第35話 息子よ 3

文字数 3,077文字

 僕は家をのぞいた。娘も孫も出て行った?
 ではあの娘は誰なのだ? 20歳くらいの活発そうな娘は?

 娘と目が合い、とっさに芝居をした。僕は立ちくらみがした振りをし、門の前でしゃがみ込んだ。

 あなたは駆け寄り庭に入れ、椅子に座らせてくれた。落ち着いたふりをすると、あなたはわざわざ家に入り、飲み物を持ってきてくれた。濁った茶色い汁。鰹節の匂い。
『飲んで。出し汁よ。ジャンクフードばかり食べてたらダメよ』
『ジャンクフード?』
『ジャンクフードにジャンクセックスはダメ。生き方を変えなきゃ』
 思わずあなたの顔をみつめた。初対面の男になにを言い出す……? 

 日の光の下でもあなたはきれいだった。健康的で肌も目も髪も歯も輝いていた。本気で見ず知らずの僕を心配してくれた。心のきれいな女性だ」
「やめてよ。恥ずかしい」
 葉子を無視して彼は続けた。
「女主人が出てきた。走ってきた。警戒していた。ピンときた。武道に精通している。あの人が守ろうとしたのはあなただね。
『ヨウコちゃんのお友達?』
とあの人は聞いた。ヨウコ、か。
 僕は取り入った。年配女性には受けがいい。礼儀正しいからね。表札に書道教室の看板があった。僕は生徒になった。Oも誘った。ヨウコはOの好きなタイプだ。

 思ったとおり、Oはあなたに惹かれていった。Oのシフトに合わせて日曜日の午前中早めの時間、僕たちは書道教室に通った。
 Oを見ると女主人の書道教師の警戒心は完全に解かれた。
 人徳。Oの人徳だな。幼稚園からの親友だ。Oは半紙に『葉子』と書いた。
『5月生まれ?』
とOが聞いた。
『8月生まれだろ?』
と僕が聞いた。葉月の8月。
『生命の息吹を感じる名前。亡くなったおかあさまが付けたのよ』
 先生の説明にあなたは涙ぐんだ。Oは完全に惚れた。遅番の時間ギリギリまでいて、あなたに見送られ自転車を漕ぐ。
 Oの恋を応援したい。僕は本気でそう思っていた。しかしあなたには意中の男がいた。

 初めて由紀夫君に会った。僕は自分の推理が間違いだと思った。君はまるで聖職者のよう……
 手を合わせて拝みたくなるように神々しかった。おかあさんの自慢だった。災害があればボランティアにいく。警視総監賞をもらったこともある。物欲のない珍しい男だと。

 葉子は君を愛している。こんなにわかりやすい女はいないな。Oはがっかりした。Oは身を引く。Oはいつでもそうだが……
 Oはボーナスでペンダントを買った。振られてもいい。葉子の幸せを望む。

 いつも襟の高い服しか着ていないのはなぜだい? 葉子ちゃん。
『Tシャツを着ないな、病気の跡でもあるのか?』
 Oでさえ気づいた。そのほうがマシだな。
 小説みたいに? クリスティの小説みたいにさ……病気のあとならどんなに醜くたってOの気持ちは変わらない。
 結局プレゼントは渡せなかった。先生が亡くなってしまったから……
 10年前の2月8日、ここで強姦したのは君だろ? 僕の彼女はずっと苦しんだ。今でも」

 もう覚悟していた。
 過去の卑劣な犯罪を葉子の前で暴露された。
 優しいOが止めた。
「もう、やめろよ。葉子ちゃんの前で。彼女は喜ばない」
「どうして、おまえはそうなんだ? こいつのせいでおまえは俺に殴られた。Oは妊娠した彼女を中絶させた。自分のせいだってことにして。僕は知らなかった。ついこの間まで。
 葉子、君にわかるか? 彼女の苦しみ。年月が過ぎても彼女は忘れない。犯人は嘔吐した。
 なぜだ? 嘔吐した。風邪か? 胃腸炎か?  
 心配症な彼女はエイズを疑った。エイズにかかった男が絶望して手当り次第移しているのだと……
 なぜ吐いた? おかあさんを見ると君は吐いた。あのビデオのせいか? あのビデオに刺激されて欲情した」

 由紀夫は殴られ立ち上がった。また殴られるために。愛する葉子の前で下劣な犯罪を暴露された。死んだほうがマシだ。
 殴られ蹴られる……OがEを止める。
 葉子がEの前に立ちふさがる。
「どけよ」
 葉子は両手を広げて立ち塞がる。
「あんたは罪を犯したことがないの?」
「……」
「もう充分苦しんでる。償いはしたわ。何人もの人を助けた」
「そうだな。許すよ。これで……
 君はなぜOを選ばない? 由紀夫は君にはふさわしくない。いや、君はOにふさわしくない」

 Eが話した衝撃の真実。
 彼は葉子のハイネックの襟を引き下げた。いつも隠していた葉子の首にはくっきりしたアザがあった。
「刑務所で首を吊った。麻薬常用者は君だ」

 衝撃を受けるふたりの男。葉子は力をなくし立ちすくんだ。
 葉子は自分から告白した。
「刑務所で首を吊り、死にそこなった。死にそこなったのは2度目。由紀夫さんがいなくなって、おばあちゃんが死んで、パパは忙しくて広い家にひとり。寂しくて悪い仲間と悪いことして……」
「万引きに援助交際。家出して売春、乱行。よく妊娠しなかったな? エイズにもならなかった。どこまでも落ちて覚醒剤に手を出した」
 Eが付け加える。
「パパが、もう手に負えないから少年院に入れるって。それでもまたやって死にそこなった。遠い刑務所に入れられた。パパは面会にも来なかった。
 ある日おばさまが面会に来たの。由紀夫さんの母親だって。懐かしい気がした。大好きだった由紀夫さんのおかあさん。おばさまは息子に見捨てられた。私は父に見捨てられた。
 おばさまは私を引き取ってくれた。悪い友達が来るから家には帰さない。絶対立ち直らせるから覚悟を決めなさいって。
 トイレもお風呂も付いてきた。抵抗しても強くて敵わなかった。いろいろ教えてくれた。ママが生きてたら教えてくれたのかしら? 礼儀作法、書道、料理、本も読んだわ。たくさん話した。
 おばさまは、死んでもいいと思う人に巡り会うまで、死んだらダメだって……」
 そう言うと葉子は去った。去るしかない。

「追いかけろよ。由紀夫、早く追いかけろ」
「目糞、鼻糞を笑う、か。由紀夫君」
 OがEを殴った。Eの唇が切れた。
「バカヤロウ。こんなことして……知ってたんだな、調べさせたんだ」
 葉子を追いかけたのはOだった。
「バカなやつだ。由紀夫君、僕は消える。あとはOに任せる。仇は取った」


 死んでもいいと思う人と巡り会えるまで……
 彼女となら死ねた……

 僕は、君となら死ねた……
 

 墓の前でEは葉子とOに土下座した。
「かまわないわ。事実だもの。いつまでも隠してはおけなかった」
「自分の復讐のために君を利用した」
「そのまえに褒めてくれたわね。褒めちぎってくれた」
「事実だ。君は輝いていた。健康的に」
「おかあさんのおかげ。もっと早くに出会えていたら……」
「Oは君の過去なんか気にしないよ」
「……」
「バカ、葉子ちゃんが愛してるのはひとりだけ。子供の頃からひとりだけだろ? 僕は許すよ。おかあさんに免じて。由紀夫を許す。あいつは苦しんだ」
「……」
「ほら、迎えにきたよ。行けよ。あいつの償いだ。おかあさんの代わりに最後まで君の面倒をみさせろ。だから許す。行ってくれ。僕たちはもう少しここにいる。早く行けよ」

 Oに言われ葉子は去った。Oはふたりが去るのを見ていた。
「あのペンダント、どうするんだ?」
「余計なお世話だ。派遣社員にかわいい子がいるんだ」
「……俺が女だったら、絶対おまえを愛するよ」
「よせよ。気持ち悪い……どうする? 彼女に電話しようか?」
「時効はまだだ」
「もう、いいじゃないか。彼女は許すよ」
「夫がいるからね。まだダメだ」

       

    (了)




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