第60話 青春は…… 8

文字数 2,742文字

 治に10年ぶりに呼び出された。

 どうしても話したいことがある。渡したいものがあるんだ……

 よくマリーを送っていった駅だ。大きなペットショップで治は待つという。

 入り口に治が立っていた。10年経っても変わっていない。同じ女を愛さなければ僕たちは親友でいられたのだろうか?
 結局僕は負けた。この男に。
 マリーはふたつとも手放したのだ。

 しばらく……元気だったか?  と。
 もう年月がわだかまりを溶かしていた。
「水谷さんに会ったんだ、ここで、昨日。手紙を預かった」

 そばの喫茶店に入り治の話を聞く。
「ペットショップから水谷さんが出てきた。小さな男の子連れて。英幸(えいこう)って名前だよ。ここで、彼女は手紙を書くから渡してくれって。幸子さんは結婚した。ハワイに住んでる」


 三沢君、治に会ったので急いで手紙を書いて彼に託します。あなたと別れる前に私はメールを打ちました。真実を打ち明けようと。あなたにどう思われようと送信すべきでした。
 あの日あなたが言ったことはすべて誤解です。全部違うの。

 高校2年の2月8日、私は治と駅で別れた。治は送っていくと言ったけど、休みのたびに私はあなたの情報が欲しくて治と出かけ、母は怒り心頭、駅まで迎えに来そうな勢いだったから送ってもらわなかった。
 小走りで近道をしたの。大通りを曲がって。
 そこは暗くて草が茂っていて、暗くなったら通るなと言われていた。
 暗い道、なにが起きたかわからなかった。私は誰かにぶつかって倒れ、引きずられ強姦された。 
 あっという間の出来事だった。それが真実です。でも、それより怖かったのは男に殺されるのではないかと思ったこと。どう見ても健常者ではなかった。夢遊病者か麻薬常用者。私は強姦はされても死にたくはなかった。悲鳴をあげたのでしょう。男は我に返ったのか、それがいちばん怖かった。今でも。
 男は嘔吐したの。そして走っていった。

 私は家に帰った。なにもなかったと言い聞かせ。
 母は待ち構えて怒り出したわ。娘になにが起きたかわからなかった。私はシャワーを浴びてバレないようにしようとしたわ。でも母が、小言を言い続け、私はヒステリー起こして発作的に包丁を持ったの。
 治は電話に出ないのを不審がって家まで来て、救急車で運ばれる私を見て推理したのね。あの小道のことは話してあったから確かめに行って私の携帯を拾った。

 治は入院している病院に来て私の食事が出ていると安心し、手がつけられるようになると病室に来て携帯を返した。
 謝ったわ。あなたの情報をエサに私と会ったこと。私は全部母のせいにして急性肺炎ということにして休んだ。治にはなにもなかったことにしてもらった。
 あなたは誤解して治を責めて殴り、治は黙って殴られてくれました。
 あなたが迎えに来て私は元の生活に戻れた。忘れようと思いました。

 でも妊娠しました。あなたは気づかなかった。母も誰も気づかなかった。相談できるのは治だけだった。
 治はおかあさんに自分のせいだと話し、私はおかあさんに謝られいたわられ手術の費用まで出してもらい、術後は治の家で手厚く介抱してもらったんです。
 治はそのあとは私がいやなことを早く忘れるように会いませんでした。ときどき様子伺いのメールがきたけど、私は元気です、と返してすぐ削除した。

 卒業式に最後のメールをもらい、私はなんて自分勝手だろうと反省したの。このまま恩を受けたままではいけない。治はきっと手術のお金もおかあさんに返したに違いない。
 あなたはよく言ってたわね。治は自分よりずっとランクが上だって。
 私はたぶん治をもてあそび、甘え、傷つけた。自分のことで精一杯でひどい女だったわ。

 家を訪ねたけど留守で、歩いてるうちに私は迷い、どつぼにでもはまったみたいになり怖くなった。あのとき夏生に声かけられたときも怖かった。
 あの日、あなたの家に行かなければ私たちは終わっていたでしょうね。あなたは優しくて、私は怖かった。
 強姦も中絶も知られたくない。でもそれよりも怖いのは、思い出したくないけど私を襲った男が嘔吐したこと。
 風邪や胃腸炎なら構わない。私は性感染症を恐れた。月日が経ち症状は出なくて安心したけどひとつだけ疑える病気があったの。エイズです。
 まさかとは思ったけど。あの異様な男は自分の病気を知り、やけになって手当たり次第移しているのじゃないかと妄想が駆け巡った。
 二十歳にもなって検査にもいけない。確率からしてほんの少し。いえ、 100パーセントかゼロパーセント。
 検査にもいけずあなたと付き合っていました。打ち明けることもできず別れることもできず、友達としてと言いながら他の女に嫉妬してあなたを苦しめた。
 わかるでしょう? 粘膜の接触は危険なの。1パーセントの確率でもあなたを守りたかった。

 今思うと滑稽だけど私は必死だった。あなたが私の乳首を見たら、セックスしたら中絶したことがバレてしまうかも、そんな不安が頭を占めていました。
 夫はアメリカ人で、あなた電話で話したことがあるわね。ずっと私を愛してくれ求婚されてすべて話しました。拍子抜けするくらい冷静でした。今では当たり前のように毎年検査しています。

 三沢君、ごめんなさい。治との友情をこわした私を許してください。そして治との友情を復活させて。
 彼は生涯の親友にすべき人です。私よりずっとずっとランクが上。
 あなたとの思い出は生涯の宝物。

 青春は再び得べからず。

              マリー


 何度か読み直し僕は治に手紙を見せた。
「バカだ。おまえは。バカだ。マリーも。話してくれたら、いや、いちばんバカなのは俺だ」


 治に現場を案内させた。
 今は整備された公園だ。治は夜勤だからと帰っていった。
 僕はしばらくベンチに座っていた。子供に僕の名前を付けたのか? 1度も呼ばせなかったのに。
 なぜもっと考えなかったのか? おかしなことはたくさんあった。生水を飲まなくなったのもあの頃からだ。治の家では飲んでいたのだから。
 考えて問い詰めていたら……
 たとえどうであっても君となら……
 ああ、最低だ。おまえはなにをしてきたのだ?

 犯人は近辺の者か? 駅へ向かう者か? 
 10年経ってる。なんの手がかりもない。どうする? 
 叩きのめす。自分がこんなに激昂するなんて。止められない。父にそっくりだ……

 手がかりはもちろん男。夢遊病者か麻薬常用者。
 あとは2月8日。
 僕はネットで調べたがわからない。
 無理だ。10年経ってるんだ。
 でもやるだけのことをやらないと……


✳︎

 前後しましたが、続きは33話〜35話『息子よ』になります。
 長編『異邦人のように』を細切れに投稿しました。長編はなかなか読まれないので……
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