへ黒煙を噴出しながら敵機が病院を直撃するように墜落し、搭載していた爆弾と共に大爆発を起こした。

 超低空飛行で侵入を試みた多数の敵機のうち、たった一機だけが奇跡的に航空自衛隊の迎撃を逃れて東京を目指していたのだ。
 本土への侵入を許し、故意に密集した民間の建物の上を逃走する敵機に対し、自衛隊機のミサイルによる撃墜は、民間の被害を拡大する恐れがあるとして、機銃掃射を浴びせたのだが、被弾した敵機は、ゆかりの勤める病院の近くまで飛行し、操縦不能となって墜落したのだった。

 病院は、一瞬にして凄惨な地獄となった。
 爆発の巻き添えとなった人々は四肢を飛散し、原形をとどめていなかった。
 ゆかりと分かるものは、手に結婚指輪をした左腕だけが、かろうじて瓦礫の下に埋まっていた。

 そこへ夫の祐真と、夫の親友である山科拓馬が駆けつけてきた。
 山科拓馬は、祐真に「君は、向こうを探してくれ!」と言うと、真っすぐゆかりの左腕が埋まっている瓦礫の前まで来た。
 すると、瓦礫は落ち葉が風に吹かれるように周囲へと飛び散った。
 「祐真来てくれ‼これを見てくれ‼」と拓馬が祐真に向かって叫び、少し離れた所でゆかりを探していた祐真は急いでこちらへ走ってきた。
 祐真は、すぐにゆかりの左腕に気が付いた。
 祐真は、手に結婚指輪をしたゆかりの白い腕を胸に抱き、崩れ落ちるように膝をつくと、忍び泣くように泣きだしたが、そのうち悲しみに声を抑えることが出来なくなり、誰はばかることなくいつまでも慟哭した。
 それを見たゆかりは、
 (・・あなたごめんなさい・・・でもよかった、あなたが無事で・・・)
 と思ったのだった。
 
 その時、山科拓馬が顔を上げ、ゆかりを見た。
 ゆかりは驚いた。確かに山科拓馬は、ゆかりと目を合わせたのだ。
 (ゆかりさん、申し訳ない・・・)
 ゆかりは、頭の中に拓馬の声を聞いた。
 そして、拓馬は、ゆかりに向かって頭を下げた。
 
 その時、目の前が再び暗転して、ゆかりの意識は闇に沈んだ。

 
 -----繰り返される歴史 3-----

 2021年夏、東京オリンピックを前にして、関東地方は、一時は収まったかにみえた新型コロナといわれる感染症の再流行に、医療機関は、その対応に追われていた。
 ゆかりの勤める病院は、近隣で数少ない新型コロナに対応できる病院として患者が集中し、医療崩壊ぎりぎりの対応を余儀なくされていた。

 ゆかりは、3月には、夫の祐真のフランス赴任に伴い、夫と一緒にフランスへ同行する予定だったが、3月から始まった新型コロナの爆発的な再流行のため延期になっていた。
 ゆかりも殆ど休まずに勤務していたが、体の変調を覚え、検査したところ妊娠していることが分かった。妊娠三ヶ月だった。
 病院は、ゆかりを強制的に休ませた。

 ゆかりは、病院が気になりながらもおとなしく家で過ごすことにした。
 その日は、朝から体がだるく微熱もあったが、夫の祐真を会社に送り出した後、寝ていれば治るだろうと思っていた。
 だが、症状は急激に悪化した。
 ゆかりは、ようやく新型コロナに感染していることを自覚したのだが、症状は劇症だった。
 ゆかりは、呼吸が出来ないほどの酷い咳をしながら気を失ってしまった。
 帰宅した祐真は、気を失い倒れた妻を発見すると、すぐに救急車を呼び病院へ搬送したのだが、すでに手遅れだった。
 数日後、ゆかりはお腹の子と一緒に亡くなった。
 お腹の子の性別は、まだ分かっていなかったので、夫婦は、男の子だったら「優祐(まさひろ)」、女の子だったら「さとみ」と決めていた。
 妻の遺体の前で悲嘆に暮れている夫の祐真に、ゆかりは、
 (あなた、ごめんなさい・・それに優祐ちゃんか、もしかしたらさとみちゃん・・お母さんを許してね・・・)
 と心の中で謝ったのだった。

 
 ----- 現 在 -----

 ゆかりは、ソファーの上で目を覚ました。
 昨日は、あのまま眠ってしまったのだろう、変な夢を見てしまった。
 東京メディシンの山科拓馬氏が、課長の親友だと聞いたこともなかった。
 でも、あの夢は夢じゃない、実体験だったと言う心の中の自分がいた。
 乾いた涙の跡にまた一筋の涙が流れた。
 しかし、朝の日差しは、出勤の時間が近いことを示していた。
 ゆかりは、急いでシャワーを浴びたが、いつもより少し遅れてマンションを出たのだった。

 ゆかりの見た夢は、夢ならばすぐに忘れただろう。
 しかし、ゆかりの夢は、実体験と変わらず、すぐに忘れることがなかった。
 ゆかりにとっても、短かく悲しい体験だったが、それは祐真との幸せな時間でもあり、忘れたくなかった。
 だが、人が前世を憶えていないように、数ヶ月後、祐真と再会した時、ゆかりは夢の体験を全て忘れていたのだった。

____________________________________________________________________________________
 今回のエピソードは、拙作「人生大逆転!」の第106話以降に関連するものです。
 ちなみに、私たちはゆかりが見た夢の三度目の繰り返される歴史の中に生きています。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み