第4話 かたきうち

文字数 3,699文字

 三沢英幸(えいこう)とは幼稚園からの付き合いだ。あいつは3月生まれだから小さかった。中学まではボクのが背が高かった。ボクらはよく家を行ったり来たりした。あいつのママは……

 小学校に上がる前に、あいつんちが持ってたアパートに若い男の音楽の教師が越してきた。そのうちあいつはピアノを教わり、三沢の家でよくそいつは演奏してた。三沢の家にはグランドピアノがあって、あいつのばあちゃんはクラシックが好きだから、よくリクエストしてたよ。
 そのうち三沢のママの妹がそいつと付き合うようになって、ふたりは結婚するのかと思ってた。でもダメみたいになってそいつは引っ越していった。それから1年くらいしてそいつが入院してるって。そいつは癌で余命宣告されてた。あいつのママはなにもかも捨ててそいつのところへいった。何年も生きられない男の元へ。
 パパはしばらくすると近所の獣医と再婚した。よく犬をみてもらってた獣医で三沢はなついてた。きっとあいつのために父親は再婚したんだ。
 
 ボクたちは同志だった。母親に捨てられた三沢と父親に出ていかれたボク。ボクたちは絶対親を許さない、親が死んでも泣かない、墓に唾を吐きかけてやろうって誓った。

 中学になるとボクとはレベルが違うから(あいつは成績は塾にもいかないのにトップだったから)そんなにくっつくこともなくなった。あいつは簡単に心を開かなくなった。それが余計に女子にはもてたんだ。
 3年の夏休みに三沢を生んだ母親が亡くなった。それが原因だろう。2学期からあいつはますますかたくなになった。ボクが心配しても、
「おまえにオレの何がわかる」
と、心を閉ざした。

 高1の夏、三沢は高い酒を持ってきて久々にボクの家にやって来た。
「お祝いしようぜ。命日なんだ。あの女の」
 三沢を捨てて出ていった母親の命日。飲めない酒を飲んで普段無口のあいつがペラペラ喋った。
「ママが死んだ。今日死んだ……」
 ボクが飲むのを止めると、
「おまえは本当にいいやつだ。幸せにな……」
 それから出ていった。そのまま帰したら、なにかやらかすんじゃないかと思った。あいつは駅に行き電車に乗った。ボクは近くで見ていたよ。あいつのそばにきれいな髪の長い女がいて、泣いている三沢を見ていた。二十歳くらいの会社帰りって感じの。あいつは見られることには慣れているけど、涙を見られて恥ずかしかったのか、じっと見つめ返してナンパしたんだ。目だけでナンパした。三沢は女の肩を抱いて歩いていった。

 夕暮れの海浜公園。ボクはついていった。防波堤にくるとあいつは長い髪の女の髪留めを取った。横分けに止めてあるかわいいやつ。それを自分の髪に付けると大声で歌い出した。中学の時は合唱部だった。あいつは英語で歌いながら振りをつけた。路上パフォーマンスだと皆が集まってきた。高校の合宿の出し物で女装させられたダンスらしい。女みたいにきれいなあいつは、踊り続けた。奇妙で神秘的なダンスだった。

 ヒースクリフ、イッツ ミー キャシー……窓を開けて……寒いわ……みたいなパントマイム。それに側転。完璧な側転。子供に向かってあいつは大サービス。
「一緒に踊ろうぜ!」
 子供たちが数人、真似してダンスした。子供はすぐ覚えた。
 ヒースクリフ……イッツ ミー キャシーーーー
 側転まで真似した。繰り返し繰り返し。
 あいつは何度も側転して、倒れた。
  
 髪の長い女が心配してそばに寄った。あいつは今度は怒り出した。自分でナンパしておきながら、のこのこついてきた女に怒っていた。
「この顔がそんなに魅力的か? ママそっくりのこの顔が?」
 女の様子は変だった。聞こえていないのだとボクは気がついたけど、あいつは酔っててわからなかった。無視されてると思い肩を揺すった。彼女は初めて大声を出した。言葉にならない声だった。

 ボクが止める前にあいつは近くにいた男に取り押さえられた。彼女は話した。手話を使って。なにを言ってるのかはわからないが必死に。
 あいつはやっと彼女の障害に気付いた。髪に手をやったが奪った髪飾りはない。捜すと粉々に砕けていた。あいつは土下座した。大袈裟に。

 そして海に飛び込んだ。

 1番慌てたのは彼女だ。男に助けを求め三沢に叫んだ。夏の海、泳ぎのうまいあいつは彼女に手を振り潜った。

「バカ、三沢、戻ってこい」

 男が飛び込んだ。暴れるあいつを連れ戻した。梯子を登り終えるまで彼女は心配そうに大声を出していた。
 びしょ濡れのあいつはおとなしくなって、助けてくれた男の車の後ろの座席で、ボクに寄りかかって静かにしてた。彼女を家まで送り、圭介さんていう男の部屋に連れていった。こいつを家に連れて帰ったら大騒ぎになる。圭介さんはすごくいい人であいつはおとなしくなっていた。訛りがあって、ママと同じ訛りだって甘えてた。もう、ママ、ママって子供みたいに。圭介さんはトイレで吐かせ兄貴みたいに面倒見てくれた。ボクは三沢の家に、うちに泊まるからと電話して、ふたりで圭介さんの部屋に泊まった。あいつは目が覚めると猛烈な頭痛で圭介さんが薬を飲ませた。トイレにも連れていって面倒見てた。

 圭介さんは落ち着いたあいつとボクを車で送った。
 次の日、三沢はボクに頭を下げて謝った。
「治がいなかったらどうなっていたかわからない。本当におまえはいいやつだ。おまえには飾らなくてすむ。バカな自分でいられる」
「止めなかったボクが悪いんだ」
「おまえはいつも自分が悪者になる」

 それからあいつは、きちんとけじめをつけた。
 圭介さんにきちんと礼を言いにいった。菓子折持って。圭介さんはきちんとしたあいつを見て驚いて喜んだよ。

 彼女の家の場所を聞くと圭介さんはボクたちを信用して教えた。彼女の仕事帰りの時間頃、ボクたちは最寄りの駅で待った。あいつは帰れ、って言ったけど心配だった。ほぼあいつの計算通り彼女は改札を出て来た。
 三沢は……驚いたよ。三沢は彼女の前に行き、手話で謝ったんだ。たぶん、ごめんなさいって。(あや)っていう名前だった。文さんは驚いたけどきちんとした三沢を見て顔を赤らめた。ファミレスに入って、あいつは手紙と自分で買った髪留めを渡した。文さんは手紙を読んだ。酒を飲んだ訳とか書いてあったんだろう。あいつは何度も手話で謝った。あいつは許され、4歳上の文さんに交際を申し込んだ。女と付き合ったことなんかないのに。
 文さんは首を振り、考えて長い文章を書いた。あいつは憤慨し、大きくうなずいた。
 
 文さんの休みの日、ボクはまたくっついていった。犯罪者になるからついてくるな、と言われたけど。違う駅で文さんは待っていた。髪留めを付けて。約束通りあいつが来たことに少し驚いていた。文さんのあとをついて小さな米屋の前に立った。
 文さんが幼い頃、配達に来ていた米屋のオヤジ、ニコニコして菓子をくれた。文さんは信用してたんだ。ある日、文さんひとりだった。

「大きくなったね。文ちゃん、重くなったか抱っこさせてごらん」

 そんなことを言われたのだ。手を広げられて幼い文さんは不審にも思わなかった。信用してた男は文さんを抱き上げ股にさわった。母親が帰ってくると何事もないように帰っていった。文さんは母親に言えなかった。米屋のオヤジが来ると隠れた。
『引越ししても許せない。なにもできなかった自分。きっとあの男はまだ同じようなことをしている。親に話せない子がいるわ。罰を与えて』

 三沢は、行動開始だと深呼吸した。
「おまえは他人のふりをして、おおごとになったら文さんを連れて離れるんだ。絶対入ってくるなよ! 文さんの名前は出さない。出すなよ。絶対に」
 三沢は店に入っていった。あいつは殴る気だ。いや、逆にやられてしまうんじゃないか? どうしよう? 三沢はつかつかとオヤジにつめより、耳元でなにか言った。罪を確認したんだろう。それから急所を蹴った。ふさわしい罰だ。オヤジはうずくまった。あいつは米袋を投げつけようとした。けど、文さんが入っていっちまった。やめさせようとしたんだ。三沢は文さんの前に立ち塞がって顔が見えないようにした。
「マリー、仇は取ってやったからな」
 三沢は文さんを連れて出て来た。ボクは 、
「仇ってどういう意味ですか? 女の子になにをしたんです?」
と、叫んだ。
 オヤジは、なんでもない、大丈夫だって。奥からたぶん奥さんが出てきたけど変な雰囲気だった。あれはきっと知ってるね。旦那が悪いことしてるってわかってるね。かわいそうだった。 

 とにかく、かたきうちは終わり、文さんを送りファミレスで筆談。三沢はまた交際を申し込んだ。文さんは、
『4つも年上なの。障害者なの』
と断る。
『もう許すから、もう来ないで』
 あいつが諦められないでいると、紙に書いた。
『いつか恋人ができたらあなたを殴りにいってもらうわ』
 三沢はそんな返事がくるとは思ってなかったろう。手話でさよならを言った。文さんもさよなら、たぶん、忘れないわって言ったんじゃないかな。三沢の初めての失恋。4歳上の髪の長いきれいなしっかりした女だった。あれ、両思いだったぜ。きっと。
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