第24話 出会い

文字数 3,079文字

 初めて君に会ったのは、中学3年の夏。
 僕を捨てた母が亡くなったすぐあとのことだった。

 ママが危篤だと知らせが入ったとき、
「受験勉強があるから、僕は行かない」
と突っぱねた。
「ママがおまえの名を呼んでいる」
 パパは僕に頼んだ。
「頼むから一緒に来てくれ」
と土下座した。
 あのパパが土下座した。
 

 案の定、僕は不安定になった。弟の存在が決定的だった。
 ふさぎ込む僕を義母は無理やり外に連れ出した。テニスの特訓。

 スポーツはいっとき、悲しいことを忘れさせてくれる。
 隣のコートに君がいた。夏生(なつお)が、空振りばかりする君を見て吹き出した。

 悲しい時でも異性に惹かれるものだ。
 僕は、運動音痴の君を見ていた。

 マリー、小さな太陽。勝手に名付けた。

 それを気付かれたくなかった。だから、僕もわざと笑った。
 義母がたしなめた。
 感の鋭い義母は気付いたのかもしれない。

 義母は気安く君を呼ぶとコーチを買って出た。たぶん、僕のために。
 僕と夏生は君のために球拾いをさせられた。
 そして、察しのいい義母は僕に相手をさせた。

 奇跡もあるものだ。君が打ち返してきた。何度か続いたラリー。

 誓う。あなたのためなら身を粉にして努める。生きていくから叱らないでいください……
 (太宰治『狂言の神』より引用)

 どう思っただろうか? 僕を? 背も高くない、子供っぽい色の白い美……少年。
 君は、なんの魅力も感じなかったようだ。

「きれいな子だったわね。もてるでしょうね。男は視覚で恋をする」

 顔だけじゃない。素直で恥ずかしがり。一生懸命だった。
 君は視覚で恋をしない。中身のない僕に恋などしない。
「同じ学年よ。名前くらい聞けばよかったのに。ひとことも話さないで」
 僕が惹かれたのは外見か?





 大きな邸の『坊ちゃん』は窓からオレを見ていた。目が合った。
 最初は女かと思った。この美少年がピアノの奏者?
「圭君、あの子の友達になってくれない?」
 邸の気さくな女主人が言った。
「友達って、お願いされてなるもんじゃないですよ」
「……そうよね」
 痛快だった。大きな邸の女主人に小倅が生意気なことを言った。

『坊ちゃん』はオレに興味を持ったようだ。
 女主人の代わりに飲み物を差し入れに来た。裸のオレを見る。まさか……
 ドキドキしてシャツを着てすぐに仕事に戻った。

『坊ちゃん』は土の袋を持ち上げた。父が止めた。腰でも痛めたら大変だ。
 背はオレより20センチは低かった。しかし手は大きかった。ピアノを弾いているからか?
『坊ちゃん』は軽々と持ち上げた。

 トラックと花壇を何度も往復し、重い土を運んだ。ペースを乱されたのはオレのほうだ。汗がダラダラ出て呼吸も乱れた。
 後ろを向くと『坊ちゃん』は息も切らさず涼しい顔をしてオレを見た。
 暑くてシャツを脱ぎ放り投げた。
 ペースを上げ、離したと思い後ろを向いた。『坊ちゃん』はすぐそばにいて笑った。ヒヒッ……と。
 すごいな……呼吸を整え言おうとして聞かれた。
「何才ですか?」
 父が答えた。
「15ですよ。志望校はH高なんです」
『坊ちゃん』は、僕も、とは言わなかった。困ったような、嬉しいような微妙な表情だった。

「ひ弱な坊ちゃんだったのに、すごい力と根性だ」
「あの奥さんは後妻なの?」
「前の奥さんは……そっくりだな、坊ちゃんは。辛いだろうな、旦那様は」
「死んだの?」
「出て行ったんだ。坊ちゃんを残して」
「どうして?」
「さあ、大旦那様を介護して、長いこと介護して、亡くなって少しすると……いい夫婦だったのに。坊ちゃんは、大奥様にかわいがられて、わがままに育てられてた。亜紀さんはすごいな。むずかしい年頃なのに……礼儀正しく育てた」





 G駅から10分強歩くと校歌に歌われているS川が流れている。M橋を渡ると歴史の古い公立校がある。川は歌詞のような清い流れではないが。
 入学式、30年前の卒業生だという来賓の挨拶が印象的だった。 
金縷(きんる)の衣は再び()べし、青春は得べからず」

 年よりずっと若く見えた。スピーチはユニークで聞き入ってしまう。その人が私の方を見た。目が合った。そして微笑んだ。まさか?
 来賓席に戻った三沢英輔を私はずっと見ていた。
 もう1度こっちを見て。私を見てください……

 誓う。あなたのためなら身を粉にして努める。生きていくから叱らないでください……

 太宰の文章が浮かんだ。なんの小説だったか?
 私は見つめた。

 けれどもそれだけのことであった。千万の思いを込めて見つめる私の瞳の色が了解できずに終わったようだ……

 魅惑? 魅了? 恋?
 走っていってすがりたい。髪を撫でてほしい。
 ありえない。高校の入学式、30歳も年上の男性に私は恋をした……

 そのあとのことはよく覚えていない。入学生代表として立ち上がったのは同じクラスの男子生徒だった。背の高い斉田圭。たぶんいちばん成績がいいのだろう。
 クラス委員は先生が決めた。圭と私だった。それも成績で決めたのだろうか?
 隣の席の三沢英幸(えいこう)は冴えないガリ勉タイプの生徒だった。メガネをかけひどく猫背で、自己紹介のときはボソボソと小さな声でよく聞き取れなかった。英語の英に不幸の幸?
 私は、
「水谷幸子です。幸子という名前は古風だけど気に入ってます。趣味は読書。スポーツは、ダメです」
 隣の三沢英幸が吹き出した……ような気がした。すぐにポーカーフェイス。

 帰り、私は校内をうろうろした。まだあの人はいるかもしれない。
 諦めひとり帰る。
 M橋の上であの人はたたずみ川の流れを見ていた。思わず近くに寄るとあの人は振り向いた。
「スピーチ、素敵でした。とても。とても」
 間近で見た三沢英輔はもっと素敵だった。見つめられ頬が染まっていくのがわかった。
「D組の水谷幸子です」
と言うと目が合ったことを思い出してくれたようだ。
 金縷の説明をしてくれた。
 

 しばらく胸がいっぱいで食欲もなかった。夢にも出てきて私を見て笑った。私は涙を流していた。
 かつてこれほど異性を思ったことはない。同じような思いをしたことがある。それは本の中の人物だった。誰にも言えない。それは乱歩の小説の中の、同性愛者だった。私は何度もその本を読み、最後の場面では泣いた。
 おかしいのだろうか? 私の感性は?





 入学してすぐに気づいた。三沢は気づかれないとでも思ったのか? 
 オレは気づいた。三沢が幸子に気があることまで。
 同じ女を好きになった。ライバルのはずなのに……オレたちは親しくなった。亜紀さんに頼まれたからではない。
 話していて楽しかった。物知りだった。背と体格以外では勝てないだろう。
 それもいつまで? 

 夏休みに急接近した。クラス合宿の出し物のダンス、練習をさぼった三沢の家に教えに行った。亜紀さんも妹の彩ちゃんも、隣の幼なじみの夏生まで来て皆で踊った。
 亜紀さんは歌を知っていた。『嵐が丘』のキャシーの亡霊の動画を見て、いやがる三沢に女装させた。

 楽しい夏休みだった。父親は入学式で来賓の挨拶をしたかっこいい男だった。幸子が惹かれていた。
 すごい素敵な人、と。

 ダンスを披露した。女装した三沢はゾッとするほどきれいだ。
 
 この家は……この家族はうまくいっているのか? 父に聞いた前妻がいた。亡霊になって息子の中に。
 元夫は息子を見ていた。愛した妻の面影を。余程愛した女だったのだろう。親に反対されすべてを捨ててこの家を出たという。
 戻ってきたのは会社が倒産寸前、大旦那様は脳梗塞で倒れ、大奥様は介護で体を壊した……
 なにがあったのだろう? この家に。なにがあったのだろう? 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み