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携帯電話の音で目が覚めた。
リビングから賑やかな着信音が聞こえてくる。枕元の時計を確認すると、まだ朝の六時だった。毛布に顔をうずめていると、しばらくしてやんだ。
昨日はさすがに目が冴えて、なかなか眠れなかった。こんなことならやっぱり実家に泊まって、最後の親孝行でもしておくのだったと思った。
貼られたカレンダーの今日の日付は、ハートマークで囲まれている。
あたしは起き上がって伸びをした。手術の痕が引き攣るような感覚があった。
あのあと、合田は警察に逮捕され連行された。病院へ搬送されるあたしの傍らで、雅也はずっと声をかけてくれていた。あたしが目覚めたとき、彼は泣き腫らした目で、もう絶対君を死なせないと誓った。一生? と訊くと、一生だ、と頷いた。結局、それがプロポーズになった。
喪失の小部屋は、あれから少しして閉鎖された。もともと趣旨が守られない喪失の濫用に、運営側も疑問を感じはじめていたのだ。
由香里とは一度だけ電話で話した。耕介とは別れ、しばらく彼氏も喪失もこりごりということだった。雅也と結婚することになったと話すと喜んで、刺されたぶんまで幸せになるんだぞ、とあまり嬉しくない祝福をしてくれた。
似たようなサイトはちらほら開設されたが、どれも長くは保たなかった。
きっと皆、気付いたのだ。向き合わなければ何もならないということに。向きあって話そう。大切な相手を本当に失わないうちに。
あたしはペンを取り、ハートマークの中を赤で塗りつぶした。今日は長い一日になる。雅也もそろそろ起き出して、式場へ向かう準備をしているはずだ。
洗顔を済ませてから、携帯を確認した。液晶を見ると、見知らぬ番号が表示されている。式場からの連絡かもしれない。あたしはブラシで髪を梳かしながら、携帯をかけなおした。
〈これ、北原真紀さんの電話? あんた真紀さん? 根本雅也さんの恋人さん?〉
「そうですけど」
野太い男の声だった。あたしは首を傾げた。
〈こちら渋谷警察署です。これからちょっと署の方にお越し頂けませんか〉
「どういうご用件でしょう」
〈言いにくいんだけど、雅也さんが亡くなられました〉
「…………」
あたしは少し間を空けてから、応えた。
「今、なんて」
〈近頃騒がれている連続猟奇殺人鬼のニュースは知ってますかね。被害者の顔の皮膚をドロドロに焼いて、耳ちょん切った上に腹を割いて内蔵をぶち撒けるあれですわ。どうも雅也さん、それにやられたみたいでね」
「そんな……嘘です! そんなこと……」
〈ズボンのポケットに携帯があって、あんた恋人さんみたいだったから連絡しました。ホトケが雅也さん本人かどうか、確認してもらいたいんですわ。ちょっと顔だけだと、よくわからんかもだけど〉
「わかりました。すぐに行きます……」
涙まじりに答えてから、携帯を切った。
思わず微笑んだ。
こんなやり取りは久しぶりだった。結婚式の当日に喪失の疑似体験をやるなんて、いたずら好きな雅也らしい。
化粧を済ませると、鞄を持って部屋を出た。雅也は警察署の前で、にやにや笑って待っているのだろう。
青空から降り注ぐ陽の光が明るい。一生に一度のこの日を、神様が祝福してくれている気がした。
それにしても、さっきの男の声は、誰だったのだろう? 雅也の男友達は大体知っているが、あんな声は記憶にない。
あたしは警察署へ向けて歩いた。角を曲がると、建物の前は人でごった返していた。テレビカメラやマイクを持った人たちが、殺気立った様子で声を張り上げている。集まったパトカーが赤色灯を回している。新たな被害者が、と声が聞こえた。何か大きな事件でもあったのかもしれない。
あたしには関係ないことだ。
あたしは雅也の姿を探した。