第22話 おまえ

文字数 1,948文字

 1年経った。おまえにひどいことをしてから1年。おまえにとっては腐れ縁。もう懲り懲りだろうに。
 それでもおまえは来た。年に1度のテニス部のOB会。もう、自惚れはしない。おまえが来るのはオレに会うため、なんて、もう思わないが……来てくれて嬉しかった。 

 おまえは無視していた。無視して飲んでいた。男たちがきれいになったおまえに酌をする。おまえは乱れない。いや、少し酔った。トイレに立つときよろけた。オレは支えた。オレは女性のトイレの前で待ち、また支えた。おまえは初めて恨みがましいことを言った。
「あのひとはどうしたの?」
「……」
「フラれたの? 先輩? いい気味だわ」

 おまえを家まで送った。家に入るときにおまえは言った。
「先輩、覚えてる? テニス部に入った夏休み、O先輩の家で集まって飲んだときのこと? 先輩は酔って私にキスしたのよ。覚えてないわね」
 ドアは閉められた。夢だと思っていた。おまえにキスしたのは夢の中だと……

 家の前の公園のベンチに座った。
 2階の部屋に灯りがついた。
 窓を開けてくれ! 窓を開けてオレを見てくれ!
 軽い男だ。紙のように薄っぺらい……
 
 次の日電話をするとおまえは出てくれた。冷ややかな声だったが……おまえは許した。おまえはなにをされても許すのか? 
 オレたちは恋人同士になった。ようやくたどり着いた。おまえの元へ……おまえはオレが恋した女を3人も知っている。

 オレたちは映画を見て遊園地に行った。おまえは金を出そうとする。
「オレだって、バイトしてるから」
 やがておまえはオレの部屋に来た。置いてある電子ピアノを鳴らす。
「私も習いたかった」
 ピアノを教えてやる。指使い、和音、リズム……おまえは夢中になった。覚えるのが早い。

 おまえは冷蔵庫にあるもので料理をした。ろくなものはない。ラーメンくらいしか作らないのだから。玉ねぎを刻み長い時間炒めていた。硬くなったパンと、古い粉チーズで作ったオニオンスープ。オムレツに、キャベツとにんじんだけのサラダ。ドレッシングなんて買ってない。おまえは魔法のように味付けをした。古い昆布茶と酢と、健康のために飲んでるオリーブオイルで。褒めるとおまえは照れた。

 部屋を掃除して買い物に行った。オレは学生。おまえはボーナスが入ったOL。おまえはオレのために高いコーヒーメーカーを買った。
 堅実な女は水道の水さえ無駄にしない。オレは注意された。ティッシュの枚数。エアコンの温度まで。ケチなわけではない。誕生日にはプレゼントをくれた。ブランドの高いパーカー。ボーナスの額を聞き驚いた。おまえは堅実に資格を取っている。

 洗い物をしているおまえをうしろから抱きしめた。
「ひどいよ。先輩は。私がずっと好きだったの知ってたくせに」
 ワインを1杯飲んでいたおまえは珍しく感情を表した。おとなしい女がオレを責めた。驚いた。おまえには敵わない。
 2度目のキスをした。4年ぶりのおまえとのキス。
「お酒臭い。あのときと同じ……」

 回り道をした。バカだった。いつでもおまえはオレを見ていたのに、オレはよそばかり見ていた。おまえは尽くしてくれた。こんなオレに。おまえだけは失いたくない。おまえはオレだけのもの。

 毎週、休みの朝早くおまえは部屋に来る。テニスラケットを持って。母親への言い訳に。
 焼きたてパンを買ってくる。合鍵でドアを開け、オレは寝ているフリをする。コーヒーを挽く音でおまえは起こす。
 パンが冷めるわ……

 暗闇の中でおまえに謝った。
「1番大事しなきゃいけなかったのに、ごめんな……」
 おまえは泣いて、子供のようにしゃくり上げた。
「もう泣かせないから。大事にするよ。もう泣くな」
 
 おまえと連弾する。おまえはメキメキうまくなる。練習熱心だ。ヘッドホンをし、オレをそっちのけで弾いている。オレはピアノに嫉妬し邪魔をする。おまえに悪戯する。

 努力家だ。テニスもそうだった。勝ってもおまえは自慢をしない。知識をひけらかさない。話しているとわかる。オレは知ったかぶりをし、あとで恥ずかしくなる。おまえはそれさえ気にする。オレに恥をかかせない。悪口を言わない。オレはおまえをやり込める。強く言うとおまえは黙り込む。従順だ。いつでもおまえが正しいのに。だから謝るのはいつでもオレだ。オレは抱きしめて謝る。おまえはいつでも許してくれる。

 まだ、言わないが、オレは貯金を始めたんだ。おまえと結婚するために。いつかおまえの喜ぶ顔が見たい。
 そして結婚式にふたりで弾こう。エルガーの『愛の挨拶』

 おまえはオレを酔わせる。満ち足りた時間。ずっと続くと思っていた。
 おまえが離れていくなんて想像もしなかった。おまえだけはオレのものだと思っていた。

 ああ、未練がましいな……


  
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