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文字数 2,099文字
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日曜の渋谷駅改札は人でごった返していた。
待ち合わせの十分前に到着した。メールを入れようと携帯をいじっていると「わっ」と声がかかって、あたしは飛び跳ねながら振り向いた。
「へへ、驚いてやんの」
両手をポケットに突っ込んで、悪戯気な顔をした雅也が立っていた。
雅也からちゃんとしたデートに誘われたのは、本当に久しぶりだ。付き合いだした頃は、よくこうやって待ち合わせのときに悪ふざけをしていたのだ。サークルでもお調子者で通っていた雅也は、女の子からよくもてた。
「さ、行こうぜ。ほら」
雅也はポケットから、映画のチケットを二枚取り出した。
「観たいって言ってたろ」
「……ほんとに覚えててくれたんだ」
「ほんとに?」
雅也が首を傾げた。
あたしは慌てて首を振った。チャットの中で死にゆく雅也がチケットを遺してくれたのだ――などとは、とても言えない。
「すごく嬉しい」
「ほんと? よっしゃ!」
雅也はパッと顔を輝かせ、ガッツポーズをとった。周りを行く通行人たちが苦笑している。行こうぜ、とあたしの手を引っ張って歩き出した。その右手の薬指には、しばらく付けていなかったペアリングがしっかり填まっている。
二人で映画を観て、カフェに入った。雅也はにこにことよく喋った。あたしを楽しませようと、懸命に頑張ってくれている。
あたしは自分が恥ずかしくなった。こんなに自分のことを想ってくれている人のことを、どうして信じられなかったのだろう。
【雅也さん、あなたを愛していらしたんですね】
林の言葉を思い出した。病室のベッドに横たわり、顔に白い布をかけられた雅也の姿が頭に過ぎった。
「おい、真紀、どうしたんだよ?」
知らず目から涙が零れていた。なんでもない、とあたしはココアのカップに口をつけながら、首を振った。
「ごめんね雅也」
「大丈夫か? どうしたんだよ」
「なんでもない。ただ、ごめんね」
雅也が不思議そうに首を傾げ、よくわかんないけど気にすんなよ、とあたしの頭を撫でた。ザク柄のハンカチを出すと、あたしの涙を拭った。
もう大丈夫だ。
もう雅也を死なせなくても、やっていける。
その日、あたしは雅也の部屋に泊まった。雅也の腕に頭を乗せ、満ち足りた気分で眠った。
喉が乾いて、夜中に目が覚めた。穏やかな寝息を立てる雅也の寝顔を見つめてから、起こさないようにベッドから滑り出た。冷蔵庫から麦茶を取り出して口にふくむ。
ふと、部屋の隅に置かれたノートパソコンが目に留まった。
電源が付いていることを示すランプが点滅している。そういえば、ずっと低い駆動音が響いている。気付くと、妙に耳障りに感じた。
終了させてしまおう。
ノートパソコンを開いた。雅也はパスワードを知られていないつもりだろうが、以前打ち込むところをこっそり覗いて覚えてしまった。ロックを解除した。画面いっぱいに、ブラウザが表示される。
【喪失の小部屋】
表示されていたのは、見慣れたウェブサイトだった。
あたしはまぶたをこすった。寝ぼけて、無意識のうちにいつも開いているページを、表示させてしまったのだろうか。
違う。
頭が覚めてきた。雅也は、あたしがチャットをするのを覗いていたのだろうか。いや、会話している当人たち以外は、チャットの内容を見ることはできないはずだ。
ふと、デスクトップ上に置かれた、いくつかのテキストファイルの存在に気付いた。
ファイルを開くと、保存されたテキストの羅列が、画面いっぱいに広がった。
【(全裸の真紀の死体が床に転がっている。脇には巨漢デブの合田の姿)】
あたしは目を瞬いた。
【美味かったぜえ。おまえのオンナ】
【おまえ、なんだよ! 真紀をどうしたんだよ!】
【帰り道に襲ったのさ。クロロホルムで眠らせて、車に連れ込んだ】
【なんだってっ?】
【裸にひん剥いて、その若くみずみずしい果実のような肉体を、たっぷり味わわせてもらったぜ。良かったぜえ。真紀ちゃん、犯られながら、雅也雅也って泣くんだよ】
【てめえ! 畜生ぶっ殺してやる!!】
こ、これは……。
あたしはパソコンのキーボードを操作し、いくつかのテキストファイルを開いて読み進めていった。
どれも雅也のチャットのログファイルだった。チャットの中で、あたしは合田に、毎回異なる実に様々な変態的趣向でレイプされ、殺されてしまっていた。なんということだ。
真紀、と雅也の声が聞こえ、あたしは黙々と読み進めていたモニタから顔を反らした。
振り返ると、ベッドの上で雅也が寝返りを打って、あたしがプレゼントしたくまのぬいぐるみを抱きしめていた。ぬいぐるみはやる気なさそうに頬杖をついたまま、雅也にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。『人生って素晴らしいよね(棒)』と書かれた旗を握りしめながら。
あたしはじっとモニタを見つめた。
【真紀を返せ!!! 返せよお!!!!!】
ちょっと感嘆符を使い過ぎではないだろうか。