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文字数 2,099文字


      *

 日曜の渋谷駅改札は人でごった返していた。
 待ち合わせの十分前に到着した。メールを入れようと携帯をいじっていると「わっ」と声がかかって、あたしは飛び跳ねながら振り向いた。

「へへ、驚いてやんの」

 両手をポケットに突っ込んで、悪戯気な顔をした雅也が立っていた。
 雅也からちゃんとしたデートに誘われたのは、本当に久しぶりだ。付き合いだした頃は、よくこうやって待ち合わせのときに悪ふざけをしていたのだ。サークルでもお調子者で通っていた雅也は、女の子からよくもてた。

「さ、行こうぜ。ほら」

 雅也はポケットから、映画のチケットを二枚取り出した。

「観たいって言ってたろ」
「……ほんとに覚えててくれたんだ」
「ほんとに?」

 雅也が首を傾げた。
 あたしは慌てて首を振った。チャットの中で死にゆく雅也がチケットを遺してくれたのだ――などとは、とても言えない。

「すごく嬉しい」
「ほんと? よっしゃ!」

 雅也はパッと顔を輝かせ、ガッツポーズをとった。周りを行く通行人たちが苦笑している。行こうぜ、とあたしの手を引っ張って歩き出した。その右手の薬指には、しばらく付けていなかったペアリングがしっかり填まっている。

 二人で映画を観て、カフェに入った。雅也はにこにことよく喋った。あたしを楽しませようと、懸命に頑張ってくれている。
 あたしは自分が恥ずかしくなった。こんなに自分のことを想ってくれている人のことを、どうして信じられなかったのだろう。

【雅也さん、あなたを愛していらしたんですね】

 林の言葉を思い出した。病室のベッドに横たわり、顔に白い布をかけられた雅也の姿が頭に過ぎった。

「おい、真紀、どうしたんだよ?」

 知らず目から涙が零れていた。なんでもない、とあたしはココアのカップに口をつけながら、首を振った。

「ごめんね雅也」
「大丈夫か? どうしたんだよ」
「なんでもない。ただ、ごめんね」

 雅也が不思議そうに首を傾げ、よくわかんないけど気にすんなよ、とあたしの頭を撫でた。ザク柄のハンカチを出すと、あたしの涙を拭った。

 もう大丈夫だ。
 もう雅也を死なせなくても、やっていける。


 その日、あたしは雅也の部屋に泊まった。雅也の腕に頭を乗せ、満ち足りた気分で眠った。
 喉が乾いて、夜中に目が覚めた。穏やかな寝息を立てる雅也の寝顔を見つめてから、起こさないようにベッドから滑り出た。冷蔵庫から麦茶を取り出して口にふくむ。
 ふと、部屋の隅に置かれたノートパソコンが目に留まった。
 電源が付いていることを示すランプが点滅している。そういえば、ずっと低い駆動音が響いている。気付くと、妙に耳障りに感じた。
 終了させてしまおう。
 ノートパソコンを開いた。雅也はパスワードを知られていないつもりだろうが、以前打ち込むところをこっそり覗いて覚えてしまった。ロックを解除した。画面いっぱいに、ブラウザが表示される。


【喪失の小部屋】


 表示されていたのは、見慣れたウェブサイトだった。
 あたしはまぶたをこすった。寝ぼけて、無意識のうちにいつも開いているページを、表示させてしまったのだろうか。
 違う。
 頭が覚めてきた。雅也は、あたしがチャットをするのを覗いていたのだろうか。いや、会話している当人たち以外は、チャットの内容を見ることはできないはずだ。

 ふと、デスクトップ上に置かれた、いくつかのテキストファイルの存在に気付いた。
 ファイルを開くと、保存されたテキストの羅列が、画面いっぱいに広がった。

【(全裸の真紀の死体が床に転がっている。脇には巨漢デブの合田の姿)】

 あたしは目を瞬いた。

【美味かったぜえ。おまえのオンナ】
【おまえ、なんだよ! 真紀をどうしたんだよ!】
【帰り道に襲ったのさ。クロロホルムで眠らせて、車に連れ込んだ】
【なんだってっ?】
【裸にひん剥いて、その若くみずみずしい果実のような肉体を、たっぷり味わわせてもらったぜ。良かったぜえ。真紀ちゃん、犯られながら、雅也雅也って泣くんだよ】
【てめえ! 畜生ぶっ殺してやる!!】


 こ、これは……。

 あたしはパソコンのキーボードを操作し、いくつかのテキストファイルを開いて読み進めていった。
 どれも雅也のチャットのログファイルだった。チャットの中で、あたしは合田に、毎回異なる実に様々な変態的趣向でレイプされ、殺されてしまっていた。なんということだ。

 真紀、と雅也の声が聞こえ、あたしは黙々と読み進めていたモニタから顔を反らした。
 振り返ると、ベッドの上で雅也が寝返りを打って、あたしがプレゼントしたくまのぬいぐるみを抱きしめていた。ぬいぐるみはやる気なさそうに頬杖をついたまま、雅也にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。『人生って素晴らしいよね(棒)』と書かれた旗を握りしめながら。
 あたしはじっとモニタを見つめた。

【真紀を返せ!!! 返せよお!!!!!】

 ちょっと感嘆符を使い過ぎではないだろうか。
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