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文字数 2,197文字


      *

 目が覚めると、リビングから明かりが漏れていた。
 時計を見ると、夜中の三時だ。テレビの音が聞こえている。電気を消し忘れたのかと思って、ベッドから抜けだした。

「あ、真紀。お邪魔してる」

 炬燵にもぐりこみ、雅也がポテトチップスをつまんでいた。
 テーブルにはレンタルDVDのケースが積まれている。すべて、機動戦士ガンダムだった。

「来てたんだ」
 合鍵は渡していたが、連絡なしに雅也がやってくるなんて珍しい。
「起こしてくれれば良かったのに」
「気持ちよさそうに眠ってたからさ」
「終電でも逃した?」

 ヤカンに水をいれ、コンロにかけた。雅也が夜中にやってくるのは、会社の飲み会で終電を逃したときくらいだ。

「いや、今日は飲んでないよ」
 雅也はテレビに目をやったまま答える。
「コーヒーにする?」
「いいよ、寝てな。すまん、起こしちまって」
「大丈夫。何か用があったんじゃないの?」
「え?」
「え?」
「なんで?」
「だって、こんな時間に来てたから」
「ごめん。迷惑だったか?」
「いや、そうじゃなくて」
「ボリューム下げるよ」
「何か用があったのかなって、思っただけで」
「え?」
「え?」
「……用がなきゃ来ちゃ駄目なの?」

 寒々しい声音だった。
 雅也はポテトチップスの袋を空にすると、テレビの電源を切った。ビームサーベルの音が消えて静かになると、部屋に佇む空気の寒さが、尚更強く感じられた。
 雅也は立ち上がると、DVDケースを鞄に放り込んだ。

「俺帰るよ。起こしちゃってごめんな。真紀は寝てな」
「でも、電車ないでしょ」
「漫喫にでもいるわ」
「でも……」

 雅也は構わず、じゃあな、と玄関のドアを閉めた。それから、わざわざ外から鍵を閉めた。ガチャリというロックの音が、拒絶の音に聞こえた。
 あたしは冷たいドアに額を押し付けて、しばらくじっとしていた。雅也の靴音が遠ざかっていく。どう話をすればいいのか、昔は意識せずともできていた当たり前のことのやり方が、今ではどうしてもわからない。

 ふと思いたち、炬燵にもぐりこむと、ノートパソコンを引き寄せた。前に使ったとき電源を切っておくのを忘れていたのか、スタンバイモードになっていた。
 立ち上げ、ブラウザを起動する。喪失の小部屋の名前入力欄には、クッキーで保存された『神崎』の文字があらかじめ入力されている。ルームを作成した。
 駅前の漫画喫茶まで歩いて七分。果たして、雅也は入室してきた。

【神崎さん。こんな時間にいるとは思わなかった】
【眠れなくてな。そういう雅也はどうした?】
【ちょっと、いろいろあって】
【真紀ちゃんと喧嘩でもしたか?】

 自分が卑怯なことをしている自覚はあったが、止められなかった。

【そんなようなもん】
【うまくいってないのか?】

 ちょっと間をあけてから、返事がきた。

【俺、どうしていいかわからないんだよ。この頃、いつもそうだ。今日こそは楽しく話したいと思っても、話してるうちに、何かが少しずつずれてくる】

 意外だった。雅也はもうあたしのことなど、興味がなくなってしまったのだと思っていた。
 どう話していいか困っていたのは、雅也も同じだったのか。

【もう別れようかと思ったこともある。でも踏ん切りがつかなくて、そんなときにチャットをみつけたんだ。喪失を体験してみて、それでもう本当に心が離れてるんだってわかったら、そのときはきっぱり別れるつもりだった】

 あたしはしばらく息を止めていた。雅也が別れを考えていたなんて、知らなかった。
 あたしが気付かなかっただけで、喪失はすぐそばにあったのだ。チャット上のごっこ遊びではない、本物の喪失が、ずっとそばに。

【でもやっぱり、失いたくないって思ったんだよ】

 目尻に涙がたまった。鼻からは鼻水がでた。全部ハンカチで拭きとって、下に零さないのがあたしの誇りだった。

【まだやり直せるはずだって思ったんだ。それでも、どうしていいかわからない。もう終わりにしようって何度も思った。でも、まだなんとかなるって、信じたくて】

 自分たちは二人で同じことを思っていたのだ。でもそれを話し始めてしまったらきっともう後に戻れないことをわかっているから、背中で会話を続けていたのだ。
 殺し殺されしている間は、そんなこと忘れていられるというのに。

【俺、何やってるんだろう】

 ほんとだよ、とあたしは返した。ほんと、あたしたちは何やってるんだろう。
 その日のチャットは、そんな話だけで終えた。聞いてくれてありがとな、と雅也は云い、今度リアルで会おうぜ、と云って落ちた。もちろんリアルで会うわけには、いかなかったが。
 電源を落とす前に、ふと気付いてメールボックスをチェックした。
 近頃は神崎用のアカウントばかりログインして、他のアカウントのチェックをしていなかったのだ。
 メールが溜まっていた。何十通と。
 すべて同じ差出人だった。


【真紀さんへ。

 その後いかがですか。近頃、チャットでお見かけしないのは、忙しいからでしょうか。また真紀さんとチャットしたいです。ご連絡お待ちしております。 林

 追伸。雅也さんはお元気ですか。雅也さんを亡くされたい場合は、是非ご一報ください。】
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